言葉の裏が読めない男(Side:謙一)

 電車に揺られつつ開いていたタブレットの向こう、高校生らしい男女ペアが腰を下ろした。女子の方はすぐに英単語帳を開きだしたが、男子の方は勉強する気になれないらしく、スマホをいじっては女子にちょっかいを掛けている。

「ねえ邪魔せんで」

「暇なんだもん」

「あんたも勉強しろ、また補習でデート潰す気?」

「だから謝ったじゃんそれ……」

 口では謝りつつも、男子――彼氏は彼女の肩に手を回そうとし、「もうっ」と彼女にはね除けられる。


 それを視界の隅に捉えながら、謙一けんいちの胸に相反する感情が走る。

 仲が良さそうで微笑ましい、と。

 正常に恋愛できる側で妬ましい、と。


 言葉だけを追っていれば、不真面目な彼氏に彼女は苛ついていると解釈できる。しかし実際のところ、彼女は特に機嫌を悪くしたようではなく、むしろ彼の方へ体重を預けている。二人にとってはごく当たり前の、仲良しの一環としてのコミュニケーションだ。

 しかし謙一は、後者に思い至ることがひどく苦手なのだ。人とのコミュニケーションの機微やノリが分からず、字義通りの解釈ばかり信じてしまう。文章は読めても声色や表情が読めない、つまりニュアンスや程度が分からないのだ――まあ、文章の記憶や理解は人並み以上に得意だったので、副作用と思えば納得でもあるが。


 そうした性格と――今も液晶に映ってはげんなりする不細工な顔のせいで、小さい頃から人付き合いには苦労した。特に女性相手となると絶望的である、リアルで仲良くなった女性よりもネットで知り合った女性(と思われるアカウント)の方がずっと多い。


 それなのに結婚できたのは、見隅みすみ兄妹と家族同然に育ってきた光梨ひかりが、本当に家族になりたいと望んだからだ。母と二人だけでの生活に不安を覚えた光梨にとって、最も安心できる道が見隅家への嫁入りだったからだ。謙一が愛されていたから、ではない。


 それでも。光梨と結婚できたことで、謙一の人生は変わった。周囲からの扱いも、自意識も、劇的に。たとえ男として愛されていなくても、本音ではATM扱いだとしても――光梨にとっての最愛が自分じゃなくても、誇りが揺らぐつもりはない。


 製薬企業の研究所に入社してから6年。本来は社会不適合者である見隅謙一は、妻と妹の生活を支えねばという使命感で、真っ当な会社員に擬態している。

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