プロローグ2

(しまった。何人いるんだ。四、五、六人……)

 黒伏たちは揃って俺を睨んでいる。

「失礼します」

 素知らぬ顔で隙間から逃げようとしたが、男に行き先を阻まれた。

「その鞄、見せてもらおうか」

 どすの利いた声だった。それだけで俺は縮み上がる。

「な、なぜですか」

 声が上ずった。俺は後ずさりをして、しどろもどろに返事をする。俺がカメラマンだとばれているのだろうか。

 しかし、簡単に認めるわけにはいかない。これは仕事なのだから。

「撮ってただろう」

「媒体どこ? 名刺よこして」

(確信を持たれてる!)

「なんのことだか、さっぱり……」

 目が泳いでしまう。

 縦も厚みもある男たちに圧倒されて、俺はさっきまでとは違う意味で、全身から汗が噴き出した。

 全身黒いスーツで、人相が悪い男ばかりだ。サングラスをかけていたりもする。

(なんだよ。芸能事務所の関係者のはずなのに、まるでヤクザじゃないか)

 俺は助けを求めるように周囲を見回した。遠くに赤いドレスが見える。

 紫子さんだ!

 俺が男たちに囲まれているのは見えているはずだ。助かった。ベテラン記者の紫子さんなら、この状況をどうにかしてくれるだろう。

(助けてください、紫子さん!)

 俺は縋るように心の中で叫んだ。

 しかし。

「あっ」

 ドレスを翻し、紫子さんは早足にその場から立ち去ってしまった。俺は落胆して膝をつきそうになる。

(紫子さんに見捨てられた……)

 恨み言よりも、納得感のほうが先に立つ。

 そりゃそうだよな。二人で捕まるより、一人でも逃げ切った方がいい。紫子さんも会場の写真をスマートフォンで隠し撮りしているだろうから、紫子さんさえ無事なら記事に支障はないはずだ。

 だけど、この状況はつらい。

「ほら、いいからカメラ渡せよ」

「さっさとしろ」

「いつまで待たせんだよ」

 肩を落として応えない俺に、男たちは苛立ってきたようだ。それでも俺に触ってはこない。おそらく先に手を出すと問題になるのだろう。そんなことを紫子さんに聞いた気がする。

(一人でなんとかしなければ)

 このカメラだけは守り通さなければいけない。どうすればいいんだろう。走って逃げ切れるとも思えない。

 男たちは距離を縮めてきて、更に威圧してくる。鞄を渡すまでは許してくれそうもない。

「とりあえず、別の部屋で話を聞こうか」

「ほら、鞄渡さねえと、いつまでたっても帰れねえぞ」

 強面の男たちに睨まれて、俺は本気で震えあがった。もう泣きたい。

 そう思っていると、男たちの壁の隙間から、赤いドレスが見えた。

 強く瞬きをして、霞みかけていた視界をクリアにすると、さっき見た位置に紫子さんが再び立っていた。

 俺は驚いて目を見開いた。

 戻ってきてくれたんだ。

 よく見ると、細い肩が上下している。息を切らしているようだ。走っていたのだろうか。

紫子さんは、俺が持っているのと似た黒い鞄を手にしていた。その鞄を背中に回す仕草を繰り返している。俺がキョトンとしていると、苛立ったように地団太を踏んだ。そしてまた、根気よく背中で鞄を持つ仕草をする。

 俺へのメッセージのようだ。鞄を後で持てということか。

 俺は鞄を背中に回した。やはり正解だったようで、紫子さんは満足そうにうなずいた。

「この鞄は大事なものが入っているので、お渡しできません」

 俺は黒服の男たちに言った。

「わかってるよ、商売道具だろ」

「こっちも勝手に撮られちゃ困るんだよ。お互い仕事なんだ、わかるだろ」

 視界の隅に赤いものが横切る。俺の手が一瞬軽くなり、また重みが戻った。それまで持っていた鞄よりも、随分と軽い。

 紫子さんが鞄をすり替えてくれたのだろう。

(見捨てられたわけじゃなかった)

 俺は安堵と嬉しさに、うっかり泣きそうになった。

 背後を通り過ぎていく赤い影を目で追いたくなるのを堪えて、俺はそっと鞄を前に戻した。

「そんなに言うなら仕方がありません。本当は見せたくなかったんですけど」

「やっと素直になったか」

「手間をかけさせんなよ」

 俺はその場にしゃがみ、床に鞄を置いた。そして、鞄をゆっくりと開ける。

「えっ」

 その中身を見て、俺は思わず鞄を閉じた。

「おい、観念したんじゃなかったのか」

「いや、やっぱり、これは、ちょっと」

 慌てている俺に痺れを切らせた黒服の一人が、鞄の蓋を持ち上げた。

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