夢の骸

腕時計

スペキュロス

第1話

「洪水は2回ありました。それは知ってるかなぁ〜?」


紙芝居を手に携え、1人の角の生えた女性はそう言った。目の前にいるのはこの世界における普通の子供。皆頷く中、1人が手を挙げ、言った。


「神様に近づきすぎたのと、予言が的中したからです!」

「そう!良くわかるわねぇ」


紙芝居をめくり、洪水の様子が子供らしく描かれている絵を見せた。家が流され、人は救いを求め手を伸ばす。空は晴れているが、宇宙の黒い部分が決壊を起こして地球に傾れ込んだかのような。


「ざばぁ〜ん!これによって一回世界がやり直しになっちゃうの! 」


「えぇ! 」と続く声。そんな声に衝動的に耳を塞ぎ、廊下にはタバコを吸っている者もいた。


「……やっぱうるせぇなぁ」


携帯でニュースを見て、多発する地震に対する陰謀論を見ている。赤い禁煙防止の目印は彼女には見えない。


"続く連続地震、人工地震との声も..."

"大規模デモ行進、各所で。"

"【速報】専門家が今回の地震について解説!"


煙を吐き出すとともに溜息を吐く。凡そ実となる種さえ存在しない噂話に、だ。あの紙芝居をしている彼女に向かってではない。それは2番目。

6本ほどなくなったタバコの箱にライターを入れ、しまい込み、終了の時間を悟ると壁に寄りかかった身を起こして玄関へと向かった。


途中、足を止めてこの教育施設に住む子供たちの描いた絵を見た。テーマが「あした」というもので、大抵は父と母と手を繋いでいたり、フリスビーで遊んでいたりと平和的で明るかった。


「……んだこれ」


一つ、中央に青と黒を主とした絵があった。家が洪水で流されている。空は一部分だけ晴れている。まるで空が割れて傷口が露わにされたような感覚に襲われる。彼女の蛇のような尻尾が少し跳ねる。


「気味わりぃなぁ。貧困街ってわけでも狂信者ってわけでもねぇのに」


少なくとも、ここにいる人間は一般的なもので構成されたもので、故に思想も普通である。そこで育った彼女であるから、いかにこれが例外的なものかよく理解しているだろう。


「ごめんねぇ〜今回も連れて来ちゃって」

「先輩1人で行ったら良かったんじゃないですか。どうして私が……」


その絵から目を離した時、2人は合流する。ぶつぶつと悪態を吐きながらチャット上での「用事は済んだか?」という言葉に「センティコアが戻って来たので、今からそちらに向かいます」と返事をする。


「なんだかんだ言って付いてきてくれるからイクチとパートナー解消されてないんじゃないの?」

「場合によっては職場環境に難癖を付ければ良いのでいるだけですよ。まぁ……前の職場より幾許かマシなのは確かですけどね」


センティコアとイクチは車に乗った。中古品の、2ヶ月分の生活費ほどで買えるようなオンボロの車は人以外の荷物を乗せられないほどに弱っていた。簡潔に言えば油を50%蒸気に変える装置に近しい。


「上司が戻ってこいって言っていますよ」

「平気も平気よ。あの人の説教ってほら、長くないでしょ? 」


怒られることは前提で、肝心なのは長さらしい。助手席に座っている彼女はタバコに火をつける。直ちに窓がぎこちなく開き、換気が行われた。


「はぁ……怖いから嫌だって言っているんですけど。それで、どこに向かっているんです?道はそっちではないですけど」

「ちょっとした用事?もしかしたら間違えてるだけかもね」


はぁ。ため息をイクチは吐くと、チャットにて「道草食い始めました。少し遅れます」と追送信する。すぐに既読がつき、それの返信を読み上げる。


「『早めに戻って来い。正午までにはな』ですって」


駐車場に入ると、バックで車を入れるために集中しているようで聞いていないようだった。フロントガラスから見える建物に看板はない。とりあえず消耗したタバコを受け皿に入れ、車から脱する。


「今午前10時半ですよ。多分30分、戻るには掛かるでしょうし……1時間ぐらいで済ませてくださいよ?」

「できればするよ〜できれば」


ドアの閉まる音が響く。曖昧な白い靄が掛かっていて、つまりは異変の兆候、地震多発の影響かとされている現象だが、正確に知りえない。それこそよく絵本で見た黄泉の物語のように、微夢、もしくは起床を体現しているように曖昧で、不気味なものだ。


「……情報屋ですか?初めて見ましたね」

「そうだよ〜。個人探偵事務所の業績報告のため。元からマスターに頼まれててさ。後回しにしてた」


ヘラヘラしている顔に憤りを覚えながら建物に入る。黒い壁の材質に白い照明。木箪笥の壁が正面に広がり、時代に置いて行かれた黒電話、メモ帳、呼び鈴、そして軋む木製の椅子に座る人。


「君がセンティコア?どっちがイクチ君かな」

「……私がイクチです」


センティコアがこちらを指さしてニコニコ顔なので、仕方なく名乗り出た。その人間はフードを被っていたから、少々不気味だったのだ。


「そうか。センティコア君も久しぶりだね。あのアラーニェとは仲良くやっているようで安心安心...それで、何をしにこんなところへ来たんだい?」

「業績報告だよ。ハティーには仲立ちをお願いしたくて」


ハティーと呼ばれたその人物は立ち上がると、軽く体を反って硬直を絆し、部屋の角から階段を降りていった。センティコアは一つ大きく息を吐くと、もう一度吸った。イクチが彼女の方を見ると、察したかのように答えた。


「多分、報告を確定させる書類を取りに行ったんだと思うよ。マスターもそうでしょ?必要以上に語らないタイプ」

「そう言われればそうですね。なんというか、接しづらいというか……」


「イクチよりかはマシだよ〜」とセンティコアは鼻で笑ってから言った。イクチはそれに対しては答えない。部屋の周りを見れば、屋根に近い場所には蜘蛛の巣と埃に塗れた額縁があった。暗い故に見えないが、元々大切なものだったのだと思う。

時、イクチの尻尾が意識とは反して小さく跳ねた。それは、少し前に味わった感情。背筋を掠るような氷柱。


地がうねった。木箪笥の棚がいくつも空き、照明が点滅を繰り返す。


「うぇっえっ......どういうこと......?」

「センティ!伏せろ!!」


センティコアにはイクチの尻尾が巻きつき、イクチはその場に伏せた。大きく横に揺れる最中、遂に天井の一部が崩落する。

目が覚める。センティコアはカウンターを乗り越え、元ガラスケースを身に纏っている。イクチは天井の破片に足を挟まれながら、空が渦巻いているのを見た。渦中、海より深い目が覗く。


「洪、水……」


海を見た蛇は波が引くのを見た。黒い岩礁が顕れるのを見た。

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