第7話 マスコットキャラクター

 魔法祖父ソルグランドこと真上大我が自らの食欲に負けて、魔法少女アワバリィプールからご馳走になったのは、徳島ラーメンの白、茶、黄の三系統の内の黄色、鳴門系と分類されるものだ。 

 久しぶりに摂取する炭水化物、脂質、タンパク質et ceteraが複雑に絡み合い、手間暇をかけて調理された現代食に、大我は思わず涙を流しそうになったほどだ。

 既に制御しきれずに涎を垂らすという失態を犯している以上、美味しさのあまりに感涙する姿を見せずに済んだのは、不幸中の幸いだったろうか。


 アワバリィプールと大我は魔法少女姿のまま、個人経営のラーメン店を訪れていた。

 お昼の営業が終わり、夜の営業に向けた休憩時間だったとはいえ、魔法少女姿のままで入店して大丈夫なのか、普段の大我なら気にしただろう。

 だがこの時の大我は、そこまで思考を回せずにいた。

 人間時代よりはるかに鋭敏になった五感が先ほどからずっとラーメンを筆頭とした大衆向け中華料理の美味しそうな匂いと調理の音を彼に届けており、頭の中がラーメン、チャーハン、餃子、麻婆豆腐、春巻き……といった料理のイメージで埋め尽くされていたからである。


 別に彼が空腹に苛まれているわけではないのだが、ひたすら桃といくばくかの野菜類だけという食事とほとんど休みなしで魔物と闘い続ける時間は、彼を精神的な空腹と重度の疲労状態に追いやっていた。

 こういう状況に陥らないように、大我は衣食住を整えようと考えていたのだが、食に関してはものの見事に失敗していたのだった。

 ちなみにこの中華料理屋はアワバリィプールの実家であり、厨房で調理をしているのは父親、注文を取り配膳を行っているのは母親と姉だった。


 そうとは知らぬ大我は念願叶い、アワバリィプールの奢りで大盛の徳島ラーメンに、オマケで餃子もつけてもらい、精神的空腹を埋めるべく、黙々とラーメンを啜り続ける。

 その様子をアワバリィプールもまた大盛の徳島ラーメンを片付けながら、つぶさに観察していた。


 突如として圧倒的な戦闘能力と神々しいと表現するのも馬鹿らしくなる美貌と威厳、そして一切の素性が不明と言う神秘性と不穏さをもって、日本の魔法少女界隈に激震させたのが、この真上大我ことソルグランドなのだ。

 アワバリィプールはそのソルグランドと初めて戦闘後も行動を共にし、更には食事を奢った初の魔法少女となったのである。まあ、名誉のある称号かというと微妙なラインだが……


(うっわ、まつ毛なっが。髪の毛、つやっつや! なに、真珠かシルクで出来てんの? ラーメン啜っててもとんでもない美人ていうか、本当に女神じゃん。そんな美人が犬かな? 犬っぽい耳と尻尾生やしているんだから、ギャップある~)


 性別や人種を超越した美貌を誇るソルグランドに対し、窮地を救われた魔法少女達の多くは親愛を超えたレベルの畏敬を抱いており、そんな半信奉者と化した魔法少女達によって、他の魔法少女達にもソルグランドの活躍と美貌が派手に宣伝されている。

 アワバリィプールの周りではまだそこまでソルグランド信仰の炎は燃えていなかったが、あの首無しの騎馬武者軍団の出現から反応消失までの短時間での殲滅から、その実力の一端くらいは理解していたし、こうしてカウンター席の左横に座って眺める美貌ときたら!


(こりゃ崇めたくもなるよ。ホントに人間? 魔法少女じゃない疑惑なんてのも聞いたけど、ラーメン食べている姿でもこんなに綺麗なんだもん。同じ魔法少女だなんて思えないよぉ)


 加えてこれまでの戦績と収集できた数少ない戦闘データから、その戦闘能力は世界魔法少女=WMGランキングでも確実に一桁台に乗ると太鼓判を押された超逸材だ。

 世界トップクラスの魔法少女ともなれば一国の軍隊と同等以上か、生きた戦略級核兵器とさえ言われ、特級魔物と戦いを成立させられる人類の切り札である。


 これでフェアリヘイム側も把握していないという、途方もなく怪しい素性さえなければ、今頃は日本政府とフェアリヘイムから熱烈なスカウトの声が掛かっていただろうし、ソルグランドが『野良』であると知った他国の政府もスカウトに動き出していてもおかしくない。

 アワバリィプールがソルグランドに見惚れている間に、当のソルグランドはラーメンと餃子を全て食べ終えて、満足そうに割り箸を置く。


「ごちそうさまでした。本当に、ありがとう。久しぶりに人間らしい、文化的な食事ができたよ。でも、よかったのか? 奢ってもらって? なにか返せるものがあればいいんだが……」


 満足そうに微笑んだ後、申し訳なさをほんのりと漂わせて、耳をペタンと伏せるソルグランドの発した言葉の一部を、アワバリィプールは聞き逃さなかった。

 『久しぶりに人間らしい、文化的な食事が出来たよ』……黙々と目の前のラーメンと餃子に全神経を集中して食べていた様子と合わせて、ソルグランドが普段、悲惨な食生活を送っていると想像させるのには十分だった。


「……ううん、お返しなんていらないって! あの時、あたしが足止めする予定だった魔物はちょっとあたしの手に余る等級だったし、ソルグランドさんが倒してくれたお陰で怪我とかしないで済んだしね」


 アワバリィプールはこの情報を、日本政府とフェアリヘイムが用意した魔法少女専用のネットワークシステム『マジチャン』や『ササヤイター』『フェアレイン』での共有を決めた。

 ソルグランドの情報を求めているのは日本政府ばかりでなく、彼女の信奉者達もしかりだ。なにかしらの形で、ソルグランドの力になりたいと思っている子は、決して少なくはない。


「それにほら、マジポイントが支給されるから、ラーメンと餃子くらいなんてことないって。それにしてもマジポイントってさ、マジチャンといい、魔法少女関係だからって、なんでもマジを付ければいいってもんじゃないってのにね!

 ソルグランドさんの活躍は前から聞いていたけど、マジポイントはかなり溜まっているんじゃないの? 政府からのお給料もあるでしょ? あ、初めて会ったばかりの人に図々しいこと聞いちゃってごめんね?」


 と謝るアワバリィプールだが、これはわざとした質問だった。

 失礼なことを聞いているという自覚はあったが、ソルグランドの言動からして本来魔法少女が得られるはずの対価が、未成年ながら青春を半ば捨てて命懸けの戦いをすることへの、せめてもの大人達の償いが、その手に届いていないのでないか、と疑い始めたら抑えきれなくなったのである。


 魔法少女達がその戦いの対価に基本給をはじめ、各種手当が政府から支給され、また魔物との戦績に応じてフェアリヘイム側からポイントが支給され、現金にこそ換金できないが生活必需品からブランド品を始めとした嗜好品まで、幅広く交換できる制度が存在している。

 これは魔法少女になる上での当然の報酬の一つであり、福利厚生の一環として一般市民にも公開されている情報だから、大我も知っている。知っているが、妖精のスカウトを受けていない彼には、当然、魔法少女の特権に与る術がなかった。


 ベテランの対処が求められる三級を超える魔物を数多く討伐し、一般市民や市街地への被害も出していないという、政府として大変ありがたい優等生の見本のような戦果を挙げている。

 それを考慮すれば、ソルグランドは日本魔法少女の中でもかなりの額を得ているのだから。そうでなければならないのだから。


「……マジポイントか。話には聞いていたが、本当にあるんだな」


 それなら燦にも魔法少女の使命に相応の対価が支払われているのだ、とソルグランドは、大我として安堵する。そしてマジポイントと触れてこなかったのが分かるソルグランドの発言に、アワバリィプールは何とか顔には出さずに驚きを押し殺すのに成功する。


「あはははは、そうだよ~? ソルグランドさんならたっくさんポイントが貯まっているだろうから、贅沢し放題のはずだよ? 家に帰ったらチェックすると良いよ。それか、担当の妖精とよーく話をしないと、損しちゃうから」


 ソルグランドの担当妖精が非道を働いて彼女から成果を搾取している疑惑、ソルグランドが第三勢力に所属するイレギュラーである可能性が、じわじわとアワバリィプールの中で大きくなる。

 マジチャンを始めとしたツールを使い、魔法少女間と政府、フェアリヘイムとの情報共有を、アワバリィプールは強く決意する。


「そうだな。普通の魔法少女ならそうするのが最善なんだろうが、俺はな……」


 大我は己の言動の一つ一つがアワバリィプールに誤解を与えているのに気づかず、腕を組んで真剣な顔で考え込むものだから、ますますアワバリィプールの誤解を深刻な方向で悪化させてしまう。

 アワバリィプールは可能な限りソルグランドから情報を引き出し、もし彼女が誰かにいいように利用されているのだとしたら、なんとしても力にならなければ、と小さな決意の火をチロチロと燃やす。

 このどう考えても働きと苦労が報われず、ただただ自分の命を危険に晒しながら戦い続けているとしか思えないこの少女の力になりたいと思うのは、それほど不自然なことではないだろう。


「それならあたしがいつでもラーメン奢るよ! ラーメンじゃなくってもさ、ご飯なら女の子一人分くらい、いつでも奢れるくらいにはあたしも頑張っているからね。

 あたしだけじゃなくってさ、他の魔法少女達もソルグランドさんに助けてもらって、お礼一つできないって凹んでいる子も居るし、次からはファミレスでもコンビニでもいいから、奢ってもらうといいよ。

 あたし達の気が晴れるし、ソルグランドさんもお腹いっぱいになるし、お互いの得になるじゃんね」


 大我にとってなんとも魅力的な提案だ。

 無我身市の廃墟を漁って貴金属の類を得たとしても、厳正な管理のなされている現在の日本で現金に換える伝手はなく、それこそ競馬や競艇といったギャンブルに打って出るしかないのでは、と思い悩んでいた大我にとっては、食事事情を改善しつつ守るべき魔法少女達との接点と交流を増やす提案である。

 しかし、精神的空腹を満たし、理性のほとんどを取り戻した大我は気づいていた。気づいてしまっていた。みっともなく人前で涎を垂らし、孫娘と同年代の魔法少女に食事を奢られた、という大人して恥ずべき現実を。

 はた目には深刻な表情を浮かべて、憂いに満ちたこの世ならぬ人外の美女めいた雰囲気を出しているが、内心は穴があったら入りたいと言う羞恥に耐えている大我であった。


(五十以上年の離れた子供に、いくら腹が空いていたからとはいえ、ラーメンを奢ってもらって、救いの手まで差し伸べられる。……情けなし。あまりに情けない。そして一理あると思ってしまう自分が居るのが、なおさら情けない)


 大我はこれまで以上に生活基盤の充足と早急な金策に、頭を悩ませることとなる。

 その一方でソルグランドの背景が想像以上に悲惨な可能性があると誤解し、アワバリィプールを始めとした魔法少女達がソルグランドの保護も視野に入れ始めるのを、大我は知る由もなかった。



 ラーメンの礼を何度も重ねてから、大我は妙に引き留められたなぁ、と呑気な感想と共に根城としている無我身神社に酷似した神域へと帰ってきた。

 お堂の中にある大きな鏡から戻り、恥と引き換えに満たされたお腹をさする大我だったが、境内になにかの気配があるのを察して、たちまち獣耳が後ろに倒れて警戒の意識が滲みだす。


「侵入者か? 気配は分かるが、敵意は……」


 いつでも闘津禍剣を呼び出せるように意識しながら、大我は一気に戸を開いて境内から感じる気配の主を見た。大我の顔に戸惑いが浮かび上がる。その視線の先には赤い鳥居の上に停まる三本脚の大きな鴉を映し出している。

 三本脚の鴉とくれば日本神話を学習中の大我には、すぐにピンとくるものがあった。最近ではなにかとシンボルマークとして利用される機会も多い。


八咫烏やたがらす、か?」


 やたがらす、あるいはやたのからす。導きの神であり、また太陽の化身ともされる。出典によるが高木大神や天照大神から遣わされ、神武天皇への帰順と別々の相手に求める大役を任されている。

 その存在を語る資料が複数存在し、異なる逸話が語られるが、いずれにせよ祭神として祀られるだけの格を持つ存在であるのは間違いない。日本神話のエッセンスをたっぷり持ち合わせている大我としては、無碍に扱える相手ではない。

 戦闘に備えて高めていたプラーナを鎮め、大我は慎重に八咫烏へと向けて進んでゆく。


「そう警戒せずとも結構ですよ、真上大我さん。それともソルグランドとお呼びするべきでしょうか」


 驚いたことに、あるいは驚くほどのことではないのか、八咫烏は流暢な言葉遣いで大我に話しかけてきた。涼やかで品の良い男性の声である。古事記や日本書紀に語られるエピソードでも、この声で神武天皇への恭順を求めたのだろうか。

 話しかけられるのとほとんど同時に、大我は理解した。なんちゃっての自分と違い、この八咫烏は本物の神に連なる存在だと。理屈ではなく桃で出来ているかもしれないこの体と、日本人として生を受けて一度は死んだ魂がそう感じている。


「二人の時は大我と。他人の目と耳がある時にはソルグランドと呼んでいただければ、助かります」


 畏まり、膝を着こうとする大我を鳥居の上の八咫烏がやんわりと制止する。


「膝を着く必要はありませんよ。この私は貴方の為に遣わされたのです。それに今の貴方の肉体が特別なものであることは、よくご存じでしょう」


 そう口にすると、八咫烏はふわりと鳥居から飛び立ち、大我の目の前まで来ると羽ばたきもせずに浮遊して見せる。軽く物理法則を無視しているが、導きの神と崇められる存在ならば、この程度は容易いだろう。


「真上大我さん、既にある程度は察しておられるでしょうが、貴方がシロスケと呼び、幼いころに遊んだ犬は私と同様に、この国の古き神々の遣いでありました。まあ、貴方達と遊んでいたころは、なにかしらお役目があったわけではないのですが」


「やっぱりシロスケも。では、俺が立っていたあの坂はやはり黄泉比良坂で間違いないのですね?」


「ええ。今のこの世界に死後の行き先は複数ありますが、貴方はあのままでしたら黄泉比良坂を下り切り、黄泉の国の住人となっていたでしょう。そこにシロスケが待ったをかけ、貴方を特例としてその肉体を与えた上で、現世に還すこととなったのです」


 むう、と唸り、大我は腕を組む。八咫烏の言葉は大我の推測がおおむね当たっていたのを、保証したものだった。あの呑気な顔で子供の頃の自分達と遊び回っていたシロスケが、本当に神の遣いだったとは、いやはや。


「となると俺の役目はやはり魔法少女達の助けになることでしょうか。少なくとも今日まで、そのつもりで励んで参りました」


「ええ。この国に留まらず星より神の息吹は消え去り、人の子らが霊長として生きる時代なのです。神々の庇護なく人の子が繁栄も停滞も破滅も選べる世なれば、少なくとも我々はもう手出しをするつもりはありませんでした。

 しかし、人の子らに依らぬ災厄がこの世に齎され、それに立ち向かう童女達の悲痛な声、そうせざるを得ぬ大人達の嘆きは止まず、これには多くの者達が胸を痛めました。

 そこでついに我々も行動を起こす事となり、シロスケとお孫さんの縁、素質、人格など諸々を鑑みた結果、貴方に白羽の矢が立ったのです。貴方にとっては事後承諾もよいところでしょう。その点に関しては謝罪いたします」


「いや、神様に謝られるとこっちの方が気まずいというか。それにあのままだったら死んでいたのは間違いないわけですし、俺も孫や他の子供らの力になれるのなら、性別が変わったくらいはなんて事はないですよ」


 とはいうものの、変わり果てた自分を見るのはまだ若干つらいので、なるべく鏡や窓ガラス、水面は直視しないようにしている大我だった。

 八咫烏は大我の発言に少し肩の荷が下りた様子だった。神の遣いと言う割にはどうにも丁寧な対応と言うか、大我を相手に親身な対応をしてくれている。

 ひょっとしたら神話に語られる八咫烏とは別の個体か、あるいは分霊であるかもしれない。いずれにせよ大我が図に乗って良い相手ではない。


「ん? となると俺は妖精と契約した魔法少女ではないってことになるわけですか? 既に魔法少女と名乗ってしまいましたが……」


「かの者達の齎したプラーナ……すなわち生命力変換による存在改竄と貴方は異なりますよ。用いられている技術も、行使できる力の質も。

 貴方はプラーナを使いつつも同時に霊力、そしてこの国の多くの神々の権能と神通力を分け与えられ、肉体はオオカムヅミ、神である桃を軸にシロスケの神威を分け与えられて作り出された特別なものです。

 葦原の中つ国を見守る神々の化身であり、分霊の集合体であり、しかしながら人間でもある。貴方の魂は生と死を知り、女の肉体に男の魂を宿し、更に人と神の性質双方を備えている。魔法少女とは根本的に異なる存在なのですよ」


「そいつはなんとも豪気な。……それにしても、盛り過ぎでは?」


 シロスケが犬だったら、ひょっとしたら山犬=狼の神の化身とかに自分はなったのかな? と思っていたが大我だが、日本神話に語られる神々の集合体、すなわち八百万の神々と言う概念の化身とさえいえる。

 これはいくらなんでも、大我の想定とはスケールが違いすぎる。それを考えれば、大我の盛り過ぎでは? という発言も当然のものだったろう。


「……少し」


 八咫烏もそう思っていたらしく、困ったように小首を傾げながらそう答えるのだった。


「とはいえ力と権能があって困る場面はそうそうないでしょう。もちろん、貴方がその力を制御できるという前提あればこそです。私はその為にも、貴方をこれから補佐するべく遣わされました。

 八咫烏の末席に名を連ねている若輩者ですが、これからどうぞよろしくお願いします」


(種族なんだ、八咫烏)


 どうやら大我にも魔法少女によくあるマスコットキャラクターが出来るらしかった。

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