徒花の鍛冶師

shinobu | 偲 凪生

第一話 十五歳、夏。

(一)はじまりの赫

   §




(この世界は、わたしにとって不公平だ)


 少女は嘆息してから雲ひとつない空を仰いだ。

 肩上で切り揃えられた濡れ羽色の髪がさらりと揺れる。同じ色の瞳は澄みわたる青を映すと、大きく瞬きをした。

 姓を火宮ひのみや、名をはな

 齢は十五。

 生まれ育った山陰の集落は四方を山に囲まれていて、自然が豊かだと人々は口を揃える。

 華は他の土地を知らない。しかし、けたたましい蝉の鳴き声は決して快いものではない。むせ返るような草いきれに眉をひそめ、つぅと流れる汗を拭う。

 日課である洗濯は、水を使っているというのに涼しさとは縁遠い。

 じりじりと、陽の光が肌を焦がす。


(わたしが男だったら、今頃……)


 それは、何千回、何万回と繰り返してきた想像だ。


 今、華がいるのは、屋敷の広い庭。

 華がもし男であれば、鍛冶工房で燃え盛る炎と向き合い、別の汗を流していただろう。


 華は代々続くの一族だ。

 生まれる随分前に廃刀令が政府から出されたものの、骨董品として刀の価値は上がる一方。実際に、華の父親である刀匠が鍛えた刀を求めて、全国からひっきりなしに客が訪れる。


 ところが刀の鍛錬は一子相伝。しかも、男に限定される。

 女の華では、決して跡取りにはなれない。


「ほぎゃあ、ほぎゃぁ……」

「あっ」


 屋敷から赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、華ははっと我に返った。

 慌てて縁側まで走ると乱暴に草履を脱いで上がる。

 やわらかな布団の上で己を主張するのは、華の弟、ともだ。

 まだ首のすわらない倫を慣れた手つきで優しく抱え上げて、華はその顔を覗き込む。


(おしめはさっき替えたばっかだし、なんだろう……)


 ふたりの母親は、倫を産んだ際の産後の肥立ちが芳しくなく集落外の病院で療養している。通いで来てくれている乳母がぎっくり腰になってしまい、ここ数日は華が面倒を見ていた。


「よしよし……」


 倫は眠かっただけのようで、華の腕のなかで揺られはじめると、あっという間にすやすやと寝息を立てはじめた。

 起こしてしまわないように、華はそっと倫を布団に戻す。  


「……わたしも、男の子に生まれたかったな」

「それは困る」

朔夜さくや!」


 変声期前の軽やかな少年の声に華が振り向くと、庭に、仕立てのいい洋装の少年が立っていた。

 きちんと手入れされた艶のある短髪も、垂れ目も黒。肌はきめ細かく、人形と見間違えてもおかしくない雰囲気を醸し出している。


「君が男だったら、僕と結婚できないじゃないか」


 華はその言葉にぽっと頬を赤らめて俯いた。

 朔夜という名の少年は、集落の長の息子だ。そして親同士が決めた華の婚約者でもある。


「それに、ずっと考えていたんだけど、女でも鍛冶師になればいいと思うんだよ」

「どういうこと?」


 華が縁側でちょこんと正座すると、朔夜は隣に腰かけて、帽子を縁側に置いた。歩いてきただろうに汗ひとつかいていない。


「おじさんが華を鍛冶工房に入れてくれないのなら、他の人に頼めばいいのさ」


 朔夜は、にっこり、という表現がまさにぴったりな笑みを浮かべた。




   §




 華は鍛冶工房の入り口で足踏みした。


「本当にいいの? もし父様に見つかったら、みんな、ただじゃすまないよ」


 頑強な石造りの工房は、代々受け継がれてきた伝統ある仕事場だ。

 中ではふたりの弟子が作務衣さむえ姿での調整をしていた。

 送風機であるふいごに空気が押し込められる度、ごおお、と炎が燃え盛る。まるで生き物のような唸りを上げ、を今か今かと待ち構えているようだった。

 弟子のひとりが、華の隣に立つ朔夜を見遣った。


「坊ちゃんが上手いことやってくれるって言うんで」


 華は朔夜へ顔を向けた。ほんの少しだけ眉を吊り上げる。

 

「だけど、朔夜。あなただって怒られるかもしれないのに」

「大丈夫だよ。おじさんは僕に甘いから」

「えぇえ……」


 文字通り、華は頭を抱える。

 もう一人の弟子が刀の材料となる玉鋼たまはがねをふいごの脇にある火床ほどで熱しはじめた。そして、笑いながら華を手招きする。


「そうそう。それに、お嬢はずーっと刀を鍛えたいって言ってたじゃないですか」

「ちっちゃい頃を思い出しますね。ずっと、そこで師匠の手元を見つめてた」


 弟子とはいえ、華が幼い頃から鍛冶工房にいる男たちだ。

 華にとって彼らは親戚のような存在でもある。


「だ、だけど」


 ぽん。それでもなお躊躇する華の背中を、朔夜が優しく叩いた。


「行っておいで、華」

「……うん」


 華は意を決して、鍛冶工房へと足を踏み入れた。

 ごぉっ! 一気に炎の熱が届く。まるで、外とは別世界だ。


「お嬢はここに座ってください」


 華は火床の脇、横座へと案内され、恐る恐る腰かけた。見た目より熱くないのは興奮しているからだろうか。


「火の粉が細かく立ち昇ったら合図です。さぁ!」


 弟子たちが大きな追いづちを手にする。準備は万端だ。


(朔夜が用意してくれたせっかくの機会。やるしかない)


 ――何故なら華は憧れているのだ。鍛冶師に。父の跡を継ぐことに。


 決意してしまえば早かった。

 華は火箸を手にした。火箸で玉鋼を火床から取り出して、金床かなどこへ移す。

 本来であれば横座の華が指示係。弟子たちへ叩く強度などを指示しなければならない。

 しかし勝手の分からない華の代わりに、完璧な間合いで弟子たちが玉鋼へ向かって大槌を打ち下ろす。


 ばんっ!!!


 火花が勢いよく左右に飛び散った。

 曼殊沙華のごとき繊細で力強い赫色。

 華の周りに鮮やかに咲き誇り、まるで、少女の運命を祝福しているかのようだった。


 その瞬間、華の世界は、一変した――

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