【書籍化】後宮の嫌われ白蛇妃ですが、推しのためなら悪意も美味しくいただきます!〜えーっと、殿下は推しじゃないです。なので溺愛はご遠慮ください〜

碧水雪乃@『後宮の嫌われ白蛇妃』発売中

0 皇太子、幼女の姿になる


「なにも見渡せぬ背丈。剣どころか筆もろくに握れぬ小さな手。そのうえこんな、こんな……」


 五歳ほどの見た目をした可愛らしい幼姫おさなひめが、眉間にシワを寄せて驚愕に打ち震える。


「こんな姿になるなんて! 俺は一体どうすればいいんだ……っ」


 腰のあたりまで伸びている長い髪は、もともとの紺青がかった色みを失い真っ黒に染まっている。

 先ほどまで着ていた濃紫の深衣はぶかぶかになり、引きずるどころか毛布を被っているかのように床に落ちていた。

 いつもなら身体に馴染む執務机はものすごく高く感じてしまい、腰掛けていた椅子からは自分ひとりで降りられそうにない。


「ふぅむ。とうとう昼間まで完璧な幼女になってしまった、と。これはまた厄介なことになりましたね」


 淹れたてのお茶を持って入室してきた中性的な容姿を持つ端麗な黒髪の補佐官は、「絶世の美青年と謳われる美貌はどこへやら」と涼しい顔で他人事のように言う。


「とりあえず、一人称を〝わらわ〟にでも変えたらどうです?」

「適当なことを言うな。くっ……なんたる屈辱……っ! こんな怪異があってたまるか。これじゃあ、いいまとだ。早死に確定じゃにゃいか……!」


 天藍宮てんらんきゅうの執務室には、皇太子としての威厳が意図せず消え去ってしまった紫淵シエンの、舌足らずで可愛らしい鈴を転がすような声が響く。


「紫淵様。ひとつ、昔話をしましょうか」

「なんだ宵世ショウセ。今はそんな場合じゃない」

「幼姫のお茶の時間には、ちょうどいい物語ですよ」


 宵世は茶器を執務机に配膳し、主人のぶかぶかになった両肩の深衣を整える。


「昔々、今から千年以上も前のこと。闇夜に青紫の燐火りんかが浮かび、この国のあちらこちらにあやかしが跋扈ばっこしていた時代の話です」


 紫淵は心底不服そうな顔で、語りだした補佐官を見上げた。



 ◇◇◇



 その昔――後宮に召し上げられた白家の姫は、原因不明の病に苦しんでいた。

 彼女は大層な美姫であったが病が進行し、ついには後宮を辞すことになる。

 清明節せいめいせつを機に白州に帰郷した姫の病を治したのは、燐火を纏って現れた人ならざるもの。

 血のように赤い瞳を持つ白き大蛇だった。


『人の子よ。そなたの病の原因になっていた呪詛我が祓い清めた。先の世も安心して暮らすがいい』

『ありがとうございます、白蛇はくじゃ様。ですが長らく病にせっていた私には、治していただいた代わりに差し出せるものなどありません。このご恩になんと報いたらよいのでしょう』

『では娘、そなたをにえとして我が娶ろう。その命が尽きるまで我とともに生き、我に尽くせ』


 大蛇は人の姿をとると、返礼に姫との婚姻を迫った。

 白き大蛇と人間の生贄花嫁による禁忌の異類婚姻の末、ふたりの間には娘が生まれる。

 白髪と紅瞳を持った娘。――『白蛇の娘』だ。

 その娘には、〝悪意をあやつる異能〟があったという。



 ◇◇◇



「当時の皇帝は、それが危険な異能であると悟っていました」


 だが、しかし。古代より九星きゅうせいに基づき治められているこの国の慣例に従い、『白蛇の娘』は後宮妃として迎え入れられた。

 そして皇帝の憂いは現実となり、悪意をあやつる異能は、後宮に恐ろしい災いをもたらしたのだ。


「最初の『白蛇の娘』が死んだ後も、白家には数十年に一度、次の『白蛇の娘』が生まれました。それから後宮に『白蛇の娘』が入るたびに幾人もの妃嬪が死に、不可思議な事件……いわゆる怪異が頻発しました」


 犯人は白髪に紅瞳を持った、『白蛇の娘』。


「彼女たちはいつの世も、処刑される間際に不気味に微笑んでいた」


 まるで『次こそは悲願を成し得る』と、人間を嘲笑うかのように。


「『白家白蛇伝』か。誰もが知る有名な物語だな。『白蛇の娘』の場合は言い逃れできないほど死に関わりすぎたが、長い歴史を見れば後宮での怪死はそう不思議なことでもない。後宮ではいつも誰かが殺し、誰かが死ぬ」


 幼姫は気だるげに、椅子の肘掛けで頬杖をつく。


「それに実際には、『白蛇の娘』が異能を行使している瞬間を見た者はいなかったそうじゃないか。ただの猟奇的な暗殺かもしれない。こんな、姿が別人に変わってしまう怪異があるのだから、異能を否定するわけではないが」


「そうですね。けれどもし本当に、『白蛇の娘』が人々の悪意を操り、呪詛をばらまき、怪異を生めるのだとしたら……その逆もできるかもしれない」


「なるほど? 悪鬼も元を正せば人間であったと仮定するならば……――妾を蝕む悪鬼の呪詛も、この意味不明な怪異も、解けるかもしれないというわけだな?」


「…………妾」

「なんで妙な顔で笑うんだ、宵世。お前が言い出したんだろう、一人称から変えろって」

「あはは、いえ。……ごほん。お似合いですよ」


 紫淵の問いかけに薄く笑った宵世は、優等生的なにこやかな笑顔を作り頷く。


「歴代の白蛇の娘の悪虐非道を思えば、紫淵様には今代の白蛇の娘にもあまり関わってほしくありませんが、仕方ありません。彼女が呪詛を解けなければ、紫淵様の怪異も終わらず、下手をすると一生そのままのお姿でしょう。……迷信はお嫌いですか?」


「いいや? 面白い。白蛇の娘に会ってみるとしよう」


 幼姫は舌足らずに宣言すると、その顔に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべた。



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