第4話 離宮の庭園にて①

 離宮の庭園には、むろん王族と庭園で働く者しか入れない。しかし、エレイナは特別だ。

 もともと花が大好きで、小さなころから入り浸っていたせいで、植物の知識は誰よりも豊富だった。

 その甲斐あって、庭園の管理役として抜擢されたのが、ルシオがいなくなった一年後、十三歳のとき。以来、五年にわたり庭園のデザインや、珍しい草花の調達を任されてきた。

 植物に関する文献を読み漁ったり、定期的にやってくる旅商人にまだ知らぬ花を尋ねたりと、案外やることも多い。しかし、これがエレイナにとっては生き甲斐でもある。女のくせに、などとひと言も言わず、自由にやらせてくれる父には感謝しかない。

 屋敷をあとにしたエレイナは、荘園を見にいく予定を取りやめにして、庭園に来ていた。

 ここは気持ちを落ち着けるには最適の場所だ。母が亡くなったときも、ルシオが王宮へ上がったときも、悲しいときはいつだってここへ来た。

 いつものように、元気のない花がないか、害虫がついていないかと庭園の径を見て回る。状況はまずまずのようだ。自分自身がどんな状況にあろうとも、花はいつもと変わらず朗らかに咲いて、美しい姿を見せてくれる。

 ふと、道の際にある鮮やかなオレンジ色の蕾が目に留まった。

 天使の鐘だ。

 はち切れんばかりに膨らんでいるので、間もなく開花が訪れるだろう。……ということは、ルシオとけんか別れしてしまったあの日から、ちょうど六年が経つということになる。

 エレイナはきょろきょろとあたりを見まわした。

 幸い庭園にはだれもいない。エレイナはあの日と同じように、ドレスの裾をたくしあげて道にしゃがみ込む。

 大人になった今なら待っていられる。さあ、数を数えるのよ。

 一、二、三……

 ところが、百数えても、二百まで数えても、天使の鐘は一向に綻ばない。蕾をよく見れば、花びら同士の継ぎ目がまだ厚いようだ。

 きっとあの日も、いくつ数えてもその瞬間は見られなかったのだろう。子供は純粋だから、自分が願えば希望はいつだって現実に変わると思い込んでいる。

 さあ、と風が吹いて、庭園に咲き誇る花々の香りが運ばれてきた。

 確か、ルシオに最後に会った日も、こんな風に穏やかな日差しが降り注いでいた。青い空には、さえずりながら羽ばたいていく小鳥。湿った土の匂い。大好きな幼なじみと過ごす、懐かしい時間――。

 ふいに、あの日の状況が鮮やかによみがえって、胸が苦しくなった。

 屋敷を出てからずっと堪えていた涙が、エレイナの頬をぽろりと転げ落ちる。

 もう後戻りはできない――そう悟った瞬間に、思い出は何故こんなにも輝くのだろう。

 幼い頃のままの姿で、彼は胸の中で微笑み続ける。最後にあんな別れ方をしたのに、思い出の中の彼はいつだって優しかった。

 そのとき。

「まあ、どうかなさったの?」

 突然後ろから声をかけられて、エレイナはびくりと肩を震わせた。

 涙を手の甲で拭って振り向くと、そこにはやけに背の高い、いかにも高貴な生まれといった感じの見目麗しい女性が立っている。

 歳の頃はエレイナと同じくらいだろうか。見事な黒髪を高い位置で結って、カールした後ろ髪を肩にふわりと落としている。

 襟の詰まった空色のドレスは、レースをふんだんにあしらった極上品。身につけているペンダントも髪飾りも、とても高価なものだとひと目でわかる代物だ。

 しかし、何よりも彼女の美しさを際立たせているのは、海のように深い青色をしたその瞳だろう。その青さを、陶器にも似た滑らかな肌が際立たせている。

 ――なんて素敵な人。

 たった今まで泣いていたことも忘れ、うっとりと見惚れるエレイナだったが。

 自分がとんでもない格好をしていることに気づいて、慌てて立ち上がる。

「い、いえ、なんでもないのです。ちょっと目にゴミが」

「そう。よかったらこれをお使いなさいな」

 女性が優雅な手つきで差し出したハンカチを借りて、エレイナは目元を押さえた。

 ハンカチからはとてもいい匂いがする。ちょっとやそっとでは手に入りにくい、異国の地で作られた香水かもしれない。

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