第2話 温泉魔法
「うおおおおおおおお!?」
突如、足場の無い空中に放り出された俺は、手足を動かして藻掻いた。特に何も掴まるものが見つからずにそのまま落下、事態への理解が追いつかないままに今度は水が俺の全身を包む。思わず水を飲んでしまって水中で咳き込みながら、なにか池か海のようなものに落下したのだとようやく気付く。
【翻訳魔法を獲得しました】
なにか視界の片隅にメッセージが見えた気がしたが、そちらを見る余裕が無い。しばらく水中で暴れて溺れかけてから、足が付く程度の深さであることに気付いた。立ち上がって全身から水を滴らせながら俺は盛大に咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ! スパクアァッ、何しやがるっ!」
「あの、大丈夫ですか?」
転移するにしても他にもっと良い場所があっただろうと女神様に叫んでみたが、代わりに返ってきたのは他の女の声だった。改めて周りを見てみると、どうやら俺は森林の中の泉に落ちたみたいだった。スパクアと出会った温泉に似ているが、生えている木々や植物は見たことのないものだ。泉の温度も低く、温泉法が定める25度以上には到達していないだろう。
声のしたほうに振り返ってみると、銀髪の女がこちらを心配そうに見ていた。水浴びでもしていたのか、服を着ていない。腰まで伸びた銀髪やシミ一つ無い白肌から水滴が滴り落ちる。――こんなのばっかだなっ!
「失礼っ!」
俺は謝りながら、女とは逆方向を見るように身体を捻った。
「あら、お気になさらず。わたくしの美しい身体に見られて恥ずかしいところなど、どこにもありませんからね」
どこかで聞いたようなセリフだった。自慢気に身体を見せつけてきた女神様の顔が浮かぶ。
「女神スパクア……」
「あら、よく分かりましたね。わたくしはスパクア教徒です」
後ろにいるので表情は見えないが、嬉しそうに声が弾んだのが分かった。
あの女神を信仰している人間がいるのか……。ろくな教えを広めてなさそうで不安だ。もっと話を聞きたいところだが、女が裸のままだと気まずくて話しづらい。そして今気付いたのだが、俺も裸だった。あの女神、俺に何も渡さずに転移させやがった……!
胸元に燃え盛る炎のような黒いタトゥーが施されているのも気になる。生前には無かったものなので、これもスパクアの仕業だろう。
あまり人を頼りたくはないのだが、今の状況ではどうしようもない。仕方なく俺は、見ず知らずの女に助けを求めることにした。
「あの、すみません。何か着るものあります?」
「うふふ、服を着る前にもっとわたくしの美しい身体を見ても良いのですよ?」
「今それどころじゃねぇんだわっ!」
首から膝まであるワンピースのような衣服、チュニックを譲ってもらった俺は早速それを着てみた。なんだかファンタジーに出てくる村人のような格好にワクワクしながら、泉のほとりであぐらをかいて女と向かい合う。
「アメリア・スターリングです。ああ、敬語は使わなくて結構ですよ。冒険者同士では粗野な話し方のほうが好まれますからね。わたくしのこの話し方は癖のようなものなので、お気になさらず」
「
仕事をやめてからはカジュアルな英語ばかり使っていたこともあり、すっかりフォーマルな話し方を忘れてしまった。もう異世界ではこの話し方でいくか……とまで考えたところで、強烈な違和感を覚えた。アメリアが使っているのは明らかに異世界の言語だ。彼女が使っている言葉を理解できて、同じ言語で話せているのは何故だ?
俺は先ほど視界に浮かび上がったメッセージを思い出してみた。
【翻訳魔法を獲得しました】
この翻訳魔法によって、アメリアの言葉が理解できるようになっているのは間違いないだろう。
転移する前に、スパクアはたしかこう言っていた。
『君にはすっごい魔法も上げるよ? いわゆるチートだよチート』
つまり、これが女神が言うところのチートか。あの物言いで翻訳魔法だけ、ということも無いだろう。何らかの条件を満たすと魔法を獲得できる能力、だと思いたい。俺があれこれ考えていると、アメリアが微笑みながら問いかけてきた。
「ユツドーさんは異世界転移者なのですか?」
「……そんな質問が出てくるほど、この世界には異世界転移者が多いのか?」
「女神スパクア由来の転移者は、数十年に一人ぐらいでしょうね。わたくしは前にも転移者を見たことがあるので一目で分かりましたよ」
「へえ……」
数十年に一度では、この世界で知り合いと会う可能性は無さそうだ。俺はダメ元で、この世界に来てから翻訳魔法を得たこともアメリアに話してみた。何か情報を得られるかもしれない、という期待以上の答えがアメリアから返ってくる。
「温泉魔法でしょうね。女神スパクアがこの世界に送り出す異世界転移者の中でも、最も気に入られた転移者に与えられる魔法だと聞いています。伝承によると、温泉に入るだけで経験値が貰えるうえに、新しい温泉に入るたびに魔法が与えられるとか」
温泉に入るだけで魔法が与えられる魔法。だからあの泉に入るだけで翻訳魔法が手に入ったのか。温泉というにはあまりにも水温が低いため、日本人が定義する温泉と女神スパクアが定める温泉はまた違うものなのかもしれない。色々な水源に入ってみて試す必要がありそうだ。
「あんた、ずいぶん詳しいんだな」
「うふふ、敬虔なスパクア教徒ですからね。女神スパクアの転移者については詳しいですよ」
アメリアが自慢気に豊満な胸を張る。アメリアは胸元を隠す布と短いスカートという露出の多い格好をしており、その上から魔法使いのような黒いマントを羽織っている。肌を見せびらかすような格好も女神スパクアを見習っているのだろうか?
「たまたま最初に翻訳魔法を覚える泉に放り込まれて、たまたま女神スパクアに詳しい信者がその場にいた……って訳じゃねえよな」
「ええ、おそらく全ては女神スパクアの思し召しでしょう」
ここまでがスパクアによるチュートリアルという訳だ。放任主義ってわけでもないらしい。温泉魔法とやらがあるのなら、今後の大きな方針は決まったようなものだろう。まずは食料の確保、次に近場の温泉を探して新しい魔法の獲得。村や街に行くのも良いかもな。地図さえ手に入れば、ブヘマウへの道のりも分かるだろう。
世界中の秘境の温泉を巡ったこともあり、幸いにしてサバイバルには慣れている。
俺は立ち上がると、アメリアに頭を下げた。
「色々ありがとう。助かったよ」
「あら、もうお別れですか? わたくしはこれから西側の温泉に向かうところなのですが、一緒に行きませんか? 食料もお分けしますよ」
「……そりゃ俺は助かるが、あんたに何の得があるんだ?」
食料を貰える上に、温泉にまで案内してくれるのは、俺にとって都合が良すぎる。
どうしても俺を引き止めるアメリアを、疑いの目で見てしまう。前の世界で、旅をしている途中で親切なフリをした人間に金を盗まれたことがあった。善意で動いているような口ぶりの人間を信用することはできない。
だから、アメリアが何の交換条件も出さないようだったら、ここで別れるつもりだった。
アメリアはいたずらっぽくウインクした。
「言ったでしょう? わたくしはスパクア教徒なのですよ。もし女神スパクアにまた会った時は、このアメリア・スターリングに出会わなかったら死んでいたと、そう伝えてくださいね」
信仰する神様に自分を宣伝しろと来たか。厚かましい願いに思わず俺は笑ってしまった。悪くない答えだ。
アメリアが差し出してきた右手を掴んで、握手する。
「分かったよ、女神スパクアに会ったら必ず伝えるさ。よろしく、アメリア」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。ユツドーさん」
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