第13話 料理教室

「え、えっと、それじゃあ、料理を教えて行きたいんだけど……」

「うっす、お願いします!! 先生!!」

「えっと、一つ、良いかな?」

「何ですか、先生!!」

「ふ、服装……どうにかならない?」


 僕とルナさんは授業後、バイト先の喫茶店に来ていた。

 本日は定休日ということもあって、店長と副店長に料理を教えたいという話をした所、快く貸してくれたので、ここでルナさんに料理を教えようと思って足を運んだ。


 そこまでは良かった。うん、良かったんだ。

 僕はチラっと隣を見る。ルナさんはのミニスカメイド服に身を包んでいる。

 それは看板娘として働くルナさんの正装? であり、僕の趣味全開のものだ。

 ルナさんは僕の言いたい事が分からないのか、首を傾げる。


「えっと……これ、オタクが作ったんだよね?」

「つ、作ったっていうか、デザインしたよ?」

「それはつまり、オタクの趣味って事だよね? このえっちなのが」

「え? えっと……」

「おっぱい、見えるもんね」

「……はい」


 ずずい、っと僕に向けて一気に顔を近づけ笑顔になるルナさん。

 おかしい、いつもの快活で可愛らしい笑顔なのに、物凄く怖い。

 ルナさんは恥ずかしそうに胸元を隠しながら、言う。


「……えっち」

「じゃ、じゃあ、着なければ……ちゃんと服あ――痛い!?」


 いきなり、僕の脛を軽く蹴られた。

 でしでし、と何度もルナさんが蹴ってくる。

 蹴りながら、ルナさんは僕に湿った眼差しを向けてくる。


「乙女心を察しなさい、オタクは」

「お、乙女心!? いたい!? ぼ、暴力反対……」

「ふん、オタクがバカなのがいけない」

「ば、バカって……」


 僕は改めてルナさんの服装を見る。

 確かにちょっとやりすぎたかもしれないけど、ルナさんに物凄く似合ってる。

 ルナさんはスタイルが良い。おっぱいも大きいし、太股だってむちむちで、お尻も大きい。なのに、ウエストがくびれてるなんて何かのバグだと思う。

 だから、服がえっちだけど、ルナさんの雰囲気で余計にえっちに……。


「オタク? 目線がやらしすぎ」

「え……あ、ごめん……」

「……ク、しちゃうからやめてよ」

「え?」


 き、聞き取れないくらい小さな声で全然分からなかった。

 でも、それ以上言うつもりはないのか、ルナさんは軽く手を叩く。


「はいはい。オタク、料理教えて」

「あ、うん。えっと……ルナさんは料理経験はありますか?」

「無いです!! 今日、初めて作りました!!」

「えっと……調理実習とかは?」

「あー、あれは食べる係」

「……なるほど」


 ルナさんは料理経験が皆無だと言う事が分かった。

 だとしたら、本当にあのお弁当は自分なりに精一杯頑張ってくれた、という事なんだろう。

 僕はそれが嬉しくなる。


「ふふ、じゃあ、今日は簡単に卵焼きから」

「卵焼きね。レシピは知ってるよ。まずは卵を割るんでしょ、任して。それくらいはよゆーよ」


 そう言いながら、予め机の上に用意していた卵を一つ手に取るルナさん。

 その顔には余裕、と堂々と書かれているように見える。

 うん、卵を割るのはね、流石に出来るよね。

 僕は卵を片手にボウルの前に立つルナさんを優しく見守る。


 ルナさんは一つ息を吐き、集中する。


 ルナさんは卵を勢い良く机の角に当てた瞬間、ベキっと力加減を間違えたのか、中身が飛び出してくる。

 でろーん、と垂れる黄身と白身が机の角から滴り落ちてくる。


「……あ。ミスった」

「る、ルナさん? 今のは明らかに強すぎ。もっと優しく……」

「つ、次はイケるし!! お、オタクはそこで見てて!!」

「う、うん」


 ルナさんは一度卵をボウルの中に入れ、次なる犠牲者……じゃなくて、卵を手に取る。

 それからまたしても一つ息を吐き、今度は優しく卵をコンコン、と机の角でヒビを入れる。


「あ、良いよ、ルナさん。その調子」

「ま、まぁ、あたしにかかればこの程度……次も見てなよ」

「う、うん」


 何だかやっている事が低レベル過ぎる気がしなくも無いけど、それは気にしない。

 ルナさんはひび割れた卵を何も入っていない小さなボウルの上に掲げ、ヒビの入った部分に親指をねじ込む。


 バキィッ!?


 どろーん……。


 その指を入れた勢いが強すぎたのか、中身が零れ落ちてくる。

 ルナさんは慌てて、卵を割るが、ボロボロに砕け散った卵の殻が黄身と白身の中へと落ちていく。

 ああ、殻だらけに……。


 僕はボウルの中を覗き込んでから、ルナさんを見た。

 ルナさんは呆然とし、動けず、ただただ、卵を割った状態のまま固まっていた。


「…………」

「ルナさん? だ、大丈夫?」

「……お、オタクぅ……あたし、やっぱ、料理のセンス無いよぉ……」

「え? た、卵割れないだけだよ? 大丈夫、僕が教えてあげるから」


 自分の不甲斐無さに落ち込むルナさんに僕はもう一度卵を渡す。

 

「ほ、ほら。次は僕も一緒にやるから」

「え?」


 は、恥ずかしいけど、卵を割れるようにしてあげないと。ルナさんにはそこから出来るようにならないと。

 僕はルナさんの後ろに周って、その手を取る。

 

 うわ……す、凄く良い匂いがする……。


 ルナさんの香水の匂いなのか、それともルナさん自身が発する匂いなのか分からないけれど、甘くて優しい匂いが僕の頭をビリビリと刺激してくる。


 そ、それでも、料理を教えないと。


 僕は使命感でそれを無理矢理抑え込み、ルナさんの腕を掴む。


「え、えっとね」

「お、オタク!?」

「卵を割る時は、このくらいの力で、ヒビを入れるんだ」


 コンコン、とボールの縁で卵に軽くヒビを入れる。


「今ぐらいの力だと簡単にヒビが入るよ。ルナさん」

「……あ、え……う、うん……」

「それで、左手で」

「きゃっ……」


 突然、とてつもなく可愛らしい悲鳴を上げるルナさん。

 今は気にしてる場合じゃない。今はルナさんが卵を綺麗に割れるようにしてあげるのが大事。

 僕はルナさんの両手に自分の手を添えて、動かす。

 何だか、さっきよりもルナさん、暖かくなってる?

 でも、気にしたらダメ。気にしたら、僕の頭がおかしくなる!!


「このヒビの部分、分かる? ここなんだけど……ここをこうして、優しく……」

「……っ!? …………」

「る、ルナさん? 聞いてる?」


 ルナさんの様子がおかしい。

 あ、そこで僕は気付く。ちょっと耳元に寄りすぎてたかも。

 でも、今はそんな事を気にしている場合じゃない。

 気にしたら、僕の頭がおかしくなるから。ずっと鼻を通ってくるんだ、ルナさんの甘い香りが。

 

「ご、ごめん。ちょっと近かった? でも、我慢して」

「は、はぁ!? ちょ、まっ……」

「右手の親指、この親指を優しく……」

「お、おたく……ほ、ほんとうに……ちょっ……まっ……♡」


 な、何か、ルナさん、息荒くない?

 いや、気のせい!!

 僕は自分の手でルナさんの手が卵を割れるような形にする。


「親指を、差し込んだら……一気にこうして、開くと……ほら、綺麗に割れる。どう? ルナさん」

「……っ。ふー♡……ふー♡……」


 僕はそこで初めてルナさんの顔を覗き込む。

 そして、目を疑った。ルナさんの目がトロンとしていて、何か♡が見えた気がした。そ、それだけじゃなくて顔が真っ赤になっていたから。

 明らかに正気じゃない。僕は急いで声を掛ける。


「る、ルナさん!? だ、大丈夫!?」

「……ふえ♡? あ……え……~~~~ッ!? ば、バカあああああああああああああああッ!!」


 ゆっくりと正気に戻っていったルナさんは僕の顔を見るや否や、すぐに顔を真っ赤にする。

 それとほぼ同時にルナさんは自分の身体を隠しながら、僕に叫ぶ。


「オタクのバカ!! えっち!! すけべ!! ヘンタイ!! エロエロ大魔神!! バカオタク!! オタクバカ!!」

「え? る、ルナさん!?」

「あ、ああああ、あんな近くに来て、み、みみみみ、耳元で囁くなんて何考えてんの!? あ、ありえないし!!」

「え? あ、ご、ごめん」


 ああ、やっぱり、アレはダメだったか。

 僕も僕でルナさんの香りで頭の中がグチャグチャになりそうだったから、一気に進めたけど、ルナさんは相当怒ってる……。

 

「ご、ごめんなさい、ルナさん……その、嫌だったよね……」

「と、時と場所が……あーっ!! もぅ!! オタクが悪い!! 何であんな耳元で……あんなえっちに……」

「え、えっち!?」

「ち、違う!! えっと、うがあああああああッ!!」

「る、ルナさん!?」


 ルナさんは顔を真っ赤にしながら、何をどうしたらいいのか分からないのか、その場でのた打ち回っている。

 え、えっと……どうしたんだろ……。


「る、ルナさん、落ち着いて……い、一回、深呼吸しよう? はい、吸って~」

「すぅ~……」

「吐いて~……」

「はぁ~……」


 それを何度か繰り返し、ルナさんは僕から距離を取ってから、口を開いた。


「お、落ち着いたわ。ありがとう、オタク」

「う、うん、どういたしまして……もう大丈夫?」

「うん、多少は……」


 ルナさんは落ち着きを取り戻したのか、僕の隣に戻ってから、一つ咳払いをした。


「んんっ!! オタク、一つ約束しよう」

「え?」

「耳元で囁かないで。あの……色々ヤバイから」

「え……あ、ご、ごめん……もうしないね」

「いや、しないって訳じゃなくて、して欲しいって思ってるんだけど……こうね、心の準備が……」

「ルナさん?」

「はっ!? な、何でもない!!」


 今、ルナさんがとんでもない事を口走ってた気がする。

 囁いて欲しい、みたいな。え? そうなの?


「えっと……」

「何も言ってない」

「え? 今……」

「何も! 言って!! ない!!!」

「はい……」


 絶対に言ってたと思うんだけどな。

 ……もう一回やったら、分かるかな。なんて一瞬考えたけれど。

 ルナさんはボウルの中にある卵を見た。


「割れた卵を混ぜるんだよね」

「う、うん、そうだよ。優しく切るようにね。後ろで教えようか?」

「そ、そこで見てて!!! あたしの後ろ禁止!!」


 そう言ったので、僕はルナさんが卵焼きをする姿を眺める。

 それからは特段変わった事もなく、進んでいき、ルナさんも僕の言う通りに調理を進めていく。


「そうそう。そうやって、手首を使って……」

「こ、こんな感じ?」

「うん。あ、う、後ろ回っていい?」

「だ、だから、ダメだから!! 口で説明して!!」

「えぇ……難しいな……こう、クルってするの、クルって」

「分かりづら!!」

「だから、後ろに……」

「ダメ!! エロオタク!!」


 決して後ろに回る事は許されず、口頭で説明していき、卵焼きは完成した。

 僕の目の前には教えながらもルナさんの作り上げた一本の卵焼きがお皿の上に乗っている。

 お昼見た火の通りのムラもなく、形は少々歪ではあるが、それでも充分許容範囲内。


 ルナさんは自分の作った卵焼きを見つめ、目を丸くする。


「これ、あたしが作ったの? 朝と全然違うし」

「うん、頑張ったね。ルナさん」

「……うん!!」


 ルナさんは嬉しそうに満面の笑顔を見せてくる。

 本当にこの笑顔を見るだけで、教えた甲斐があったというもの。

 僕はルナさんに箸を渡し、口を開く。


「ほら、ルナさんが食べて」

「え……」

「ほら」


 せっかく作ったんだから、その張本人が食べないと。

 ルナさんは卵焼きを一口サイズに切り分けてから、それを箸で掴む。

 それから――。


「あ、あーん……」

「え?」

「く、口、開けて……か、カノジョが待ってるよ……」

「…………」


 ほんの少しだけ視線を下げながら、恥ずかしそうに言うルナさん。

 え? こ、これは恋人同士にだけ許された『あ~ん』というやつじゃ。

 そ、それを僕がやっていいんですか?


「い、良いの?」

「い、良いから……お、オタクに食べて欲しい……ほ、ほら、あ~ん」

「あ、あ~ん……」


 僕はルナさんに促されるがままに卵焼きを頬張る。

 口の中に優しい塩の味と卵の甘みが広がって、とても美味しい。


「ルナさん、美味しいよ。この卵焼き」

「そ、そっか……良かった……」


 そう言ってから、ルナさんは僕に箸を差し出してくる。

 これは、つまりそういう事、なのかな……。

 僕はルナさんから箸を受け取り、一口サイズに切る。それから――。


「る、ルナさん、あ、あーん……」

「あ、あーん……」


 もぐもぐと口元を抑えながら咀嚼するルナさん。

 口の中にあるものを飲み込んでから、ルナさんは笑った。


「うん、美味しい」

「……良かったね」

「うん。ありがとう、オタク。オタクのおかげで美味しい卵焼き、作れるかも」

「それは良かった」


 まだ卵焼きという段階だけど、充分にルナさんに成長の余地がある事が分かった。

 それだけでも充分すぎる成果だ。それに、ルナさんが何よりも喜んでくれたから。


「ねぇ、オタク。また……教えてくれる? 料理……」

「勿論。僕が教えられる事なら」

「……やった♡」


 嬉しそうに喜ぶルナさんを見て、僕は嬉しくなった。

 また、ルナさんとこうして料理をする事が出来るのが――。

 ルナさんの嬉しそうな笑顔を見れるのが、嬉しくてたまらなかった――。




『……青春してるな~』

『してるわね~』


 そんな二人を店長と副店長がずっと遠くから見守っていたのを二人はまだ知らない……。

 

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