第3話 副業は私立探偵!?

鈴音はレジスターもパソコンもなしで営業していると聞いて、聞き間違いであってほしいと思いながら尋ねた。

「それでは一体どうやって収支を把握しているんですか」

「最初は、手書きで記帳をしていたんですが、このお店は夜は遅いし、僕は昼間副業をしていることもあるので、続かなかったのです」

 そんな話あり得ないと思い、鈴音は眩暈を感じながら質問を続ける。

「マスターはこのお店をいつから経営しているんですか」

「今年で二年目ですよ」

 鈴音は信じられない思いで質問を続ける。

「去年の確定申告とかどうやったんですか」

「それはね。購入品やここの家賃、光熱費の領収書はまとめてあるし、お客さんに支払いの請求額を見せるときに書いた紙を日付を入れてクッキーの箱に保管してあったので事なきを得ました」

 マスターは悪びれるどころか自慢げに言うので鈴音は大きなため息をついた。

「よくそれで許してくれましたね。でも、今年の会計年度も終わりなのに改善できていないのではありませんか」

「そのために誰か雇おうと思ったのです。」

 マスターは人なつこそうな笑顔を浮かべる。

 鈴音はこの店は自分が出納管理をしっかりしないと文字通りの丼勘定なのだと理解した。

「わかりました。私が言うのも僭越ですができればレジスターとパソコンを買ってください。年内に試運転して、一月からそれを使って出納管理をしましょう」

「そうですね。レジスターを販売している営業の人が来たことがあるので名刺が残っています。早速発注しましょうか」

 マスターは腰を上げてスマホを手に取っている。

「ちょっ、ちょっと待った」

 鈴音が慌てて声をかけたので、マスターは温厚な顔で振り向いた。

「なにか?」

「高価な品物をいきなり注文したらだめです。同じスペックの製品の見積もりを他社からも取って競合させないと」

「そんなものなのですか?」

「そうですよ。それでね、お目当ての会社の方が高かったら、他社の見積もりをちらつかせて、他の会社はこの値段やけど値引きせーへん?っていって値引きさせるんですよ」

「さすが関西圏の人ですね。そんなこと思いも寄らなかった」

「そんなん普通ですよ。関西圏って言わはるけどマスターは何処の出身なんですか?」

 鈴音は普段は標準語で話すように心がけていたが、既に素の話し言葉が出始めていた。

 そして関西圏という言い方もちょっと引っかかったのだ。

 そういう言い方をするのは東京の人に多い。

「僕ですか。僕は沖縄の出身なんです」

 沖縄!?

 鈴音の頭にはパイナップルとシーサーとハイビスカスの花の映像が渦巻いた。

 裏を返せば沖縄繋がりで知っているものがそれくらいしかないのだ。

 意表を突かれたことで鈴音はむしろ落ち着いてきた。

 そして自分がマスター相手にまくし立てていたことに気がついた。

「すいません。私今日来たばかりなのに言いたい放題言ってしまって」

「いいんですよ、思ったとおり天川さんは頼りになりそうです。ちょっと飲み物を作るので待っていてくれませんか」

 マスターは鷹揚に言って、席を立つとカウンターに歩いていった。

 鈴音が待っていると彼は、カクテルの入ったグラスを運んできて鈴音の前に置いた。スノースタイルにしたグラスに白っぽいカクテルが入っているところは一見するとソルティードッグだ。

「これを飲んで中身を当ててください」

 またテストなのかなと、鈴音が訝しみながらカクテルを口に含むと、意表を突いた香りと味が口の中に広がった。

「何だか判りますか」

「判るというか、思い切り梨の味がするんですけど」

「そのとおり、うちは季節限定で旬の和フルーツのカクテルも作るんです。それ以外に気がついた点はありますか」

「梨が少し古くなっている気がします」

「やはり判りますか。うちはカクテルにフレッシュフルーツを使っていますが、僕は仕入れの時につい買いすぎてしまうんです。でも古くなってしまうと当然味も落ちるので必要な量を適時に仕入れていくようにしたい」

「そのための管理を私にしろとおっしゃるんですね」

 マスターは笑顔でうなずいた。

「レジスターとパソコンは見積もりを取るようにします。ソフトウエアで必要なものはありますか」

 鈴音は少し考えてから、自分が使ったことのある会計処理ソフトを告げた。

 当面自分が使うのだから使い慣れたソフトが良い。

「それでは、もう少ししたら開店時間ですから準備をしましょう。今日は天川さんはドリンクや料理をお客さんに運ぶのと、お客さんのお勘定係をしてください」

「はい」

 鈴音は元気よく立ちあがった。

 開店後も夕方の早い時間は客の入りは少なく、真っ先に現れたのは鈴音が始めてきたときにマスターと歓談していた大竹さんだった。

「あ、とうとうアルバイトの人を雇いはったんやね」

 大竹さんは開口一番に鈴音のことを話題にし、鈴音はさりげなく会釈する。

「大竹さん、アルバイトではありません。僕のビジネスパートナーとしてがっちり働いて貰うつもりですから」

「そうか、それは失礼しました。僕はとりあえずボウモアをツーフィンガーで。ところで、彼女この間このお店で見かけた気がするけど」

「そのとおりです。その後、首尾良くスカウトに成功しました」

 皆、見ていないようでも他のお客の様子などを見ているものらしい。

 鈴音はマスターが自分がスカウトしたと言ったことに、何気ない気遣いを感じて嬉しかった。

「天川さん、ボウモアとはスコッチの銘柄です。ツーフィンガーとはショットグラスにこれくらい注ぐこと。ワンフィンガーだとこの半分です。天川さんはグラスにミネラルウオーターを入れてください。ストレートでウイスキーなどを飲む方にはチェーサーと言ってお水を出すんです」

 マスターはショットグラスにお酒を注ぎながら、さりげなく説明してくれた。

 鈴音はグラスにミネラルウオーターを注ぎながら、この調子で教えてくれるならなんとかやっていけるかなと思う。

 次に来たお客は男女の二人組だった。

 男性がかなり年上に見えるがそう珍しいことではない。

 女性は少し雰囲気が派手で、鈴音と同年代に見える。

 二人はテーブル席に座ると揃ってソルティードッグを注文した。

 鈴音が運んだカクテルを飲みながら歓談している様はとても仲が良さそうだった。

 しばらくすると、大竹さんは帰って行き、女性客も残った男性に手を振って店を出て行った。

 女性が帰ると、残った男性は飲み物を手に持ってカウンターの方に移動してきた。

「俊ちゃん。ちょっと副業の方で頼まれて欲しいんだけど」

「いいですよ。どんな用事ですか」

 マスターはグラスを拭きながらのんびりと答えた。

「うちの奥さんの素行調査を頼みたいんだけど」

「構いませんけど、目的はどんなことですか」

「最近、若い男と歩いているところを見たと言う人がいるんだ。二、三日でいいから調べてみてくれないかな」

 マスターはドリンクの時とは違う色の紙切れにさらさらと金額を書き込むとカウンターに乗せた。

「三日間でこれくらいで、必要なら証拠写真も撮りますが」

「その金額で写真も撮ってくれるの?」

「はい」

 マスターは表情を動かさないで答えた。

「それではよろしく頼む。今日のお代はいくらかな?」

 マスターはいつもの紙切れに金額を書くと彼に渡した。

「支払いは彼女にお願いします」

 マスターが告げると彼は財布を手にして、鈴音の前に来た。

「君は新しく入った人だね。名前は何て言うの」

「鈴音と言います」

「そう、僕は広田といいます。よろしくね」

 鈴音は代金を受け取りながら、ちょっとノリが軽い人だなと思っていた。

 広田が店を出ると、お客が途切れた。

 鈴音はテーブルとカウンターからグラスを回収しながらマスターに尋ねた。

「マスターは副業って一体何をされているんですか」

 マスターはそれを聞いて嬉しそうに笑った。

「実は昼間結構暇があるので私立探偵の真似事をしているのです。依頼があるのはさっきのような素行調査が殆どですけどね」

 探偵と聞いて鈴音の頭に浮かんだのはアニメの名探偵コナンだった。

 現実にそんな職業があることは知っていたが、目の前のマスターが探偵業をしていると言われて少なからず驚いている。

「さっきの広田さん、奥さんとあんなに仲良さそうなのに素行調査を頼むんですか」

 するとマスターは、人差し指を口に当てて見せた。

「さっき来ていたのは広田さんの不倫相手なんです。奥さんは別にいます」

 自分が不倫しているのに、奥さんの素行調査を頼むなんてと思い、鈴音は広田の顔を思い浮かべながらあきれていた。

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