引力の生まれる島

清水らくは

第1章 クヴィト島(宿泊地)

1-1

「良い風が来た」

 ニーノ・シャルクは、ニヤリと笑った。

 童顔なので若者と呼ばれることが多いが、32歳である。現在は補佐教授として大学に所属しており、このままいけばあと数年の内には教授になると見られていた。

 そんな彼は今、スピッツベルゲン島にいた。北極圏に位置する島は、有人であるものの、物理学者には本来不似合いな島である。世界中の植物の種子を集めて保存する世界種子貯蔵庫というものがあり、北極圏研究の基地もある。決して科学者に無縁の土地ではない。しかし彼の研究対象は、引力エネルギーと呼ばれるもので、島とはほぼ関係がなかった。

 彼の前には小さな二階建てのプレハブ小屋のようなものがある。中には二つの小さな部屋があり、一階は寝室、二階は研究室となっていた。

「ついに出発するんですか」

 テレビ局のマイクが彼の口元に向けられた。一昨日まではあと二社いたのだが、現在残っているのは一社のみである。「独占取材ですなあ」とニーノは豪快に笑ったが、できれば残ったクルーも帰りたいと思っていた。

「ええ、きっと彼らが出たのも、こんな日だったと思いますよ」

 ニーノは、眼鏡をくいっと上げる。研究者っぽい仕草だろう、と思いながら。



「わかりました。気を付けてくださいね」

 シレニウ大学、待避エネルギー研究室。研究棟の七階に、セイス・ビヤンはいた。

 27歳になる彼女は、この夏大学院を修了したばかりだった。博士課程を終え、学んでいた研究室に残ることにした。現在は非常勤助手という扱いになっているが、任期が一年なので来年のことはわからない。ニーノやヨオ教授は彼女ならばどこかに就職できると太鼓判を押すが、彼女自身が「どこでも」と思えていない現状である。

 今回の北極圏飛行計画に際し、セイスは同行を志願した。それは研究者としての好奇心から来るものでもあったし、別の思いが原因でもあった。ただ、ニーノは首を振った。「元となる冒険では、全員が死んだんだよ。同じ分野から、二人の研究者が消えてはならない」

 ニーノがいなくなること自体が大きな損失だと思ったが、セイスは彼が言い出したことをやめる人間だとも思わなかった。

 彼女は、大学に残りながらニーノをサポートする道を選んだ。彼の送ってくるデータを論文にする許可をもらった。ニーノはそれでセイスが業績を加え、就職に役立てばと思っていた。セイスは、同行できないものの、ニーノの研究を手伝えることがうれしかった。

 ニーノはついに旅立つ。彼の願いが叶えられればと思いながらも、少しだけ出発できなければ、という思いもあった。計画通りならば、長い旅になる。そして、危険な旅に。そんな思いを、ニーノは知らない。

「すごくワクワクするよ。ついに、待避エネルギーの力を示すことができる」


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