第5話 妖怪一反木綿

 けれど、それは叶わなかった。布が顎から鼻の下にかけて巻きついてきて、口を開けなくさせたからである。しかも、左腕の熱やら痛みやらが無くなったのだ。

 負傷したはずの左腕に目をやると、布が巻き付いていたのである。貫通した傷など無いかのような、なじみのある腕の感覚。

 やはりエイリアンなるものが侵攻し、自分は何か得体の知れないそれに感染されつつあり、さらには地球支配に駆り出されるのでは……などというのは並みのSFである。それが辰流の頭に浮かんでいた。が、事態はそれ以上だった。

「黙っていろ。痛みなど消えたろ」

 燃えていなかった布のもう一端が辰流の顔まで数センチで合い向かいになった。逆三角形で切れ長に光る二つの紅の目と口もないのに聞こえてくる、そのテノールボイスの心地良さを感じつつも、驚きの絶叫を出そうにも、かの者によって口を塞がれている以上、声が外に漏れることはなく、黙っているより仕方ない。痛みの感じない腕を一度チラと見てから、かの者の言いに同意のための首肯を一つ。

 辰流の顔から離れると、左腕に巻き付いたまま、

「助けてくれたのだな」

 頭を垂れてきた。感謝の一礼を示したのであろう。律儀な怪異である。

「まあ、助けたことになったのなら、いいんだがな」

 ようやく解放された口からは、普通の応答が出る。高度情報化社会下、漫画やアニメが敷衍化している昨今にあって、眼前の物がとある妖怪であろうと定義するだけの心の余裕が生まれていた。ただ、霊やエイリアンではなく、妖怪的展開だったことに、驚きを通り越して戸惑いな返答であったことも間違いはない。

「名は何という?」

「八丘辰流」

問われたら答える。律儀な人間である。さらに

「お前、いや……君……は一反木綿か?」

 答えたから今度は問おう。漫画やアニメが正しいか、事実確認をしなければならない。

「人間たちがそういう範疇を設けたがるのは理解している。よって、タツ。君がそう理解するのが易いようであれば、それでよかろう」

 二言三言で、妖怪からニックネームで呼ばれることが決定していたが、

「病院行くか」

 おもむろに立ち上がる。負傷の治療の方を優先するのは当然である。覗けば腕の向こう側が見えるであろう貫通の痛みは、恐らく一反木綿の妖力とやらが緩和してくれているのだろうと、これまた漫画やアニメによってストックされた知識によって理解できていたが、問題なのは、故に一反木綿を外すとまたしても激痛が襲ってくるのは間違いはなく、かと言って一反木綿が巻き付いたまま病院には行けないという点であった。

「タツ、医療施設に行くまでもない」

 会ったばかりの妖怪が現代医療を必要ではないと断じた。

「いや、貫通したんだって。縫ったりしないと、それに血……」

 腕をもう一度見て辰流は目を疑った。確かに真っ白とは言えないその布だったが、一反木綿が辰流の血が滴り漏れるどころか、鮮血色が染みわたることもなかった。

「止血も……お前のおかげ、なわけか?」

「言うまでもない。私が巻き付いておれば、いずれ傷も癒えよう」

 辰流は、試しに一反木綿を左腕から剥がそうとして、即座にその手を止めた。なぜなら、一反木綿が離れそうになると、脳幹がメジャーリーガーのフルスイングで尻バットを受けたかのような激痛に再び襲われたからである。

 このような状態で病院に行けば、というより一反木綿を剥いだ時点で気を失い、長時間の手術になるだろう。高額な医療費の予想がつくなら、痛みのない状態の維持をとる。一反木綿の言うことが全面的に正しく、傷が塞がれるという確信があったわけではない。それはほかならぬ一反木綿が言った「いずれ」の言葉からも、それが明日なのか数年後なのかは明瞭ではなく、妖怪が人間を都合の良いようにコントロールするための規制かも知れなかった。

 それでも、

「お前に意思を預ける。私はお前の思うがままになるだろう。よって懸念は杞憂だ」

 その意味がよくわからなかったが、辰流は共生を同意した。

一反木綿はその頭部まで辰流の腕に絡み、見た目完全に負傷中につき包帯巻きました状態になった。それ以来、一反木綿は沈黙を保ったままだ。

 さりとて、この妖怪に不信感を抱くという感じがなかったのは、一反木綿の良い感じな声質にほだされたわけではなく、妖怪が実在したことへの興奮だったからかもしれないし、それ以上に疑う言葉が浮かばなかったからかもしれない。理由は後付けでいろいろ浮かぶのだが、ただシンプルに辰流はこんな奇妙な出会いを悪くはないと思ったのである。

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