第24話

 札と護符。そもそも同じものではないのか、と訝し気な顔をする俺に、如月はまたしても面倒くさいといいたげな溜息を一つ吐き、ゆっくりと口を開いた。


「いわゆる札っていうのは、神社仏閣で作られる守り札のことだ。お前も田舎のばあさん家とかで見たことくらいあるだろ。台所や玄関とかに貼ってある、いわゆる災いを防いで吉を招くそういうものだ」

「護符だって同じじゃないんですか、同じ紙に書かれてるし……」

「護符っていうのはな、神職や仏僧、いわゆる呪力に優れた人間が作った札のことだ。呪力っていうのはいわゆるまじない、それこそ呪いにも通じるものだ。願いを込められ、その願いを強く信じる人間が持つことで特定の効力を発揮する」


 込められた力が強力であるがゆえに、誤った使い方をしたり、込められた効力を疑えば真逆の効果を生むことがあるのが護符なのだと如月は含みのある笑みを浮かべて語って見せた。その笑みが意味することに気づき、俺は思わず如月の手の中にある護符から目を反らす。

 思い返してみれば、心霊写真を嬉々として家族写真のごとく廊下に飾るような男なのだ。そんな男が手に入れた護符が真っ当な品であるはずがない。


「どうせそれもやばい代物なんでしょう」

「人聞きが悪いな。これはちゃんとした神職が作った、悪霊を払うための霊験あらたかな護符だぞ」


 某県にある何某という寺の住職が丹精込めて作った護符だと語る如月の口ぶりは、確かに嘘をついているようには思えなかった。如月の話からするとその護符はいわゆる「悪霊退散」という意味が込められたものなのだろう。だが、今の俺に必要な護符とは思えなかった。

 確かに俺としても「りんちゃん」を現世に残るしがらみから解き放ってあげたいが、護符の力で無理やり部屋から追い出し消し去りたいわけではない。そもそも、幼馴染の少女を「悪霊」と言われたようで気に食わなかった。


「霊を払うって、俺はりんちゃんに会いたいんですよ。払われてしまったら、隠れているところを見つける事もできないじゃないですか」

「話は最後まで聞けって小さいころに親から叱られなかったのか、お前」


 複雑な家庭環境で育ったことは俺のことを調べたなら知っているはずなのに。無神経極まりない台詞に反論する気にもなれず俺は口をつぐむ。


「真っ当な護符だった。作られた時は、な」

「……どういうことですか?」

「死んだんだよ、持ち主が。部屋の中に死んだはずの交際相手が夜な夜な現れて、少しずつ近づいてくるって泣いて縋ってきた男に、住職はこの護符を作ってやった。だが、その後ぱたりと連絡が途絶えてな。心配になった住職が男の家にいったら、四隅に護符が張られた部屋の中央で男が首を吊って死んでたってわけだ。お前、この意味が分かるか?」


 如月の言葉に、俺は無意識に口の中にたまった唾を飲み込んでいた。つまり、目の前にあるのは男が自殺した部屋の中に貼られていた護符なのだ。先ほど如月は護符についてこういっていた。間違えた使い方をすれば、真逆の効果を生むこともあるのだと。

 霊を払うために作られたその護符は、男に恨みを抱き寄ってくる霊を払うことが出来なかった。護符に込められた力を持ち主の男が疑ったのか、もしくは霊の恨みの力の方が強かったのかは分からない。

 だが少なくとも、女の霊によって祟り殺された男が居た部屋に貼られていた護符であることに違いはない。


「なんでそんなもの、持ってるんですか」

「この世界はな、金させ積めば大抵のものは手に入るようになってるんだよ」


 暗に真っ当な手段で手に入れたものではないと暴露しながら、如月は四枚の札を畳の上へと広げ始めた。


「まあ、これだけでもある程度の効果はあるだろうけどな。念には念を入れておいた方がいいだろ」


 そういうと、如月は近くに乱雑に置かれていたカッターナイフを手に取ると、いったい何をするつもりなのかと戸惑う俺の前で自身の指先にナイフの刃を押し当てた。


「ちょ、待っ……」


 俺の制止の声などまるで聞こえていないとでもいうように、如月はカッターナイフの先端を自身の人差し指の腹へと押し当てた。鋭利な刃が皮膚を裂き、赤い線がぷつりと浮かび上がる。


「何やってるんですか!」


 そう言っている間にも徐々に線状に滲む血の量は増えていく。

 絆創膏はどこにあるのか、と口を開きかけたが、この家の中にそんな真面な品が置いてあるとは到底思えなかった。せめて止血のためのティッシュでもないものかとあたりを探る俺を無視し、如月は血がにじむ指先を畳の上に置いた護符の上へと走らせた。


「今度は何を……」


 次から次に予想外の行動ばかりする男だ。

 だが、如月は相変わらず俺の言葉を無視しまるで最初から書くべきものが決まっていたとでもいうように紙の上に指先を走らせ続ける。いったい何を書いているのかと俺は描きあがった一枚に視線を落とすが、最初から護符に書かれていた梵字に似た何かだということ以外は全く分からなかった。

 だが一つだけ言えるのは、擦れた血で書かれたその模様のような文字が、吉を呼び込むとは到底思えないということだ。ようやく如月が指を止めた時、四枚の護符の上に踊る血文字は酸化しすっかり黒ずんでしまっていた。


「何を書いたんですか?」

「……書き足しただけだよ。もともと込められたものと真逆の効果を生むようにな」


 その言葉に、おれは書き足されたばかりの血文字へと視線を落とした。


「この護符は霊を呼び寄せる、たとえどこに隠れていようと。効果はお前がどれだけ信じるか次第だ」


 告げられた言葉に俺は喉を鳴らす。如月の言葉を信じるならば、この札を部屋の中に貼ればいまだ隠れたまま姿を現さない「りんちゃん」と会うことができるのだろう。ならば目の前の札がどれだけ胡散臭い代物だったとしても、「信じる」以外の選択肢を取るはずがない。


「もちろん、信じます」


 そう言って手を伸ばした俺の手は、何もない空を切ることとなった。それもそのはずだ。先ほどまで畳の上に置かれていた四枚の札は、いまは如月の手の中に納まっていた。


「……は?」


 思わず洩れてしまったその声に応えるように、如月はあのいけ好かない笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。


「よく考えたんだが、俺がもらったのは相談料のみだ。相談料っていうのは、あくまで相談を聞くだけの料金ってことだろう」


 そのあとに続く言葉はない。だが、札を見せつけるように揺らしながら笑う如月が何を言おうとしているのかわかってしまった。


(……この男)


 俺は如月に見えないよう、小さく拳を握りしめた。

 如月は相談料として持ち込んだ高級菓子……いや、ケーキのほかに護符代を俺に要求しているのだ。年下の、そのうえ困り果てている貧乏学生にさらに金を求めるなどこの男は人の心がないのだろうか。

 いや、人の心がある人間ならば明らかに曰く付きなオカルト品を違法なルートで集めたりはしないだろう。


「いくらですか」

「おっ、話が早いな。そうだなあ、本当は二万円でも安すぎる位なんだが。うまい菓子も貰ったし、同じ屋根の下に住んでる縁だ。四枚一万円に負けてやるよ」


 一万、という言葉に俺は絶句し、ジーパンのポケットに入れていた財布を取り出した。小銭も碌に入っていない特価品で買った安財布を開ければ、かろうじて神妙な表情を浮かべる樋口一葉と目があった。

 つまり、財布に入っているのは五千円札が一枚のみ。しかもこれは八月の残り半分を生き残るための貴重な食費なのだ。


「なんだお前、俺より貧乏学生か。バイトもしてないのか……って、あの部屋に住んでるのがばれたらバイトなんて無理だな」


 如月自身にも身に覚えがあるのだろう。

 決して俺だってバイトもせずに金欠に陥っているわけではない。授業の合間にバイトをしようとしても、面接で住所がこのアパートだとばれた瞬間に即座に不採用となってしまうのだ。

 結局日雇いバイトで多少の稼ぎは得ているが、今月はテスト期間ということもあり金欠からは抜け出せていないというのが現状だった。


「仕方ないな」


 その言葉に、無償で護符を譲ってもらえるのかと思った俺は続く言葉に肩を落とすことしかできなかった。


「コンビニの酒とつまみで勘弁してやるよ」


 どうやら如月には貧乏な後輩を思いやるという人の心は微塵も宿っていないらしい。


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