第33話「それがお前の望みなのか?」

 服を着て再び部屋に戻る。この屋敷に仕えている妖怪の配慮か、ぐちゃぐちゃになった布団も整えられており、夫婦の寝室かのようにぴったりとくっつけられていた。


「………………」


 どうするべきかと一瞬悩む。変に離そうものなら意識してしまっているみたいで恥ずかしい。考えているとさっさと戌二は布団に入って横になった。あっさりとしているものだから考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなって申助も明かりを消して寝る姿勢に入る。


「……よかった」


 ふにゃふにゃとした戌二の声が聞こえてくる。何が、と思い申助は戌二の方を見た。


「さっきまでのお前、臭くて眠れそうになかった」


 戌二が背中を向けているものだから彼の表情はわからない。


「そんなに狐次郎の匂いが嫌だったのかよ」


 からかうように尋ねる。先程の国主の言葉を思い出し、もしかしたら嫉妬したのかもしれないと心臓がくすぐられたような心地になった。もぞり、と戌二が動く気配がする。


「あの狐、多分京のほうで流行ってる香を服につけてる。人工的で嫌いだ」


「……あぁ」


 確かに、近寄った時にやたら甘い香りがした。大麻と似たような匂いは少量であればいい香りと思われるのだろう。


「……なんだ」


 すん、と先程までの胸の高鳴りがおさまった。単純に嫌いな匂いだったのだろう。戌二に背を向け目をつむる。

 申助は戌二の事を好きになっているのだろう。国主に指摘されてトメの匂いに嫉妬している自分に気がついた。戌二も同様に狐次郎に嫉妬したかも知れないと思い、嬉しくなった。

 けれど対する戌二はこの対応である。連れて行かなかったのも申助のことが心配だと言ったが、単純に自分だけのほうが動きやすいからだろう。

 なんでこんな奴の事を好きになっちまったんだよ、俺。

 はぁああ、と盛大なため息を漏らす。恋心を自覚した今、戌二の近くにいるのは嬉しいけれど辛かった。



 翌朝、日が昇る前から申助と戌二は転変し治郎兵衛の村へと向かった。

 到着した頃には朝日が昇っており、朝の明るい光の下で自分の姿が見られてしまうかもしれないと思い、まずは遠くから治郎兵衛の家を観察する。


「……治郎兵衛、いなくねぇか?」


 戌二の背中で背伸びをし、中を見て首を傾げる。布団が三つ敷かれており、老婆と男女が眠っている。治郎兵衛の祖母と父母だろう。


「……嫌な予感がする」


 申助はぺたんと戌二の上に跨る。戌二は別の家へと足を向けた。そこから治郎兵衛の匂いが出ているのだ。


「今はやめとかねぇか?」


 力なく戌二の毛を引っ張る。けれど戌二は足を止めずスタスタと治郎兵衛の家から少し離れた茅葺屋根の家へと向かった。治郎兵衛の家の倍は大きく、奉公人を数人抱えていそうな屋敷だった。まだ朝なので木戸により閉じきられてる。縁側があり、ここから人の出入りがあるのだろう。

 じりじりとした心持ちで申助と戌二は治郎兵衛の匂いが一番濃くなっている木戸へと向かうと、縁側の下へと潜り込んだ。靴脱ぎ石の上に置かれている草鞋からは治郎兵衛の匂いがしてますます心臓が重くなる。

 シャ、と襖が開く音がして人が二人出てきた。


「また来てくださいね」


 女性の声だ。たおやかで慈しみ深そうな優しい声音だった。


「……うん」


 対する男、治郎兵衛の声は暗い。やっぱりか、と申助は頭を抱えたくなった。ふわ、と籠もった香りも鼻をつく。一晩中この部屋に居たであろう事が察せられた。

 ちゅ、と水音がする。接吻をしたのだろう。


「お待ちしております」


 女性の声に手を振り、治郎兵衛は草鞋を履いて帰っていく。彼の後ろ姿が小さくなったのを見送ってから女は部屋に戻る。襖がピシャ、と閉まる音がした。


「……あのさ」


 雰囲気が暗い。戌二も耳を伏せ申助を見た。


「……夜這い、してたよな」


 コクリ。戌二が頷く。

 夜這いは結婚した後の男女が行う不倫から、結婚前に体の相性を確かめるものまでいろいろある。現在治郎兵衛はまだ既婚者のはずだが、相手が神隠しによりいなくなったことは村中に知れ渡っているのだろう。


「まじか……」


 戌二は縁側から這い出して外へと向かう。申助もついていった。


「治郎兵衛のやつ、もうトメのことはどうでもいいのかな」


 ため息が堪えきれない。戌二は振り返った。


「どうでもいいということはないだろうが、早く新しい嫁を探せとも言われていた」


「……うん」


 戌二は低い声で返す。彼も意気消沈しているのだろう。トメが可哀想だ。昨日の戌太郎の言葉を思い出す。人間がどんな反応をしても受け入れるんだよ。

 反応以前の問題だ。


「……一応、本人にも聞いてみるか」


 村人達が目を覚まし、人間の姿をぽつぽつと見かけるようになった。これ以上いると野良猿や狼として追いかけ回されるかもしれない。夜まで待つか、と戌二のほうを見ると、彼の視線の先に治郎兵衛がいた。彼は村から出て何処かへ向かうようだった。

 堀を抜け、脇道に入り森の中を行く。目的地は戌二と申助のいた神社のようだ。ちょうどいい、と彼らは森の木々に姿を隠し、治郎兵衛に話しかけた。


「おい、治郎兵衛」


 治郎兵衛は足を止める。


「その声は、神様ですか?」


 彼は目を丸くしてきょろきょろと頭を左右に動かし、宙空を見つめた。


「そうだ。なぁ、お前、今でもトメに帰ってきてもらいたいと思うか?」


 声を潜めて尋ねる。治郎兵衛は俯いた。


「……はい」


「でもお前、夜這いに行っていたよな?」


 う、と治郎兵衛は呻き、肩を落とした。


「……神様は何でもご存知なのですね」


 偶然見たからだ、とは当然言わず、申助は治郎兵衛の続きを待った。


「俺は長男ですから、跡取りは必要です」


「その為に次の嫁を探そうとしているのか?」


 治郎兵衛は肩を落とす。


「……はい」


「それがお前の望みなのか?」


 落胆が声にも現れていた。元々の話を持ってきたのは治郎兵衛なのだ。その彼がこの体たらくである。


「俺は……」


 治郎兵衛の瞳が潤む。けれど彼は首を横に振った。


「……そうです。嫁を早くもらわないと、親に迷惑がかかる」


「トメを見つけたと言っても、そうか?」


 肩が跳ね、治郎兵衛は周囲を見渡した。当然何の姿も見えない。


「トメが戻ってきたんですか!? また、会えるんですか!?」


「……会いたいか?」


「はい! もちろん!」


 治郎兵衛は力を込めて腕をふる。申助は更に尋ねた。


「今までの彼女と違っていても、受け入れられるか?」


「……え?」


「狐憑きのような状態になっていてもか?」


 須久那の告げていた症状が本当なら、まさに狐憑きと呼ばれる精神錯乱の状態になると予想出来る。治郎兵衛はぐ、と口を引き結んだ。


「……それは」

 

 彼は言い淀み、何度も唇を噛んだ。


「厳しいかもしれません。俺が会いたいのは、今までの……、喧嘩をする前の優しいトメです。じゃないと……、父さんも母さんも認めてくれない」


 そうして治郎兵衛は口を閉ざしてしまった。申助は待ったが、彼は何も言わない。


「……そうかよ。わかった」


 申助は舌打ちをして踵を返す。優しいトメとは、初めて会った頃の猫を被っている状態の彼女だろう。戌二もついてきた。彼も治郎兵衛に対して落胆しているようで足取りは重かった。



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