第31話「……でも、俺は治郎兵衛に頼まれたんだ」

「…………うっ」


 申助は固まる。戌太郎は申助の顎を掴み、自分の方を向かせた。


「ずっと一人称が俺でしたしねぇ。……あなた、申代さんじゃなくて、弟の申助じゃないんですか?」


 やってしまった、と恐る恐る犬神族長男の顔を見る。相変わらずの恵比須顔が怖い。


「え? 申代? 申助じゃないんですか? 呪符の力で女に見えているだけですよね?」


 空気を読まない狐次郎の言葉に、戌太郎は鼻を鳴らす。戌二が焦ったような顔をして狐次郎を睨んでいるのが視界の端に写った。


「呪符の力、ねぇ……。ちゃんと、お互いの合意のもとに申代さんが嫁いでくると決まったはずなんですけどねぇ? なんでここに申助さんがいるんですかねぇ」


 ちくちくと刺すような言葉にひ、と身をすくめる。

 申助と戌二に呆れた視線を送った後、戌太郎はふぅ、とため息をついた。


「まぁ、なんとなく予想はついていましたけれど」


「え」


 申助は目を丸くする。


「馬鹿にしないでください。これでも私は犬神族なので鼻がききます。匂いが姉弟と言い訳できないくらいにそっくりでした。いくら姉、弟でもあそこまで似ません」


 刺さる戌太郎の視線が痛い。彼は弟に目を向けた。


「戌二、お前は知っていたんだろう? 体まで重ねているんだから当然だよね? なのに何故言わなかった」


 申助は願うような心持ちで戌二を見た。戌二は瞳を伏せて答えた。


「大きな問題だと思わなかったので。どうせ犬神族と猿神族では子供は出来ません。でしたら男性でも女性でもいいと思っていました」


 ちく、と申助の心臓が痛む。戌二にとって申代でも申助でもどちらでもよかったというのは最初の頃に聞かされていた事なのに、今はじくじくと申助の心を苦しめる。


「申代さんという、猿神族の跡取りをもらうことに意義があるとは思わなかったんだね? 申し訳ないけれど、猿神族のしきたりにおいて申助くんは申代さんよりも格が下だ。負けておいて本来の相手よりも格下の相手を寄越され、無礼には思わなかったのかい?」


「思いませんでした。申代さんがこちらに嫁いだという事実があれば、彼女は対外的には婿を取ることが出来ない。彼女は犬神族の元にいるという事になっているので。きっと今後、彼女に子供が生まれたとしても申姫様の子供にしてしまうしかないでしょう」


 戌太郎は戌二の返答ににっこりと笑顔になる。


「それで手打ちにする、と」


「……はい。痛み分けではないかと思いました」


 戌太郎は顎をさすった。そして、周囲を見る。


「この事は一生黙っていてもらえますか?」


 特に狐次郎を凝視しているようだった。口が軽いと思われているのだろう。彼は目を丸くしている。


「え、それでいいんですか?」


 意外そうな顔をして狐次郎が戌太郎に尋ねる。彼は大きく頷いた。


「もしかしたら婚姻自体一時的なものかもしれないしね。いつまた人間達の気が変わって合祀を辞めるかわからない。辞めなかったとしても、こちらからすると猿神族の弱みを握れたわけだからね」


 ふふ、と戌太郎はおかしそうに笑う。


「相手が先に規約を破ってくれたら、こちらが破った時に相手は目を瞑らざるを得なくなる。将来への投資だと思うことにするよ」


 申助は、嫁ぐ羽目になった決闘を思い出した。あの時戌太郎が石場を離れた申助に何も言わなかったのはこういう事か。


「……そっすか」


 狐次郎は何かを言いたげにしていたが、関係のない他族の婚姻に対してあえて続ける気はないようで口をつぐんだ。


 この国の氏子達は神に対してわりかし適当である。ご利益がありそうだからと合祀しておいて、飢饉があれば合祀したせいだと元に戻す事例はあった。人間を神にすることもあれば、他国から伝来してきた仏と混ぜ別の名前を与えることもある。海外から来た宗教の教義を変え、簡単なものにした上でご利益を付加する。長いお経を唱えなくても「南無阿弥陀仏」と唱えただけで極楽に行けると農民の間で流行した時には、申助はそれでいいのか、と驚いたものだった。


 そこのあたりは狐次郎もわかっているのだろう。


 ただし、と戌太郎が続ける。


「犬神族の家にいる場合は出来る限り女性の格好でいてくださいね。いつ、どこから情報が洩れるかわかったものじゃありませんから。国主様もこの事は他言無用でお願いします」


「もちろんだ」


 国主が力強く頷く。狐次郎は興味を失ったように足を崩した。


「……で、どうするんスか?」


 彼の目が冷たく細められる。


「結局、あの集落は滅ぼすんですか? それとも、放置ですか?」


「少し考える必要が出てきたねぇ。滅ぼして終わりに出来れば簡単なんだろうけど、女性達が操られているとなると話が別だからねぇ」


 戌太郎が返す。狐次郎は天井を仰いだ。


「そりゃ、こっちも稲荷を連想させる物を使ったり、稲荷の名前を勝手に名乗らなければやりたい放題させてもいいとは思いますけどね……」


 犬神族の協力を得られない空気を察した孤三郎は頭の中で今後どうするかを考えているようだった。


「義憤で動くには面倒な案件みたいなんですよね」


 戌二と申助は元々治郎兵衛という、氏子の頼みで今回の捜索を開始した。義憤と言われれば確かに義憤である。

 けれど、孤三郎や戌太郎は一族の損得を先に考えたようで、単純に村を焼いて終わりにする、という強硬策が使えない今は面倒に思っているようだった。

 そこに、須久那が戻ってきた。彼女は風呂を済ませた後らしく、髪が濡れている。


「トメさんと一緒にお風呂に入って、先ほど寝かしつけてきたよ。今はろくろ首に見てもらっているから多分大丈夫」


 あの状態の彼女と一緒に風呂に入れるのか、と申助は目の前の女神に尊敬の気持ちを持ってしまった。


「おかえりなさい。あの……、トメの様子はどうだった?」


 尋ねると、彼女はにっこりと笑って申助の方に視線を向けた。


「今は落ち着いているからとりあえずゆっくり寝かせて休ませてあげようね。体が疲れていると、頭も疲れるから。それに、これから彼女にとっての地獄が始まるから……」


 須久那の目が伏せられる。狐次郎は首を傾げた。


「地獄?」


「言ったでしょう? 大麻中毒者の治療において特効薬は存在しないんだ。誰かほかの人が見張れる環境下に置いて、薬物を絶つ。これが主な治療法なんだけど、中毒者はその間不安に襲われたり、死にたいと願うようになったり、とにかく苦しいんだ。だから、誰かがつきっきりで面倒を見てあげなければいけなくなる。……まぁ、大麻そのものではないけど、似た植物由来だと思うから」


 申助は唇を噛む。孤三郎はますます面倒くさそうな顔になった。


「村を焼いて人間を救ったとして、それ誰がやるんですかね? 前の旦那達ですか? ……やりますかねぇ?」


 申助は治郎兵衛達の姿を思い出す。治郎兵衛はともかくとして、彼の家族は果たして息子の嫁のそんな状態に耐えられるのかと思ってしまった。離縁し、新しい嫁を娶る事で問題を解決しようとするかもしれない。


「俺、聞いてみる」


 けれど、申助は治郎兵衛を信じたかった。

 彼は往復二刻をかけてわざわざ犬神族の祠まで祈願に来たのだ。戌二も頷いた。


「明日、治郎兵衛にどうしてほしいか聞いてくる。氏子の頼みは応えたい」


「氏子って言っても、犬神族を捨てた氏子達でしょう? あそこは犬神族の神社を何もいない張りぼての稲荷神社に変えた村だよ」


 戌太郎が返す。

 帰る道すがら、彼は戌二からこれまでの事について説明を受けており、治郎兵衛の住んでいる村についても場所の検討をつけていたようだった。


「……でも、俺は治郎兵衛に頼まれたんだ」


 申助は拳を握る。戌太郎と孤三郎はもの言いたげな瞳で見つめていた。


「なら、明日は待ってあげよう。そして、話を聞いてきなさい。……人間がどんな反応をしても、受け入れるんだよ」


 戌太郎は目を伏せる。孤三郎は数度口を動かし何かを言いたそうにしていたが、国主と須久那、戌太郎と順に見て、ため息をついた。

 こうして、その日はお開きとなり、各々が国主により用意された部屋で一夜を明かす事になった。

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