第22話 忠告しに来たの



「私は吉浦晴香。筧希久子の元相方だよ」


 何の前触れもなく告げられた事実に、碧は軽くめまいがする心地がした。目の前にいる人物と、筧が一緒に舞台に立っていたという過去が、どうしても頭の中で結びつかない。


 呆然と立ち尽くす碧に、吉浦のねめつけるような目が向く。手心なんて必要ないと言わんばかりの目が。


「やっぱその様子だと、筧からは何にも聞かされてないか。まあそうだよね。言ったら、君に引かれる可能性があるもんね」


「……何が言いたいんですか……?」


「そんなの決まってんじゃん。私は君に忠告しに来たの。悪いことは言わない。今すぐ筧からは離れた方がいいよ」


 吉浦は決められたセリフを述べるかのように言ってみせる。物音ひとつしない夜の闇は、碧をダークサイドへと引きずりこむ。


 吉浦の忠告は、碧の脳をしたたかに打った。混乱して、まともな返答はできない。


「えっ、それってどういう……?」


「だから、筧とのコンビを解散した方がいいって言ってるの。このまま続けてて明るい未来があるとは、君にも思えないでしょ?」


「そ、そんなことはないと思いますけど……。現に藍佐祭ではそれなりにウケてましたし……」


「それは観客の笑いのツボが、引くほど浅かったからだよ。一歩外に出てみれば、全然ウケずにスベりっぱなしの公開処刑。君にだって心当たりはあるよね?」


 碧は口をつぐんでしまう。この場において、黙ることは認めているのと同じだというのに。


 吉浦の表情は強気で、何を言っても言い負かされそうな気が、碧にはした。


「で、でも、少しずつ笑いが取れてる感触はありますし、このまま続けていけば、もっとウケるようになるかと……」


「それはいったいいつの話? 筧が卒業するまでに間に合うの? 結果に結びつくの? ほかにセンスや才能がある学生がごまんといるなかで、本当にKACHIDOKIで優勝できるって思ってる?」


 吉浦の口調は、今まで碧が経験したことがないほど厳しかった。根幹が揺らぐ感覚がして、目を見ることができない。


「あのね、はっきり言うけど、筧はただウケたいだけなの。ウケて自分がやってることは正しいって、証明したいだけなの。君はそんな筧のエゴに付き合わされてるだけ。一人じゃ怖くて、舞台にさえ上がれないくせにね」


 そんなことはない。そう断言するだけの自信は、碧にはなかった。


 自分は筧の何を知っているのだろう。


 もしかしたら、吉浦が言う筧の姿が本当なのかもしれない。


「そのくせして目標だけは立派でしょ。KACHIDOKIで優勝するなんてぶち上げて。隣にいて分かったけど、筧は自分に酔ってるだけなんだよ。目標に向かって精いっぱい努力していることを、心のよりどころにしてるだけなんだよ」


 人形に言っているみたいに、一方的にぶちまける吉浦。碧がどう思っているかなんて、お構いなしだ。


「で、何よりめんどくさいのは、それを他人にまで強要してくるとこなんだよね。自分もがんばってるから、お前もがんばれみたいな? そりゃ私だってついてこうとはしたよ? でもさ、過度な夢とか理想を押しつけられてるみたいで疲れちゃった。そんなにがんばりたいなら、一人でやってろってね」


「……それがコンビを解散した理由ですか……?」


「そう。私から解散したいって言ったの。だって、筧は相方だった私よりも、遠くにある目標ばっか見てたから。そんで今日、君と筧の漫才を見て、確信したよ。筧は何も変わってない。自分の理想を押しつける相手が変わっただけ。そんなの不健全だよ。断言する。このままだと君たちも近いうちに壊れちゃうよ」


 風なんて吹いていないのに、碧は寒気を感じた。未来を見てきたかのように断じる吉浦に、思うように口が動かない。


 ただでさえ筧は、大学を中退して養成所に通うかどうか迷っている。まだまだ遠いと思っていた終わりが、急に間近に近づいてきて、肌が粟立つ感覚さえ碧にはした。目の前に吉浦がいるのに、孤独を感じる。


 絶望に頭を支配されそうで、碧は縋りつくように小さくこぼした。


「……そんなことありません。私たちの仲は良好で、心を一つにして、次の舞台に向かっています」


「それは君がそう思い込みたいだけじゃないの? 自分は筧にとって必要な存在だって、信じたいだけじゃないの? 筧の口から直接聞きでもしたの?」


 吉浦の声色は、碧を責める意図を帯びていた。筧との仲を引き裂くのが、碧にとって最善だと言わんばかりに。


 冷淡な表情をしている吉浦の目を見るのが、碧には怖い。


 それでも拳を握って顔を上げた。慈悲が感じられない瞳に、碧は瞬間怯む。


 それでも、心の中で精いっぱい自分を奮い立たせた。


「吉浦さん、心配してくれて、ありがとうございます。でも、私たちは壊れたりしません。絶対納得がいくまで、二人で漫才をやりぬいてみせます」


 意を決した碧の表明にも、吉浦は顔色一つ変えなかった。あたかも碧がそう言うと知っていたかのように。


 はっきりと啖呵を切った手前、碧はもう後に退けない。


 温かった空気は、気温の低下とともに、徐々に痛みを帯びてくる。


「ふうん。まあ君がいいんなら、それでもいいんじゃない。でも、忠告はしたからね。何かあっても、私のせいにしないでよ」


 そう吐き捨てるように言い残して、吉浦は碧の前から去っていった。


 北門へと向かっていった吉浦を、碧は振り返れない。吉浦が投げつけた言葉は、碧の頭にめりこむほどの強い衝撃を残していた。


 筧は本当は自分のことをどう思っているのか、スケアクロウの行く末についてどう考えているのか、気になって仕方がない。


 でも、いざ顔を合わせたらそんなことは聞けないだろうことも、碧には分かっていた。受け入れがたい言葉が出るのが、どうしようもなく恐ろしく感じられた。


 寝静まったような部室棟の前から、碧は前だけを見て歩き出す。


 打ち上げの開始時間までは、あと三〇分もない。


 法律で許されていなくても、碧は飲んだことがない酒を、身体に入れてしまいたい気分だった。





「そっかぁ。吉浦に会っちゃったかぁ」


 八号館の一階にある学生食堂は、もとより小規模であるうえに、今は四限の真っ最中だから、学生の姿はさほど見られなかった。藍佐祭が終わった大学はあっという間に平常運転に戻り、学生たちのかけがえのない時間を薄く引き延ばしている。


 缶コーヒーを口につけてから言った戸田に、碧は小さく頷く。筧は四限に講義が入っていたし、そもそも碧にとって、筧には気軽に打ち明けられる話でもなかった。


「はい。怒りはしていなかったんですけど、凄い剣幕で。私と筧がコンビを組んでるのが、心底気に食わない様子でした」


「まあ、解散した時のことを考えたらねぇ。自分のこと見てくれてない、みたいなこと言ってたし。そんな筧がすぐ次の相方を見つけてコンビを組んでたら、そりゃ吉浦にとっては気分はよくないよね」


 どこか遠くを見つめるようにして語る戸田に、碧は気楽にパックジュースを口にできない。誰かに話して溜飲を下げたかったのに、胸の中のもやは増すばかりだ。


 学生食堂に二人を気にする者はいない。誰もがそれぞれの時間を消費していた。


「戸田さん、なんで吉浦さんは、私たちのライブに来てくれたんでしょうか」


「私も詳しくは知らないけど、筧が何度も頼みこんでいたみたいだよ。今の自分の姿を見てほしいとか言って。まあそれが逆に、吉浦の火に油を注ぐ結果になっちゃったわけだけど」


「でも、本当に心底嫌いで顔も見たくないなら、いくら頼まれても来ないはずですよね。それでも来たってことは、吉浦さんにも何か未練とか、やり残したことがあったりしたんでしょうか」


「それは私は吉浦じゃないから分かんないな。でも、たぶん引導を渡したいって気持ちはあったと思う。筧はお笑いに向いてないから、これ以上時間を空費するのはやめろよって。まあ吉浦なりの優しさだよね。やり方はともかく」


 丸いテーブルを挟んで座る二人は、自分たちにだけ伝わる声で話していた。誰も聞いていないとはいえ、大っぴらに言える内容ではない。


「戸田さん、私たちはこのままコンビを続けてていいんでしょうか」


 結論を急ぎたい思いが、碧に不用意な言葉を吐かせる。


 戸田は柳のようにしなやかな表情のまま、碧に向き合う。


「じゃあさ、上野は私や吉浦が解散しろって言ったら解散して、続けろって言われたら続けるわけ? そうじゃないでしょ。どうしたいのか、どうすべきなのかは、ちゃんと筧と話し合って決めないと。このまま流されてたら、どっちにしたって後悔するよ」


 軽く突き放すような戸田の態度が、碧の目を覚まさせる。


 間違いなくこれは自分たちの問題だ。終わりも継続も自分たちの手で選ぶしかない。


 碧は一呼吸置いて、背中をわずかに前にかがめる。他の人には初めて話すから、余計周囲に漏れないようにした。


「戸田さんは筧から聞いてるんですか?」


「聞いてるって何が?」


「筧が藍大をやめて、お笑いの養成所に入るかもしれないって話です」



(続く)

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