第18話 変わらなきゃ



「どうだった? 碧。一度通してやってみたわけだけど」


 目を合わせないことで生じる気まずい空気は、筧だって感じていただろう。


 それでも筧は一つ息を吐くと、開き直ったかのように碧に訊いてきた。


 感想を聞かれている。意見を求められている。


 碧はようやく顔を上げて、筧を見た。真剣な目の奥に、不安が滲んでいるのが見える。悲痛とも言っていい瞳に、碧は腹を決めた。


 自分だってスケアクロウの一員だ。この漫才を良く、面白くしていく責任がある。


「……なんだかしっくりこなかった」


 「しっくりこなかったってどういうこと?」。声は詰めるような響きはなかったのに、氷のような冷たさを持って碧の耳に届く。決めたはずの腹が、ぐらぐらと揺らいでいる。


 でも、言わなければ。


 このまま灰色の違和感を抱いていては、たぶん自分はいい漫才ができない。


「なんていうか、急いでる感じがした。ボケの数が増えてるのはいいんだけど、その分落ち着きもなくなっちゃってる。うまく言葉にはできないんだけど、筧が書いてくるネタには、もっとゆとりのようなものがあったから、今までにないスピード感で正直ちょっとやりづらかった」


 こんなときでもあやふやなことしか言えない自分が嫌になる。


 でも、最初に意見を求めてきたのは筧の方だ。自分は必要とされていることを言っただけ。


 そう思ってみても、筧の瞳の中にほんのわずかだけ覗く怒りに、碧はたじろいでしまう。「ごめん。偉そうなこと言って」という言葉が喉まで出かかったけれど、何とか押しこめる。


 自分と筧は対等な立場のはずだ。碧はそう信じたかった。


「まあ、それは最初だから仕方ないよ。これからネタ合わせを続けていくうえで、ちょっとずつ慣れてけばいいわけだし」


 自分の意見が封殺された。筧は新ネタの形式やテンポを、元から譲る気なんてなかったのか。


 碧は少し、でもはっきりと落胆してしまう。自分は筧の書いたネタを、ただ読むだけのマシーンではないのに。


 まだ碧に向いている目は、改善点を提案してほしいと言うようで、その実、自分が書いたネタを無条件で肯定してほしいという身勝手さを帯びていた。


 ならば、碧も黙ってはいられない。


 たった三回でも舞台に立ったことで、漫才に対するプライドは碧の中にもしっかりと芽生えていた。


「ねぇ、筧は本当にこのネタでいいと思ってるの?」


「どういうこと?」


「このネタ、今までの私たちのスタイルとは全然違うじゃん」


「じゃあ逆に聞くけど、今までの私たちのスタイルって何? 素人くさい漫才をやってダダスベること?」


 碧は答えられなかった。ただ時間だけが無常に過ぎていく。


「碧は、今までの私たちのままでいいと思ってるの? 一つも評価されてないのに? 私たちは変わらなきゃなんないんだよ。今よりももっとウケるために。KACHIDOKIで優勝するために」


 筧の言葉には明確な根拠と目標があった。


 碧だって、変化する必要性を感じていなかったわけではない。自分たちが正しい道を進んでいるのか、何度だって疑った。


 それでも碧は、筧が一緒に歩いているつもりだった道から逸れたことが、不愉快だった。


 楽な道に逃げたとは言わないけれど、違う道を選んだからには、また一から歩き出さなければならない。それこそ筧の言うKACHIDOKI優勝からは遠ざかってしまうような気がした。


「変わるとしても、こんな急激じゃなくたっていいでしょ。筧はこの半年間でやってきたことを否定するの?」


「そんなこと言ってない。ただ少しモデルチェンジをした方がいいんじゃないかって言ってるだけで。今までに費やした時間は、新しい私たちの礎になる。否定なんてできるはずもないよ」


「ねぇ、筧。私は今のままでも手ごたえを感じ始めてるよ。N-1だって、まったくウケなかったわけじゃなかった。今のまま積み重ねていけば、次はもっとウケるはず。そういう予感が私にはあるんだけど、筧は違うの?」


 筧の目を見つめる。態度を変えさせるには、言葉だけでは足りない。


 客が入ってきたのか、ドアの外は少しずつ騒がしくなり始める。部屋の中で孤立している二人を浮かび上がらせるかのように。


 筧は一つ息を吐いた。観念したようには見えなかったけれど、それでも碧は、次に筧の口から出てくるであろう言葉に期待する。


「……分かったよ。このことはまた話してこう。ちょっとずつお互いの考えをすり合わせていって、解決点を見つけてこう。でも、訪問販売っていう大元の設定は変えないから。それでいいよね?」


 筧の口調は念を押すようでも、強情な碧に少し倦んでいるようでもあった。


 角が立つような言い方に少し引っ掛かりながらも、碧は首を縦に振る。


 話し合う余地をくれているのは、筧が自分のことを認めてくれている証拠だ。お互いこれならと納得できる形はきっとある。


 人はそれを妥協したと呼ぶのかもしれないけれど、そんなことは碧たちにとっては大した問題ではない。学園祭の全八ステージを回せるだけのネタを作る。


 手段と目的が逆になっていることに、碧はとうに気づいていた。でも、アマチュアでも学生でも自分たちは芸人だ。舞台に上がったら、観客を笑わせなければならない。


 言いたいことは言わせておけばいいと思った。どうせその人たちには、舞台に上がるだけの勇気も度胸もないのだから。





 碧と筧は、それからも新ネタについて話し合いを重ねた。ボケの数、テンポ、言い回し。


 話し合いは既存のネタにも及び、碧たちは今ある三つのネタも全面的に見直すことになった。


 でも、その工程を碧は苦には感じなかった。藍佐祭まで時間がないなかでも、遠回りだが一歩一歩前に進んでいる感覚があった。筧も碧と同じだけの情熱を持って、ぶつかってきてくれる。


 そうして練られたネタは、ネタ見せでも反応がよかった。瀬川も戸田も西巻も進歩していると認めてくれて、碧のなかで自信が少しずつ肉づけされていく。


 大学生会やN-1の結果も、筧と衝突しかけたことも、すべて意味があったのだと思えた。


 藍佐祭が一週間後に迫ると、構内の雰囲気もどこか浮き足立っていく。掲示板に貼られたポスターを見るたびに、碧は息を呑む。


 高校までの碧は、積極的に学園祭に参加するタイプではなかった。クラスで出し物をやるときも、なんとなく裏方に回って役目はきっちり果たすけれど、大きな興奮も手ごたえもない、そういった立場の生徒だった。


 でも、今回は自発的に学園祭に参加しようとしている。筧とのネタ合わせも危うい時期はあったけれど、今はおおむね順調だ。


 二号館の一室を借りて行われるライブに、碧は期待で胸を躍らせていた。三回もスベるという憂き目に遭っておきながら、次こそはウケると心から信じていた。


 だから、筧が吐露した言葉は、碧にとってショック以外の何物でもなかった。


 その日も二人は、筧の家でネタ合わせをしていた。新ネタも徐々に形になり、既存のネタもぐっとよくなっている。


 手ごたえを感じて、碧は楽しんでネタ合わせをしていたのだが、筧は違ったらしい。


 ツッコミの調子は悪くない。


 だけれど、瞬間瞬間に見せる浮かない表情に、心の一部分が自分やネタに向いていない気が碧にはした。


 何か人には言えない悩みでもあるのだろうか。


 そう感じながらも、碧は指摘できずにいた。筧の心情を邪推しているようで、きまりが悪かった。


「碧、今ちょっと話いい?」


 筧が切り出したのは、二人が今日のネタ合わせを終えようかというときだった。迷いを隠しきれていない瞳に、軽い話ではないことが、碧にはすぐに分かった。


 「とりあえず座ろっか」と言われて、カーペットに座る。


 筧から放たれる空気は、教会で懺悔をする教徒と大差なかった。


「碧さ、どう? 藍佐祭、楽しみ?」


 定型文みたいな文章から、筧は話を始めた。


 どう返せば正解なのだろう。


 暗雲が垂れこみはじめた空気を払いのけたくて、碧は努めて明るい声を出す。


「うん、楽しみだよ。すごくドキドキしてる。新ネタも形になってきた実感があるし、今度こそウケるんじゃないかって気がしてるよ」


「うん、そうだよね。私も手ごたえを感じてる。既存のネタもいい感じになってきてるし、なんてったって今回はホームでの舞台だもんね。大学生会やN-1よりかは、肩の力を抜いてできそうだよ」


 筧は微笑む。だけれど、碧は筧の言葉を額面通り受け取れない。ぎこちない笑顔のなかに、うっすらと影のようなものが見えた。


 どうかしたの? という言葉が喉まで出かかる。


 でも、それを聞くのは自分じゃない。筧が自分で言うのが、この場では正しいと思ってしまった。


「でさ、盛り上がってるときに、こんなこと言うのもなんなんだけど……」


 来た。碧は心の中で身構える。どんな言葉が来てもいいように、準備をする。


 だけれど、筧がこぼした言葉は碧のガードを、たやすくすり抜けた。


「私さ、大学やめるかもしれない」



(続く)

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