04-03:理由

 なぜですか?


 シャリーは重ねて尋ねた。


「オーザさんは、錬金術師ギルドとして保有しているものをいくらでも使える立場では。魔石さえ」

「サブラスの魔石でなければならないんだよ」


 オーザの答えは今ひとつ要領を得ない。シャリーは顔には出さないように考える。オーザはシャリーから目をらさない。


「君もまた、サブラスに呼ばれた者の一人。というよりも、君をこそ呼んでいるのかもしれない」

「なぜ……私を?」

「君は世界で最も龍石を上手く扱える人間だ。それは君の実績が証明している。それはつまり、優秀な魔石使いであるとも言えるわけだ。龍石も魔石も、本質は一緒だからね」

「あなたは」 


 シャリーは青緑色の瞳でオーザを見据えた。


「あなたは魔石で何をしようというのですか?」

「ふむ」 


 オーザは顎に手をやってしばし黙る。


「そうだね、私は魔石による魔神復活などは望んではいない。世界大戦を始めるつもりもない。一介の錬金術師に過ぎないからね、私とて」

「となると……?」

「サブラスが司るものは、生命だ。生命の魔神と呼んでもいい」

「生命の……?」


 まさか――!?


「そう、君の思った通り。私はその唯一無二の力を持つ魔石を手に入れ、錬金術の至高に到達したい」


 一級錬金術師――それは「不可能」を示す隠語だ。なぜなら、一級合格の条件というのは、「蘇生の霊薬」を創り出すことだったからだ。生命倫理という概念を超越した究極の霊薬だ。


「どうだい、シャリー。君ほどの才能の持ち主がいれば、この夢はますます現実に近付く」


 シャリーはこの場に一人でやってきてしまったことを後悔し始めていた。錬金術師ギルドはどこであっても自分の庭の延長線上にあるものだと無意識に思ってしまっていたことに気が付く。


「私は、オーザさん」

「世界を変えられるんだよ、シャリー。八百年前に龍の英雄によって再生された我々人類は、龍の英雄によって創られたこの大地の上で、未だに不毛な争いを続けている。人間という一度滅ぼされた種族が、再びやり直す機会を与えられたというのにね」

「おっしゃることはわかります。しかし」

「今まさに」


 オーザはシャリーの言葉をさえぎる。


「我々は世界を変えるきっかけを手にしようとしているんだよ、シャリー。腐った我らのギルドの改革だの、そんな小さな世界の話ではないんだ。まさに、世界を、変えられるんだよ、シャリー」


 シャリーは冷たいお茶に口をつける。喉がカラカラに乾いていた。


「……オーザさん。それで、私は何を?」

「サブラスの元へたどり着き、魔石を」

「どうやって海に没した城へ?」

「うん」


 オーザは頷くと、少し咳き込んでからゆっくりと立ち上がった。


「少し外を歩こう」

「あ、はい」


 少しホッとするシャリー。ともすればこのまま監禁でもされるのではないかと思っていたからだ。外に出られればまだやりようはある。


「オーザさん」


 建物を出るなり、シャリーは前を行くオーザに声をかける。


「どうしてあなたが自分で行こうとはなさらないんですか? 私が持ち逃げする可能性だって決して低くはない、そうは思わなかったのですか?」

「ははは」


 オーザは立ち止まると、シャリーに向き直る。


「私はね、もうそんなに長くないんだ。自作の霊薬でなんとか生きているような感じさ。そしてそれももう限界に近付いている」

「そう、なんですか」


 先程から何度か咳き込んでいたのは、それのせいなのかとシャリーは得心する。


「そもそも私が自分で行けるのであれば、もちろんそうしたい。この身体の状態さえなければ、或いは魔神になんて頼ろうとなんてしなかったかもしれない」


 潮騒の音が二人を包む。穏やかな夏風が吹き抜けていく。


「運命を感じたんだよ、今日のこの再会に」

「運命?」

「そう。エライザ様からの報せを受けた時に、これは逃してはならない好機だとね。もちろん、これ自体が魔神の――いや、間違いなく魔神の差金さしがねなんだろう。でもね、私にはもう、迷っている時間なんてないんだ」


 オーザは潮風を受けながら、どこか遠くへ向けてそう言った。


「かつてはここから城へと至る道が伸びていたそうだよ」


 港の外れにある砂浜。海洋王国の象徴たる場所だ。しかし、オーザが指差す先には青く済んだ海しかない。わずかに東にある太陽から、灼熱の風が送り込まれてくる。砂に反射した陽光が、シャリーの褐色の肌を容赦なく焼いていく。遠くには小さな船が何そうか見え、海岸には釣りをしている人、散歩をしている人の姿があった。平和な真夏のある日、そのものの光景である。


 ややしばらくの間、オーザは黙ってその光景を眺めていた。シャリーは何も言えずに、陽の光に焼かれながらただじっと佇んでいた。


「誰も魔神の指先から逃れることはできないのだろう」

「そう、でしょうか?」

「できると思うのかい?」

「わかりません、でも」


 シャリーはオーザを観察する。オーザの表情には陶酔も狂気も見当たらない。ただひたすらに平穏な感情だけがあった。


「君はきっと魔石を手にするだろう」

「ギラ騎士団と王宮が絡むこの争いに、私が関わったところで」

「君は一人ではないだろう?」


 オーザはシャリーの背後を指さした。シャリーが振り向くと、遠くにケインとアディスの姿が見えた。シャリーを探しに来たらしい。


「事の大きさを知ってしまった今、あの方たちを巻き込むわけには」

「運命というのは、とても強いものなんだよ、シャリー」


 オーザは今度は空を指さした。まるでそれにあわせたかのように、天頂に黒雲が湧き始めていた。


「あれは……」


 見上げている間に、雷光すらはしり始めた。


「サブラスが呼んでいるんだ」


 オーザはそう言うと、激しく咳き込んだ。


「オーザさん!」

「だいじょうぶ、だ。いつもの発作だよ」


 オーザはズボンのポケットから小瓶を取り出し、その中身を一気に飲んだ。するとたちどころにその咳は沈静化した。


「どうしたんだ、このおっさん」


 駆け寄ってきたケインに、シャリーは事情を説明する。


「大丈夫だ、

「あ、そう? ってなんで俺の名前を知ってるの、このおっさん」

「そういえばお伝えしてませんでしたよね」


 シャリーは座り込んでいるオーザを見下ろす。オーザは小さく笑って答える。


「運命だからな。そっちの君はアディス、だろう? 夢で見た通りだ。寸分と違わない」

「どゆこと、シャリー?」

「それは……」


 シャリーは、何と答えたら良いのかわからなかった。


 その間にも空の黒さはより深くなり、気温が急激に低下していた。風も強くなり、白波が立ち始める。いつ豪雨になってもおかしくない空模様だった。


「すごい魔力です」


 アディスが海の一点を見つめて呻いた。


「何かが出てきます」

「何が出てくんだよ、アディス」

「それは……」

「旧王城、です」


 アディスに代わり、シャリーが答えた。シャリーがオーザを伺うと、オーザは幾分満足げな表情をして頷いた。


 雷轟らいごうが響く。風が海から飛沫を運び、シャリーたちを冷たく濡らす。


 その時、シャリーたちは強烈な閃光によって視力を奪われた。直後に響き渡った爆音に、立っていたシャリーたちはバランスを崩した。アディスに至っては完全に尻もちをついていた。


 シャリーたちがやっとで目を開けると、海面が強烈な放電現象を発生させていた。

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