03-04:不可解な男

 日はすっかりと落ちた。空は暗い雲に覆われており、地上はまとわりつくような湿気に包まれていた。今すぐにでも雨が降りそうな空模様だ。にも関わらず、歓楽街の方は未だ光と喧騒に包まれていて、まだまだ眠る空気ではない。一方、ケインたちの店舗兼住宅のあるエリアは、すっかりと静寂に沈んでいた。いつもと比べて取り立てて変わった様子はなかった。


「まったくこの季節ときたらさ、本当に毎年うんざりするよな」


 雨戸を開けて空を見ていたケインが愚痴る。彼の後ろにあるテーブルでは、アディスが多数の羊皮紙と植物紙を広げていた。羊皮紙はともかく、植物紙はまだまだ高級品だ。アディスは真剣な表情でそれらの書類を整理している。アディスの堅実で正確な仕事が評価され、各種の申請代行の業務もだいぶ軌道に乗ってきた。実はアディスの申請代行の業務については、ディンケル王都の中でも五本指に入る程度には有名であり、時期によってはかなりの順番待ちが生まれるほどだった。宅配業務は一度で入る報酬は大きかったりもするのだが、この申請代行はかなりコンスタントに稼ぐことができる、実に割の良い仕事だった。


「ケイン、あなたもこの仕事覚えてくださいよ」

「えー、書類とかマジ無理」

「せっかく字の読み書きができるのにもったいない。この業務、今の五割増しで受けられたら、僕たちお金には困らなくなるんですよ」

「単価あげればいいじゃん」

「王都の市場価格ってもんがあるんです」

「めんどくさ。んなもん、人を多く雇ってる大手に勝てるわけないじゃん」


 ケインは至極もっともなことを口にする。アディスは口をに曲げて、また書類への書き込みを始める。


「仕事にするのはゴメンだけど、字に関することだけはセレ姉に感謝してるんだよなぁ」

「僕が一生懸命教えたのに、ケインは全く覚えようとしませんでしたからね!」

「教え方が悪ぃんだよ」


 ケインは窓に背を向けて、アディスを振り返る。アディスは剣呑な目でケインを見上げる。


「セレナのやり方を僕がしたら、きっと喧嘩になってたでしょうよ」

「そりゃ、野郎に殴られたら殴りかえすわな」

「でしょう?」 


 セレナはケインに文字通りで、読み書きや算術を教えたのだ。


 その時、突然雨が降り始めた。それは瞬く間に豪雨となり、雷まで鳴り始めた。


「うへぇ」


 ケインは昔から雷が苦手だった。悲鳴を上げるようなことはさすがにないが、本心では布団を頭から被っていたかった。


「こりゃしばらくまねぇな」


 ゴロゴロと鳴り続ける空を見上げてから、ケインは雨戸を閉めた。


「こりゃ寝るに限る」


 ケインはそう言ってから、愛用の剣を手に取った。そしてそのまま寝室へと向かおうとする。


 それを見ていたかのようなタイミングで、ドアが乱暴に叩かれた。


「誰だ、こんなタイミングで」


 ケインは怪訝そうに眉をひそめ、剣の感触を確かめた。


「こんな遅くに?」


 ケインは慎重に鍵を開け、ほんの僅かにドアを開く。そこには小柄な人物がいた。フードを目深に被っていて、ケインの角度からは顔が全く見えない。


「仕事を依頼したい」


 かすれた男の声だった。少なくとも若くはない。


「明日じゃだめなのかい、爺さん」

「魔石の入手を依頼したい」

「……魔石?」


 ケインはどうにかして男の顔を見ようとしたが、どういうわけか、どうやっても見えない。表情はおろか、顔立ちすら把握できない。


「アディス、どうする?」

「雨も酷いですから、中に入ってもらいましょう」


 アディスは書類を手際よく片付けてから、愛用の杖を手繰り寄せた。彼なりに警戒はしているのだ。


 招き入れられた男は、全く濡れていなかった。男はフードを脱ぐこともせず、ただドアの前で立っている。それ以上歩み入るつもりはなさそうだった。ケインは剣をいつでも抜けるような体制を取りながら、視線をアディスに送った。


「それで、あなたはどなたですか」

「私のことなどどうでも良い」


 アディスの問いかけに、男は無愛想に応じた。アディスは眉根を寄せる。男のまとう気配の異様さに気が付いたからだ。魔力の流れを一つも感じない。この世界において、およそ全ての生物は大なり小なり魔力を有している。それがにもつながるわけだが、この男にはその片鱗も見当たらない。言ってしまえば、のだ。


「魔神サブラスの魔石を手に入れてもらいたい」


 男は重ねてそう言った。アディスはいつもの椅子に座ると、値踏みするように男を見た。


「魔神サブラスの、という所を見ると、あなたは何らかの情報を入手していると思われるのですが」

「それに俺たち、魔神サブラスがその辺にいるってことくらいしか知らねぇよ? 第一、俺たち二人でどうにかできるってもんでもねぇんだろ?」


 アディスとケインに言い募られたが、男は微動だにしない。


「あの錬金術師が情報をもたらすだろう」

「……あなたは何を知っているんですか?」


 アディスは杖を握り直した。男はその様子を一瞬見た――ようだったが、ケインたちには確証が持てない。


「私が知ることを開示するわけにはいかぬ」

「変な爺さん……」


 ケインの心の声が、思わず漏れ出してしまう。


「それで、あなたは魔石を手に入れて、どうするおつもりなんですか」

「どうもせぬ。ただ、サブラスの力は、どの勢力にも渡してはならない。あれは人間が扱って良い代物ではないのだ」

「では、どうすれば。そもそも僕たちだって、大金を積まれたら――」

「その結果、お前たちは命を失うことになるだろう」


 男は言う。ケインはなおもしつこくフードの中の顔を見ようと試みるが、やはり見えない。


「しかし、その魔石を入手してくれたのなら、あるいは魔石自体を永久に封印することができたなら、お前たちには未来が残る」

「それじゃ俺らには選択肢なんてねぇじゃん」

「運命だ」


 男は端的に述べた。


「残念ながら、お前たちはすでに、魔神サブラスに目をつけられている。だから、私が来た」

「だからあんた、何なんだよ?」

「どうでも良い話だ。お前たちは、そして王宮も、ギラ騎士団も、みな魔神サブラスに目をつけられてしまった。お前たちはすでに手遅れ

「だった?」

「それは良い」

「いや、良かねーだろ」


 ケインの鋭い指摘にも、男は全く動じない。


 運命――か? アディスは昼間のケインとの会話を思い出す。


 ――だとしたらさ、それもこれも全部ひっくるめてってやつなんじゃね? 俺たちがシャリーに出会ったのも、サブラスとかいう魔神の話を聞いたのも。だったらさ、いやだのやめろだの言う前に、その運命的な奴の顔くらい見たって、バチはあたらねーんじゃねぇかな?


 ――その考えすら魔神の掌の上の話かもしれませんよ。


 ――だとしたら、その掌からはどのみち逃げられねーじゃん。


 アディスが考え込んでいる隙に、ケインは男を問い詰める。


「で、俺たちはもうすでに魔神に目をつけられているから、このままいくと、おしまいだと?」

「そういうことだ。魔神の目的は総じて世界の破滅だからな」

「だから、それをなんとかしたかったら魔石をどうこうしろと」

「そういう――」

「ちょっと待ってください」


 男を凝視しながら、アディスは二人の会話に割り込んだ。

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