世界の果てで夜明けを見る

真朱マロ

世界の果てで夜明けを見る 前編

 北限に立ち、夜明けを見る。

 ただそのためだけに、ザクザクと雪を踏みしめて、シュエは岬の岩場を目指していた。


 先月、祖母の後を追うように、祖父も亡くなった。

 すべての手続きを終えて地球で生きると決めて、なんとなく夜明けを見たくなったのだ。


 北限は吹雪く日も多く、思い立ってもなかなかその機会は訪れなかった。

 久しぶりの晴れの訪れは唐突で、雪どころか風もなくシンと恐ろしいほどに静かだ。

 北限に近い土地の昼は、夜に似た暗さで目に映る世界ごと眠っているように見える。

 それでも、世界の目覚めは猛吹雪なので、夜明けを見る事が出来ないどころか、遭難の危険もあるので、ずっと眠っていて欲しかった。


 予定は未定というのは、地球にふさわしい言葉だと感じながら、前に前にと進む。

 焦る気持ちを押し殺し、シュエは慎重に足を進めていった。





 西暦が終わって三百年。

 人類は地球だけでは飽き足らず、宇宙間空間への進行も成し遂げた。

 人が暮らせる惑星もいくつか発見し、少々のいざこざを経験したものの異星人との共存も可能としている。


 自然環境が悪化していた時代に多くの人々が星雲を越えたけれど、暮らす人が減少した影響か現在では地球は緑の大地を取り戻していた。

 などと言えば良い話に聞こえるが「自然を取り戻す」を越えて、廃墟と化した人類繁栄の痕跡を緑が覆いつくしてしまい、ほんのわずかとなった人間がひっそりと間借りしているような状態だった。


 宇宙空間で生まれた者は、宇宙空間を生活拠点に選ぶ。


 衛生も生活も管理されすべてが快適な状態を維持された宇宙ステーションしか知らない者から見れば、制御できない地球の自然環境は過酷すぎる。

 わざわざ暮らしにくい場所を選んで暮らすモノ好きは少ないのだ。


 だからシュエは一年前に、数少ないモノ好きの一人になった。

 シュエの暮らす北限に近い集落は、二十世帯に満たない小さな村だ。

 ほとんどが研究者かその家族だが、シュエのような未成年は他にいない。


 シュエは月ステーションで生まれた。

 本来ならそのまま月で一生を終えたはずなのだけれど、なんと両親が星間旅行に出て事故で亡くなってしまったのだ。

 結婚記念日に一カ月ほどステーションを離れて星雲を越えるはずが、現世を越えてあの世にまで逝ってしまうなんて誰も予想できなかっただろう。


 幸いというか奇遇というか祖父母は健在で地球で暮らしていたので、そのまま引き取られて地上に降り立つことになった。

 シュエ、十二歳の夏だった。


 祖父母とはモニター越しに頻繁に会話していたから、一緒に暮らすことへの戸惑いはあっても不安は感じなかった。

 初めて顔を合わせた生身の彼らはモニター越しと同じほのぼのした笑顔だったけれど、直接触れた生身の手は魔法みたいに温かかったから、心にあったわだかたまりはすぐに溶けてしまった。


 初めて降り立った大地は生命力に満ち溢れ、月ステーションにあったすべてを紛い物だとシュエは感じてしまった。

 シュエは少年らしい好奇心を発揮して、祖父母の許可をとって地球上にある他の集落も巡ってみた。

 見る物、触れる物、そのすべてが色鮮やかで、匂いがとにかく濃い。

 キラキラと輝く青い海や、カンカンと照りつける太陽。雨上がりの土の匂いに、朝露がこぼれ落ちる緑の葉の鮮やかさに、シュエの心は震えた。


 良く似た物は月にもあったけれど、それらはすべて綺麗で美しく整えられ、どこまでも清潔だった。

 薄いフィルター越しのようにどこか淡くてほのかなあれらは、地上に降りれば一瞬で紛い物だとわかる。

 匂いも温度も触感も、肺に吸い込む空気の密度まで、地球は何もかもが臭く熱く生々しかった。

 水も風も光さえもあるがままの地球は、作り物を肌で感じたことがある者にとって、凶悪なほど痛々しく、ただひたすらに美しかった。


 祖父母が居住地に地球を選んだのは、星の命を知ってしまったからだと身体で理解する。


 快適な暮らしが懐かしくないなんて言わない。

 暮らす人のあまりの少なさに寂しいとも思う。

 懐かしさで遠く夜空に輝く月を見上げる夜もある。


 だけど。

 シュエはもう二度と、この星を離れることはできないだろう。

 祖母と祖父が相次いで他界した時、月に帰るか尋ねられたけれど、シュエは迷いもせず地球を選んだ。

 祖父母の遺してくれた家は一人で暮らすには少し大きいけれど、地球に訪れる学生や研究者をもてなすこともできるので、独りぼっちという訳でもないのだ。


 それにしても、と今さらのようにシュエは思う。

 晴れているとはいえ北の大地は真冬で、頬を軽く叩く風は分厚い防寒着を着ても染みいるように凍え、踏みしめる深い雪は冷たい。

 一応、保温装置は服にも荷物にもつけているけれど、極夜の威力に抵抗するには出力が小さかった。

 歩いていれば少しは温もるかと思ったけれどそういった兆しもなく、風がないからなんとか動けているが立ち止まったらあっという間に体温を持っていかれるだろう。


 おまけに極夜の時期なので、太陽が一日を通して登らず、薄闇に世界は包まれるので吹雪とは違う視界の悪さだ。

 日中でもほのかに明るい闇は不可思議な美しさを持っているけれど、凍てつく空気が温もる時間もまるでないから、シンシンと冷えるばかりだった。


 昨年、地球に降り立ってすぐ。

 祖父と二人で夜明けを見たことがあったが、祖父が操る犬ゾリで移動していたからそれほど遠く感じなかった。

 けれど、一人で雪原を歩くのは無謀だったかもしれない。


 享年十三歳。

 そんな単語がふっと頭の中をよぎり、シュエはブルリと身体を震わせる。

 同居している研究者のクレヒトに、声をかけずに出てきたのは失敗だったかもしれない。

 理想は祖父母のように穏やかな老衰なのに、凍死が身近すぎて怖い。


 今さらのようにシュエは自分のうかつさに気付いた。 

 祖父の操る犬ゾリで夜明けを見た記憶は、とても温かく楽しいものだったから徒歩で村を出てしまったけれど、アレは思い出加算が大きかったに違いない。

 真っ白な雪は美しく、秘密を覆い隠してくれるが、近付くものには容赦なく牙をむくのだ。


 たった一人、暗闇の雪原を歩く心細さがわき上がる。

 誰にも知られることなく命が終わっても仕方ないようなことをしている事に、今さら気付いた。

 闇の中を淡いランプの光だけで進んでいると不安がふくらんでくるものだけれど、あながち妄想とも言いきれないかもしれない。


 かといって、今から引き返す気にもなれなかった。

 引き返したら次に晴れる日はいつになるかわからない。

 それに帰宅しても、犬ゾリを操れないシュエには再び雪原へ出る方法もなかった。


 不安に揺れる心をなだめながら、行ける所まで行こうと思いながら進んでいたら、どこからか音が聞こえてきた。

 近づいてくるその音に振り向くと、犬ゾリだった。


 嘘だ、と思う。

 亡くなった祖父の操っていた懐かしいソリだったからだ。

 心残りを果たすために、化けて出たのだろうか。それとも、愚かなシュエをあの世へと迎えに来た? などと思いながら、近づいてくる人をぼんやりと見つめる。 


 けれどすぐに思い違いに気がついた。

 祖父は身長が低めで横にふっくらした体型をしていたけれど、迫ってくる犬ソリに乗っている男は縦に長く身体はシュッと引き締まっている。


「よぉ! 乗っていくか?」


 ソリを操っている黒づくめの男は、シュエを見つけると軽く右手を挙げた。

 驚いて足を止めたらあっという間に近づいてきたソリは、シュエの横で軽やかに止まる。

 ニヤリと笑う野性的なその顔に、シュエは軽く肩をすくめた。


「頭の良い奴は肝心なところが抜けてるって本当だな。ちょっとぐらい俺に甘えてみろ」

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