ハロルド 奪われた心

 その後本当にヴェロニカはジュリアンを説得して、騎士団を交渉に使うことなく無事に帰ることが許されたのだから、公爵も驚きを隠せない様子で、二人の仲を疑っていた。


 ハロルドの心中もまた、複雑であった。


 ヴェロニカが無事に帰ってきたことはもちろん嬉しい。しかしまるでジュリアンとの絆を見せつけられた気がした。その証拠にヴェロニカはどこかぼんやりとして、心ここにあらずといった様子であった。


(いいや、違う)


 彼女は帰ることのできる実感がわかず、戸惑っているだけだ。


 なにせ半年もの間、半ば監禁する形で部屋に閉じ込められていたのだから。いくらヴェロニカが精神共に強いと言っても、異常な環境に神経が参ってしまっても仕方がない。


 屋敷へ帰り、ゆっくりと療養すれば、以前の彼女に戻るはずだ。


 ハロルドが愛おしくてたまらず、嫉妬の激しい妻の姿に……。


「――ヴェロニカ……ヴェロニカ!」

「あ、ごめんなさい」


 ぼうっとしていたわ、と彼女は困ったように謝った。


「まだ、体調が?」

「ううん。もう大丈夫」

「……無理はよくない。まだ休んでいなさい」


 ほんとに大丈夫よ、と彼女は逃げようとしたけれど、その前に素早く抱き上げて寝室へ連れて行く。


 ヴェロニカはしつこく抗議したけれど、頑なに聞き入れない夫の態度に無駄だと悟ったのか、途中からは諦めたように夫の胸に身を預けた。寝室に入ると、彼女に気づかれぬよう、そっと鍵をかけていた。


「こんな昼間から休んでいるなんて……」

「疲れているんだ。大人しくしていろ」

「……わかったわ」


 ヴェロニカは大人しく目を瞑った。しばらく様子を見守っていると、そう時間も経たずして彼女は眠りについた。本当に疲れていたことに、なぜかひどく安堵する。


 彼女の顔をじっと見つめ、額や瞼に軽く口づけを落とし、頬を撫でる。


「ヴェロニカ……」


 ――さっき、誰のことを考えていたんだ。


 そう妻に尋ねたかった。


 けれど彼女が少しでも動揺を晒し、自分ではない他の名を口にされることが怖くて、結局彼女は疲れているんだと結論づけた。だってそうでないとおかしいではないか。


「きみが、好きなんだ……」


 きみも、そうだろう?


 今自分の目の前にいるというのに、ハロルドはヴェロニカがまだ遠くにいるようで苦しかった。眠っている彼女を無理矢理犯して、少しでもこの不安を消してしまいたかった。


 そんな最低なことを考える自分に嫌悪感が募る。すでに彼女が帰ってきてから、毎晩責め苛むように抱いているというのに。


 それでも心は晴れなかった。むしろますます飢えていく。


 彼女を飽きるほど抱いて、自分でしか快楽を覚えない身体にしてしまいたい。何度でも愛しているとその口から言わせたい。その目に自分だけを映させて、他に何も考えられなくなってしまえばいい。


(俺もまた、おかしくなっているのかもな……)


 ぎしりと寝台を軋ませ、ヴェロニカの顔近くに手をつく。薄く開いた唇を塞ぐように唇を重ねた。苦しくないように、眠りから目を覚まさせないように、すぐに離す。数度繰り返し、やがて柔らかな舌を絡ませて吸うと、彼女は長い睫毛を震わせた。


「ん……」


 けれどやはり起きることはしなかった。夢の中を彷徨っている彼女に安堵するものの、同時に自分ではない男の夢を見ているかもしれない、と思って醜い嫉妬心が掻き立てられる。


(夢で、会っているのか)


 今自分が触れているように、触れられたのか。口づけされたのか。舌を絡ませたのか。愛を囁かれたのか。


(きみも、それを許したのか)


 そう思うとハロルドはヴェロニカが憎らしくてたまらず、彼女の眠りを妨げることも気にせず貪るように口づけを重ねた。彼女の眉は悩ましげに、口からは浅い息が零れ、やがて強制的に現実の世界へと引き戻され、ハロルドをその視界に映すこととなった。


「っ」


 悲鳴にも似た声が漏れるも、それすらハロルドは塞いだ。抵抗を許さぬように馬乗りになって、服さえ脱がさないで彼女の身体と繋がっていく様はまるで犯しているようだった。


「ハロルド……」


 でも、ヴェロニカはハロルドを拒絶しなかった。こんな形でも、彼女は相手が夫だとわかると安堵して、身を任せてくる。そんな態度がますますハロルドの心を狂わせるようだった。


(どうしてきみは……)


 抵抗してほしかった。実際されれば力づくて押さえつけたかもしれないが、それでもハロルドは彼女にこんなことはやめてと怒ってほしかった。


 非道な振る舞いを許すのは、彼女の方にも間違いがあったからか。そうでなくとも、彼女の心が以前とは違ってしまったからか。


(違う。ヴェロニカは……)


 後ろ向きになっている彼女の顔を強引に振り向かせ、唇を重ねる。


「ヴェロニカ……俺のこと、好き?」

「すき……だいすき……」


 彼女の方から言ってほしかった。以前のように激しい嫉妬をぶつけてほしかった。


 カトリーナのことを、聞いてほしかった。


 気にならないのか。自分とどんな関係だったのか。知っているはずだ。あの男から聞いたはずだ。それなのになぜ聞かない。どうして以前のように自分を押し倒して、許さないと詰ってくれない。どうして――


(ジュリアンのことを、考えているんだ……)


 勝手なものだ。自分だってずっとカトリーナのことを心の片隅に置いて、忘れないでいたというのに。ヴェロニカの嫉妬にも気づかない振りをして。


『そなたの妻は貞淑を守り通した』


 ジュリアンはそう言ってくれた。そして自分とカトリーナの両人に対して嫉妬していたと打ち明けてくれた。


『許されるつもりはないが……それでもすまなかった』


 ジュリアンは苦しそうな顔をして、謝った。ハロルドの目には、彼がかつての素直で優しい国王に戻ったように映った。


『ヴェロニカにもどうか……』


(陛下が変わったのは、きみのせいなのか……きみが俺を愛してくれたように、陛下に対しても、同じように心を砕いてやったから、だからっ……)


『私もそなたの幸せを願っていると、どうか伝えてくれ……』


 自分だけのものだったのに。自分だけを想ってくれていたのに。


「もっと言って。俺だけを見て、俺だけを愛していると……」


 ヴェロニカはハロルドの命令に逆らわなかった。夫の手を取り、好きだ、愛していると素直に繰り返した。普段はお転婆とも言える快活な彼女が、今は人形のように大人しく、ハロルドの腕の中に抱かれている。


「俺も、きみのことが好きだ。愛しているんだ」


 ハロルドがそう言うと、ヴェロニカはうっとりとした表情で「わたしも……」と返事をして、気を失うように目を閉じた。彼女の身体を抱きしめ、甘い香りのする髪に顔を埋める。


(もう二度と、離しはしない)


 誰にも渡さない。奪われたならば、取り戻すだけだ。



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