24、駆け引き
「……さいあく」
頭がガンガンする。気持ち悪い。
「目が覚めましたか」
グレンダが閉めきっていた分厚いカーテンを開け、もう昼過ぎだと思われる日の光を部屋へと入れる。容赦なく降り注ぐ陽光にヴェロニカは再度うめき声を上げた。
「ご気分が優れないようですね」
「……昨日、途中から記憶がないの」
どうなった? と恐る恐る尋ねる。遅めの朝食を準備するグレンダが手を止めて、ちらりとこちらを振り返る。
「お聞きになりたいのですか」
「私、何か醜態を晒してしまった?」
それとも……。
「陛下に何かされてしまった?」
今のヴェロニカはきちんと衣服を身につけている。ジュリアンとそういうことをした形跡も見当たらない。でも、覚えていないだけで違うのかもしれない。
「陛下は酔って寝てしまったヴェロニカ様を寝台の上に寝かせますと、そのまま自室へお戻りになられました」
「本当?」
「本当でございます」
よかった、とヴェロニカは胸をなで下ろした。
(もう二度とお酒は飲まない……)
今回は無事で済んだが、やはり軽率であった。気をつけよう、と彼女は再度心に留めた。
「陛下は酔ったご婦人に手を出す方ではありませんわ」
少し憤慨したような言い方に、ヴェロニカは顔を上げる。
「あら。前科があるのよ。信用できないわ」
「それはそうですが……あの時も別にヴェロニカ様は酔っていらっしゃいませんでした」
正々堂々とならば、襲っても構わないのか。ジュリアンの肩を持つグレンダにヴェロニカはムッとする。言い返そうとして――やめた。
ずいぶんと心を開いてくれたと思っても、結局彼女の主はジュリアンなのである。ヴェロニカの味方ではない。
(それにしても、ジュリアンもよく大人しく帰ってくれたこと……)
それほど自分は酔って暴言でも吐いたのだろうか。
『きみは酒に弱いから、人前ではあまり飲まない方がいい』
いつになく真剣な顔で言われた夫の言葉を思い出し、ヴェロニカは懐かしさと共に寂しく思った。
「ねぇ、他に何か変わったことはあった?」
「……いいえ、特にございません」
グレンダの視線は手元の茶器に固定されたままだった。ヴェロニカはそう、とだけ返した。
◇
その夜、またジュリアンがふらりと現れた。
ヴェロニカは帰ってほしいと今度ははっきりと告げた。けれどグレンダが招き入れ、ジュリアンもすぐ帰るからとするりと部屋へ入って椅子に腰かけた。
「私、もうお酒は飲まないと決めたの」
「そうか。なら他のことをしよう」
「他のこと?」
ジュリアンがにやりと笑う。
「チェスだ」
彼の提案に、ヴェロニカは思わず顔を顰めた。
「――私、こういうゲーム苦手なの」
盤上の駒をもう何分見続けていることだろう。
「もう万策尽きたのか」
素直に頷くと、ジュリアンは「これで私の三勝だな」と呟いた。
「もうやめましょうよ」
「なぜ?」
「なぜって……弱い人に何度も勝って、あなた、楽しいの?」
「ああ。そなたをじわじわと追いつめていくのは、毎回楽しい」
曇りなき笑顔で言われ、ヴェロニカは内心ドン引きする。
「もういいわ。じゃあ別のやつにして」
「別の、とは?」
「カードゲームとか」
これならヴェロニカでもいくらか自信があった。
「どうせならグレンダも入れてやりましょう」
急に話を振られ、気配を消すように控えていたグレンダは目を見開く。
「ヴェロニカ様。わたくしは……」
「ふむ。そうだな。こちらにきなさい」
主に言われ、グレンダも渋々と参加することとなった。
「最後にジョーカーを持っていた者が負けだ」
ジュリアンがトランプをよく切り、各人に配る。ヴェロニカは配られたカードを見て、同位のカードを捨てていく。現状で一番手札が少ないのはヴェロニカである。
(これなら私にだって……)
「――上がりだ」
「うそ……」
一番早く上がったのはグレンダ。次いでジュリアンとヴェロニカの一騎打ちになったのだが、ジョーカーはヴェロニカのもとに残ってしまった。
呆然とカードを見るヴェロニカにジュリアンが堪えきれない様子で笑った。
「ははっ。やはりそなたが負けてしまったな」
「っ、たまたまよ!」
「そうか? ならもう一回するか?」
望むところよ! とヴェロニカは自ら散らばったカードをかき集め、切り直した。今度こそ絶対に負けない。自分が負けたのはたまたまである。次こそは――
「どうして?」
やっぱりヴェロニカの負けとなった。これでもう何回目だろうか。
「どうしてだろうなぁ?」
ニヤニヤと笑うジュリアン。グレンダはやや憐れんだ目で見てくる。どちらの態度もとても腹立たしい。
「さて、今回はこれでお開きにしようか」
「ま、まだ!」
「ヴェロニカ。そう焦るな。また明日もきてやる」
ジュリアンはそう言うと、実に満足した様子で帰って行った。
そして予告通り次の晩も現れ、ヴェロニカと勝負をした。
何度やっても、ヴェロニカは負け続け、その度にもう一度、と諦めることなくジュリアンに勝負を挑み続けるのだった。
「本当にそなたは弱いなぁ……」
「どうして一度も勝てないの?」
もしや何かいかさまでもしているのではないかとジュリアンを疑うが、そんなことするはずないだろうと彼は馬鹿にしたように笑った。
「グレンダも?」
「もちろんでございます」
「じゃあ、私がとても弱いのね……」
しゅんと肩を落とすヴェロニカに、ジュリアンが屈託なく笑う。
「何もそんなに笑わなくたっていいじゃない……」
「いや、すまん。ここまでわかりやすい人間がいるのだと、驚いてしまってな」
「わかりやすい?」
そうだ、とジュリアンが目を細める。
「そなたはとにかく顔に出やすい。私やグレンダがジョーカーを選ぼうとすると目が輝き、逆に自分が引いてしまった時は口元が歪む。実にわかりやすい意思表示だ。なぁ、グレンダ?」
席を立って飲み物の準備をしていたグレンダは、はいと頷いた。ヴェロニカは呆然とする。
「私、そんなに顔に出ていたかしら……」
「実に表情豊かだ。そなたに駆け引きは向いていないな」
「つまり駆け引き以外の勝負事だったら勝てるということ?」
「チェスに戻るか?」
無理、とヴェロニカは力なく首を振った。
「もうあなたとは遊ばないわ」
「なぜ。私は楽しかったぞ」
「私は楽しくなかったもの……」
(それにこんなことしている場合じゃないのに……)
状況はちっとも変化していないのに、ついジュリアンとの遊びに夢中になってしまった。恐ろしいほどの罪悪感が今更ながら襲ってくる。
「ねぇ、陛下。私――」
「グレンダ。茶は淹れてくれたか?」
「はい。ヴェロニカ様にはホットミルクを」
湯気の立つマグカップを手渡され、言いかけた言葉は有耶無耶になってしまう。
「これを飲んだら私も戻る。そなたも眠るのだろう?」
「……ええ」
「ではまた明日来よう」
返事はせず、黙ってホットミルクを口にした。
甘くて、子どもの頃を思い出す。寒くて眠れないヴェロニカに母がよく作ってくれた。あれからもう何年も経ち、今や結婚して子どももいるというのに、自分はなぜこんなところにいるのだろう。
「ヴェロニカ。私はこの時間が楽しみだ。明日もどうか、付き合ってくれ」
ジュリアンの目は縋るようで、ヴェロニカは「嫌よ」ときっぱり拒絶の言葉を口にできなかった。
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