5、強引な誘い

「陛下。これはどういうことでしょうか」


 ハロルドはヴェロニカの姿に動揺を隠せないようであった。


「そなたが驚くところ、私は初めて見た。よほど奥方が恐ろしいと見える」


 ハロルドは王の揶揄いにも耳を傾けず、ヴェロニカをじっと見つめた。大丈夫か、と心配する目に軽く頷く。わずかに安堵した色を浮かべ、ハロルドは主君に向き直った。


「陛下。その様子では妻に無理を言ってここまで参上させたと見えます」

「そんなことはない。……なぁ、ヴェロニカ」


 射貫くような視線を向けられ、ヴェロニカは言葉を詰まらせた。自分に従わなければ許さないという圧。けれどヴェロニカは屈することなく、毅然とした態度で答えた。


「陛下にとってはただの冗談だったかもしれませんが、私にとっては、夫が怪我をしたというのは心臓が止まりそうなほどショックな知らせでしたわ」


 ジュリアンはヴェロニカの反応が意外だったのか、目を丸くした。そして先ほどの威圧感もぱっと消え、代わりに子どものような無邪気な笑みを浮かべた。


「さすが魔女殿。私ごときの脅しではびくともしないということか。そなたも面倒な女に捕まったな、ハロルド」

「素直で可愛らしい、私の自慢の妻でございます」


 世辞だとわかっていても、ヴェロニカは頬が熱くなった。そんな彼女の様子を見て、ジュリアンは今度は面白くなさそうに頬杖をついた。だが侍従が耳元で何かを告げると、またすぐに顔を輝かせた。


「カトリーナが到着したそうだ」


 ヴェロニカはその言葉にぎゅっと胸が掴まれた。夫の方を見れば、感情の読めない表情で国王を見ていた。


 大きな扉が開かれる。数人の侍女を引き連れた婦人がしずしずと歩いてくる。


(あの方が、カトリーナ様……)


 明るい所で見れば金色に見える亜麻色の髪を三つ編みに編み込み、後ろで低く上品にまとめている。長い睫毛に縁どられた大きな目に、小さくも通った鼻筋、唇も小さいけれどふっくらとして赤かった。露わになった白い耳たぶには小さな宝石がいくつも連なった耳飾りがゆらゆらと揺れていた。


 子どもを産んだとはとても思えない華奢な身体。可愛らしい顔立ち。儚く、守ってあげたくなるような雰囲気は、ヴェロニカを強く打ちのめした。


 自分には逆立ちしたって手に入らないもの。そのすべてを目の前の女性は手にしている。


「カトリーナ。遅かったではないか」


 急に呼び出したのはジュリアンの方であるが彼は妻の遅れを責めた。カトリーナは怒った様子も見せず、流れるような動作で腰を折った。


「申し訳ありません。支度にいささか時間をとってしまいました」

「そうか。なら仕方ない。それより、おまえに客人だ」


 ジュリアンがこちらを見て、カトリーナもヴェロニカの方を見た。視線が絡まり、ヴェロニカはなぜか一瞬恐怖が湧いた。


 このいかにもか弱い女性が力で自分をどうこうできるはずがないのに、なぜかすべてを奪われそうな予感が駆け巡ったのだ。


「初めまして、ヴェロニカ。わたくしはカトリーナと申します」


 もっとずっと聞いていたいと思うような甘い声。彼女は声まで完璧だった。


「ハロルドの妻なのでしょう? お会いできて嬉しいですわ」

「光栄ですわ、王妃殿下」


 挨拶はしたものの、ぎこちない空気が流れる。二人は今日が初対面である。カトリーナの方も何を話せばいいか……そもそもなぜ自分がこの場で呼び出されたのか理解していないようだった。


「なんだ。カトリーナ。話はもうそれで終わりなのか? おまえがヴェロニカと話したいだろうと思ったから、わざわざ呼んでやったというのに」

「確かにハロルドの奥方とはいつかお話してみたいと思っておりましたが……そのために、わざわざ彼女を王宮へ呼んだのですか」

「そうだ。おまえのためだ」


 カトリーナは困惑したように目を瞬かせる。


「それは、ありがとうございます……」


 思いもよらなかったというカトリーナの態度にヴェロニカは内心疑問を抱く。顔色もどこか悪そうに見えた。声をかけようとしたが、その前に王の明るい声が遮る。


「ヴェロニカ。せっかく来てくれたんだ。夕食も一緒に食べて行ってくれ」


 突然の申し出にぎょっとする。


「そんな、一緒にだなんて……」

「私の誘いは迷惑か?」


 穏やかな言い方は、断れば許さぬという冷たい忠告も含んでいた。ヴェロニカは慌てて違いますと首を振った。


「ではいいではないか」

「陛下。妻は子どもを自宅に残して出てきております。私も父として不安であります。一度帰らせて、また日を改めてこちらへ伺わせてもらいます」

「ハロルドの言う通りですわ、陛下。子どもは気がかりでしょうし、女性には準備がありますもの。いきなりでは失礼です」


 ハロルドの意見に、カトリーナも頷く。


 二人の説得にヴェロニカは感謝すべきだったが、胸がもやもやした。国王も冷めた目で彼らを見据えた。


「家にはメイドも乳母もいるだろう? ヴェロニカがわざわざ帰る必要はない」

「しかし」

「一度帰してしまえば、おまえはなんだかんだ言ってまた私の誘いを断るに決まっている」


 だから帰るなとジュリアンは命じた。


 それでもハロルドは納得がいかなそうであった。カトリーナもどうするべきか迷っている。


「わかりましたわ、陛下」

「ヴェロニカ!」


 折れるしかなかった。考え直せというようにハロルドが声を上げたが、大丈夫だとヴェロニカは笑みを浮かべた。


「せっかくの誘いですもの。喜んでお受けいたしますわ」

「そうか。それは楽しみだ」


 自身の願いが叶ったことで、ジュリアンは満足げに笑い、夕食まで相手をするようカトリーナに命じた。彼女は本当にいいんですかと不安そうにヴェロニカを見たが、もう引き返すことはできないとヴェロニカは覚悟を決めて頷き返した。


 今振り返れば、この時に何としてでも帰っておくべきだったのだ。


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