第33話 カミーユから見た小さな商談相手(前編)

 自分は、小さい頃から旅商人に憧れていた。

 カミーユは自室で安楽椅子に腰かけながら、思案していた。

 

 自分の身一つで世界を歩き、実力で身を立てる。なんと面白い生き方だろうか。カミーユはそう思っていた。

 貧しく苦しい生活をすることになるのは、理解している。自由よりも不自由の方が多いことも。


 もちろん、ヨクタベレール商会の跡取りという生き方が退屈なわけではない。

 海千山千の大商人が商談相手や商売敵だ、自分の一挙手一投足で商会が傾いたり、潰れたりする可能性もある。

 自分の肩には、商会に所属するすべての商人たちの命がかかっている。その重みはスリルなんてものでは済まない。


 ただ……いくら頭で理解していても、旅商人への憧れは止まらなかった。

 カミーユは胸の内の憧れを隠したまま、ヨクタベレール商会の跡取りとして、順調に経験を積んできた。親や部下らに信頼され、将来は安泰だと思われている。旅商人への憧れという、破滅願望に近い望みを悟る者はいなかった。

 否、自分が本当に抱いているのは旅商人への憧れなどではなく、破滅願望そのものなのかもしれない。


 ヨクタベレール商会は、果物を主に取り扱う大商会だ。大陸を二分する巨大湖を渡る船をいくつも所有し、南の国から珍しい果物を新鮮な状態で輸入し、貴族や大富豪相手に売り捌いている。

 ヨクタベレール商会は祖父が興した商会であり、現在は父が代表を務めていて、いずれはカミーユが継ぐことになっている。


 旅商人になる代わりに、カミーユはとあることをしていた。

 カミーユは安楽椅子から立つと、その「とあること」の収まっている本棚に歩いていき、一冊の分厚い古書を取り出した。


 古書は、書籍商から密かに購入したものだ。

 家族も部下も、誰もカミーユがこんな本を所有しているとは想像だにしないだろう。

 それは悪魔召喚の方法が記された本だ。

 何も悪魔の存在を心から信じているわけではない。

 だが、あまりにも普段の日常には危険が少なすぎる。だから、こんな本を購入してみたわけだ。


 気晴らしのために、悪魔崇拝者の集会に参加してみることもある。

 それで本当の危機に接してみたことなどない。生の実感を得られた試しなどない。虚しい余暇の使い道だ。


 だがもうそんな虚しいことに時間を使う必要などないのだ、これからは。

 キャビネットの棚に飾られた、一本の金髪の収められたガラス管を見やりながら、カミーユはほくそ笑んだ。


 

 に出会ったのは、王太子からの注文を受けたのがきっかけだった。

 さまざまな果物を見て、購入するものを選びたいのだとのことだった。

 それ商機がやってきた、と商会の商人たちは湧く。カミーユもまた意気込みを感じながらも、心の底から熱狂はできないままだった。


 カミーユは、王族を相手に会話できるだけの礼儀作法を身につけている。王城に上がったら、カミーユが主に二人の王子を相手にすることに決まった。

 

 王族と会話することなど、本当の危機ではない。理屈としては、王族の機嫌を損ねれば商会が潰れる可能性はある。だがそんな可能性など、旅をしていて魔物や盗賊に命を奪われる危険に比べればなんだというのか。カミーユはそう思っていた。

 稼いだ額ではない。乗り越えた困難の質にこそ、生の価値があるのだ。

 

 カミーユは涼しい顔で役割を引き受け、その様子に部下たちの信頼がさらに高まるのだった。

 嗚呼、退屈だ。


 王城に上がったカミーユは、二人の王子相手に卒なく会話をこなし、数々の果物を勧めていった。

 二人の王子から受ける印象は、ごく普通だった。王太子に会えば、「この人が次の王になるのか」と感心させられるような凄みでも感じられるのではないかと思っていたが、そんなことは特になかった。

 リュカという名の第二王子の方も、好奇心が旺盛なだけでごく普通の幼い子供に見えた。


 その後第二王子が、果物で作る酒のことについて聞いてきた。

 子供が酒に興味を持つなんて変だなと思いながらも、カミーユは答えてあげた。大人なことに興味があるのだろうかと、そっとたしなめたりした。

 すると彼は、事も無げにこう言うのだ。


「のむんじゃなくて、もっといいりよーほーがあるの!」

 

 ゾクリと震えが走った。

 カミーユの商人の勘とでも言うべき何かが、彼の言っていることは子供のたわごとではないと告げていた。


 第二王子は慌てたように、ションバーの実を注文した。

 だが、そんなことで誤魔化されはしない。あの子供は何かを知っている。それを探らなければならない。

 カミーユは心が湧き立つのを感じていた。こんなにワクワクすることは、生まれて初めてだった。


 カミーユはすぐに部下に小声で指示し、賄賂の入った木箱に果物を入れさせた。

 賄賂の用意など慣れたもので、部下は顔色一つ変えずにすぐさま用意をした。

 賄賂など、ごく普通のことだ。何の危険もない。


 カミーユは金貨が二重底に敷き詰められた木箱を、直接王太子に手渡した。普通は貴人に直接手渡したりしないが、「これは賄賂ですよ、受け取ってください」というアピールだ。

 王太子はすぐに意味を理解したのか、片眉を動かしただけで何も言わなかった。


 少しでもリュカという第二王子と、繋がりを作っておきたい一心だった。

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