第41話 子供

 四人でお菓子を食べながら話した。ともや君は楽しそうに笑ってノックによく懐いているのがわかる。星野さんも口数が少ないなりにともや君と優しい顔つきで話していた。


「あれ、ともやくーん?」


 少し離れたところから声が聞こえる。呼ばれた彼が慌てて声を上げた。


「はーい!」


 すぐにカーテンが開かれる。看護師さんだった。僕たちに軽く会釈だけした若い女性は、ともや君に声をかける。


「検査の時間だから。おしゃべりは一旦おしまい」


「はあーい」


 残念そうに口を尖らせるともや君は、僕と星野さんを見上げて言った。


「またきてね、お兄ちゃんお姉ちゃん!」


 か、かわいい!


 普段子供と接する機会なんてないが、こんな弟とかいたらなあ、と思ってしまった。星野さんも笑っている。


 看護師さんがともやくんに言った。


「あ、一枚上羽織っていこうか」


「はーい」


 そういうと、すぐ隣にあったカーテンが勢いよく引かれた。ずっと見えなかったともや君のベッドがチラリと目に入る。やはり大人のノックとは違う、おもちゃなどが置かれている乱雑なベッドが微笑ましく思ったが、すぐに他のことに意識が行った。


 ベッドに一人、子供が座っていた。


 こちらに背を向けた小さな子だ、四、五歳ほどか。長い黒髪だけが見える。多分女の子なのだろう、微動だにせずそこに座っていた。


「カーディガン着ておこうか」


「うん」


 その女の子を通り抜け、看護師さんとともや君が会話しながらそばに置いてあった服を手に取る。二人とも女の子については何も口に出さない。その不思議な光景をただ見つめていた。そしてともや君と看護師さんはこちらに向かって手を振った。


「ばいばーい!」


 その言葉を合図に再びカーテンが閉じられた。目の前が布で遮られる。


……なんだ、今のは?


 ほんの少しの時間だったせいか、唖然としたまま終わった。そしてようやく気づいた瞬間、僕の体の奥底から数千匹の虫が登ってくるようなゾワゾワとした気持ち悪さが襲う。


 たった数秒見えた子供の後ろ姿。それなのに、どうしてこんなに怖い?


 ぶるぶると震える手を隠すようにポケットにしまった。隣にいた星野さんは横目でそれを見ている。ノックは何も気づかないようで、ともや君たちが部屋を出たあと、小さな声で話した。


「あの子、さあ」


「え?」


「この前家族と医者が話してるのが聞こえちゃったんだけど。退院が決まると突然体調が悪化してなかなか退院できないらしいんだよね」


「え……」


「少し前も退院が決まって喜んでたら、真夜中に変な呼吸音が聞こえて、びっくりして俺ナースコール押したんだよね。色々バタバタ処置されて、結局また退院できず」


 三ヶ月以上も前から入院していると言っていた彼の発言を思い出す。元気そうに見えるのに、と感じたが、何度も退院が伸びているのか……。


 あの年なら友達と遊んだり、学校に行ったりするだけで大変楽しい時期だ。それを病院に拘束されてるんじゃ、可哀想だな。


 星野さんが頷いて言う。


「野久保くんという話相手ができてよかったね。年は離れてるけど、一人でこもってるよりいいもの」


「まあ、俺も暇だしさー」


「それにしても不思議だね、まあ私は医学のことなんてわからないから……」


 二人が悲しげに話しているのを、僕の耳がすり抜けていく。


 このカーテン一枚の向こうに、あの少女がまだいるのかな、なんてことが気になりすぎて、会話に集中できない。







 しばらくノックと談笑したあと、星野さんと病室を出た。ノックと話せるのは嬉しかったが、さっき見えた女の子と離れられるのはそれ以上に嬉しくてたまらなかった。


 病院は死人が出て当然の場所だ。必然的に、見えてはいけないものが増えるのもしょうがないこと。実はノックの部屋に来るまでにも生きてないだろうなあ、という人を見かけた。


 それでも、霊を見るのは慣れているし、悪そうなものはいないので簡単にスルーできた。


 ではどうして、あんな子供の後ろ姿に僕は戸惑っているんだろう。


 全身の毛が逆立つような、あの不思議な感覚は。


「野久保くん元気そうだったね」


「え? あ、うん、経過も順調そうでよかったね」


 二人で病院の廊下を歩きながら話す。忙しく動く看護師さんたちに道を開けながら進んだ。


「暇なのは辛いみたいだね。大山くんの漫画喜んでた」


「ずっと寝てるだけっていうのも大変だろうねー」


「野久保くんは動くの好きそうだしね、アウトドアなイメージ」


「あはは、わかる! ……ってあれ、星野さん、玄関は向こうだよ?」


 来た道とはまるで違うところへ足を運ぼうとしている彼女に指摘する。知らなかったけど方向音痴なのか? ちょっと可愛いじゃないか。


 しかし彼女はクルリとこちらを振り返り、何を言っているのとばかりに目を丸くする。


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