第37話 悼むこと

 そのまま二人で歩き出した。星野さんの家の場所は知っている。僕の家からも近いので、そう大変な労働じゃあない。


 雨が傘に打ちつける感触が握る持ち手から伝わってくる。踏み出した足はアスファルトに溜まった雨水を跳ねさせた。履いているスニーカーは瞬時に湿ってくる。


 無言で二人で道を進んでいく。どこかドキドキして、そしてワクワクするような不思議な感覚のまま僕はなんとか星野さんが濡れないように傘をそっちに傾ける。


 まあ、普段ぶっ飛んだヤバい子だけど、やっぱり並んで歩いているだけだと普通の可愛い女の子……


 そう考えていた時だった。ふと思い出したのだ。





 星野さんのマンションへ行くのに通る道は、僕のアパートとは反対の方向だ。あまり行くことはない。


 ただ三日前、たまたま買い物に行きたくてその道を通った。人通りもそこそこある大通りで、薬局とかコンビニが並ぶ道だ。


 昼間なので特に人も多く、僕は一人ぼうっと歩いていた。ある横断歩道を渡ろうと思った時、その隅に一人の男性が立っていることに気がついた。


 その人はスーツを着た、三十代ぐらいのサラリーマンだった。人々がみんな横断歩道に向かっているのに対し、彼だけは背を向けてこちらをみていた。


 黒髪に短髪、少し俯いた顔、撫で肩に歪んだネクタイ。男性の足元には、花や飲み物がいくつか供えてあった。


…………あ、この人。


 僕は瞬時に察した。生きてる人じゃない。


 思い返せば、そこは一週間前に轢き逃げ事故によって男の人が一人亡くなった交差点だった。逃走した犯人はまだ捕まっていないらしく、それでもすでにニュースで報道される機会は減ってきていた。


 その事故の、被害者の人なのかも。


 僕はそう気づきながらも何ができるわけもなく、視えてないふりをして横断歩道を渡った。ただそれだけだった。






「……あのさ、星野さん」


「なに?」


「あ、いやーなんにも」


 あの横断歩道を渡る羽目になるが、彼女には何も言わなかった。言ってもこの人はびっくりするぐらい鈍感で何も感じないタイプなのだ。あそこに男の霊がいるだなんて言っても喜ばせて終わるだけ。


 僕は黙って星野さんの歩幅に合わせて歩みを進めていく。この前会った時も有害そうな霊じゃなかったし。見えないふりをしていれば大丈夫だ。


 そう心の中で自分を納得させ地面を踏みしめていると、隣にいた星野さんが言った。


「ねえ大山くん」


「え、なに?」


「少しだけ寄り道していいかな」


 彼女がそう囁いた時、目の前にあの交差点が見えてきた。


 暗い夜、人通りはそこそこ。車が水飛沫を上げながら隣を通っていく。そんな中、一つだけ微動だにしない影が見えた。


 どきんと胸が鳴る。やはり、そこに立っていたのは三日前に見たあの人だった。


(まだいたのか……)


 彼は僕が前見たのと全く同じ格好でそこにいた。周りの人たちは誰一人気づいていないようで、おしゃべりしながら楽しそうに歩いたり音楽を聴きながら素通りする人たちばかりだ。彼は無表情でどこか一点をじっと見つめていた。


 僕だけが、あの男の人に気づいている。


 星野さんとそのまま近寄っていく。なんせあの交差点を渡らねばならないので仕方ない。僕はなるべく見ないように心がけて進んでいく。


 ついにあの横断歩道にたどり着いた時だった。星野さんが突然僕の方を見上げたのだ。


「大山くん」


「え、な、なに?」


「ここにちょっとだけ寄り道」


 彼女が指さした場所をみて一瞬言葉を失った。あの男が佇む足もとにある、献花が供えてある場所だった。花たちは雨に濡れているもののその小さな美しさを保っていた。


 僕は返事を返さなかったが、星野さんがそちらに進んでいく。慌てて彼女が濡れないように傘を持って追いかけた。星野さんは男性の前までくると、おもむろに持っていた鞄を漁った。


 中から出てきたのは缶コーヒーだった。


「ほ、星野さん、それ」


 僕が言うと、振り返った彼女は微笑む。


「一週間くらい前、ここで轢き逃げ事故があったの」


「あ、ああ……ニュースで見たかも」


「まだ犯人捕まってないんですって。悲しいね」


 彼女はそういうと、ゆっくりしゃがみ込んで缶コーヒーを供えた。それはちょうど男の右の革靴の目の前だった。星野さんはそのまま両手を合わせる。

 

 何か言いかけたが僕は黙った。思えば、誰かを悼んで手を合わせることは決してダメなことじゃない。むしろそういう気持ちは大事なことだ。まあ星野さんの場合もしかして変な目的があるのかもと思ってしまうが、行動自体は咎められることじゃない。

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