第33話 画面の向こう



 はっとする。


 手に持っているスマホの表示はちょうど六時に変化したところだった。


 反射的に廊下の向こうを見てみる。ノックと星野さんが無言でこちらを向いた。そして二人とも小さく首を振る。


 あ……誰もいないんだ……。


 ついに自分の胸がドキドキと大きく鳴り出した。


 ごくりと唾をしっかり嚥下すると、恐る恐るドアスコープに顔を近づけていく。目の前に誰がいるのだろう、どんな状況が広がっているんだろう……。


 僕はぶるぶると震える体を何とか押さえつけながら、目の前にある小さな穴にゆっくりと視点を合わせた。


 映ったのは夕日の赤い色をした空間、誰も踏みしめていない白い床。少しだけ左右に視線を揺らして細かなところまで観察してみるも、やはりそこには誰も映っていないのだ。


…………いない。


 やっぱりノックと同じように、僕にも見えなかった。一度ふうと息を吐き出して顔を離す。振り返って心配そうにこちらを見ているノックに力なく笑って見せた。それでもこの場で声を出すのは気が引けたので、とりあえず足音を立てないままそうっと玄関を後にする。


 部屋にたどり着くと、インターホンのカメラはもう消えていた。真っ暗の画面がそこにあるだけだ。


「いない? やっぱり?」


 ノックが不安げに尋ねてきた。僕は頷く。


「うん、何も見えなかった」


「やっぱり、かあ……でもインターホン鳴ったのは二人とも聞こえたもんな? 俺の幻聴とかじゃないよね?」


 僕と星野さんを交互に見ながらノックがすがるように言った。僕は力強く肯定する。


「うん、ちゃんと聞こえたよ。ノックだけじゃない」


「私も」


「そ、っかあ……。そうだよね。やっぱこうなると、お祓いとかした方がいいのかな……」


 はあーと大きくため息が漏れる。特に相手は見えなかったけれど、やっぱりこの現象はあまりにおかしい。僕が知ってるあのお寺でも紹介してあげようか。


 そう考えている時、静かだった星野さんが口を開いた。


「ううん、困ったね。いっそ次の訪問で出てみればいいじゃない」


 ぶっ飛んだことを言い出したため、僕とノックは同時に彼女を見た。涼しい顔で星野さんは続ける。


「ドア開けてみればいいのに」


 男二人は情けなくもふるふると無言で顔を横に振った。そんな恐ろしいことできるわけがない、一体何が起こるのか想像もつかないじゃないか。


 僕は静かに反論した。


「やめたほうがいいよ……何が起こるかわからないし」


「う、うん確かに。お祓いとか頼んだ方が確かじゃねえ?」


 僕たちの弱気な態度に、星野さんはやや不服そうな顔をした。だってそうだろう、取り憑かれたい彼女とはわけが違う。普通の人間は出来ないに決まってる。


 三人沈黙が流れた。ノックがなんとなくカーテンをずらして外を見てみると、夕日は沈んで気がつけばだいぶ薄暗くなってきていた。もう六時を回っているのだから、日が落ちるのも当然なのだ。


 星野さんは一人じっと考え込むようにして立っていた。


「まあ……でも、二人が来てくれたおかげで、俺の頭がおかしいってわけじゃないことがわかったよ。機械の故障でもないんだし、やっぱり霊障的なことなのかなって思うから、どっかお祓いでも頼んでみる」


 ノックが小声で言った。僕は頷く。


「まあ、それがいいと思うよ」


「俺そういうことあんまり信じてないタイプだったんだけど……てゆうかお祓いって、金ないんだけどなあ。親に言って信じて貰えるかな」


「う、うーん……話だけじゃ信じないかもね……」


「じゃあ親に来てもらうってこと? うち実家遠いんだよ。すぐに来れないと思うし、そもそもこんな話で来てくれるのかも……それまでこの家で過ごさなきゃなのか」


「うちでよかったら泊まってっていいよ、狭いしボロいけど」


「え、ほんとにいいの?」


 僕たち二人が話を進めている時だ。ずっと黙っていた星野さんがふと動き出したのだ。


 彼女は静かにしているインターホンの前に移動した。そして迷う素振りもなく、細い指を出してインターホンをつけたのである。カメラ画面がピッと音をたてて付いた。


「! ほ、星野さん!」


 僕が慌てて声を掛ける。当の本人はケロッとした顔で答えた。


「まだ次の訪問の七時よりずっと前だし、これモニターよ。こっちの声は聞こえないから。外見るだけ」


「と、とは言ってもさあ……」


 つまりは、こちらから向こうを見るだけの機能というわけだ。星野さんの指先の向こうから、機械を通した雑音がわずかに聞こえてくる。彼女はそれを覗き込んでじっと観察している。


 彼女の好奇心の強さに呆れながら、僕は止めようと足を動かした。まあ時刻を見ても今は大丈夫な時だろうが、あまり余計な動きはしない方がいい、そう忠告しようとして。


「星野さ」


 声をかけた時だ。


 彼女のそばにあるモニター画面が視界に入る。先ほど僕がドアスコープを覗いた時より一気に周辺が暗くなっているのがわかった。そこに何かが映り込んだことに気づいたのだ。

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