第25話 怯える瞳


 


 朝目が覚めたとき、げんなりとした。


 カーテンの隙間から漏れる朝日は眩しく、外は気持ちのいい晴れを予想させたが、自分の恰好があまりにひどい。結局あの後、お風呂にも入らず着替えもせず、床でそのまま寝てしまったのだ。


 肌はひきつっているような感覚だし、あんな場所を歩き回ったのだから体中の汚れも気になるし、なぜお風呂に入らなかったのだ、自分は。


 同時にお腹が凄い音を立てて鳴ったのに気がついたが、まずは清潔感を何とかしよう。私はゆっくりと起き上がる。


 床で寝ていたためか腰が痛い。時計を見上げてみると、もう十三時だった。かなり寝過ごしてしまった。朝ごはんも昼ごはんも食べずに爆睡では、そりゃお腹も怒りで音を立てるだろう。


 のそのそと風呂に入り、乾燥した肌にはしっかり保湿を施した。髪を丁寧に乾かし、すっきりしたところで大きなため息をつく。ああ、お腹すいた。ご飯食べよう。


 キッチンに向かい、戸棚を開けて中を見てみる。とにかく早く食べられるものがいい。インスタントラーメンか、そうだ、冷凍パスタがあったかも。


 冷凍庫を開けてみると、やはり以前、薬局で安く購入しておいた冷凍パスタがあった。笑顔で取り出したと同時に、ラップに包まれて固くなっているご飯を見つけた。多めに炊いた時、冷凍しておいたのだ。


 ふと、柊一さんの顔が浮かぶ。


 なんとなく無性におにぎりが食べたくなって、私はご飯も取り出した。パスタとおにぎりというバランスの悪い組み合わせだが、朝食も食べてないからいいではないか。二つとも解凍し、おにぎりは梅干しを入れて海苔で包む。そういえば、おにぎりなんて自分で握って食べるのはいつぶりだろう。コンビニとかでは食べるんだけどな。


 ようやく終え、その二つを持ってテーブルに座り込む。食べようと手を伸ばしたところで、白く艶のあるおにぎりを眺め、昨晩のことを思い出した。


 霊を食べた後、すぐに私に謝った。気持ち悪かったでしょ、と。元々私のことを気遣ってくれていた柊一さんだけど、あの言葉はやけに引っ掛かる。まるで、今まで彼のことを気味悪がった人間がいたみたいな言い方だった。


 確かに怖かったし、不気味ではあった。でも同時に強くてかっこよくもある、不思議な現象だった。


 ふうと息を吐いて食べようとしたところで、インターホンが鳴り響く。誰だろうと画面を覗き込んでみると、作り物のような綺麗な顔があったので驚いた。


 慌てて玄関へ向かい開けてみると、やはり、柊一さんが一人そこに立っていたのだ。


「柊一さん! 体は大丈夫なんですか?」


「一晩寝たら全然元気。遥さんのおかげだと思う。本当にありがとう。ちょっと、上がってもいい?」


 首を傾げて尋ねてくる様子に、一瞬言葉に詰まった。普通、一人暮らしの女の家に上がらせて、なんて言えないけどなあ。でもまあ、仕事仲間でもあるんだし、何より天然で下心なんてゼロな柊一さんだから、いっかと思ってしまえる。


「散らかってますけど……」


「ごめんね。お邪魔します」


 先日も部屋に上がってもらい、さらにはベッドで寝かせた経験もあるので、そこまで恥ずかしいとは思わなかった。短い廊下を進み部屋へ入ると、柊一さんがわっと声を上げる。


「おにぎり食べてたの!?」


「あっ、ごめんなさい、出しっぱなしで」


「急に来た僕が悪いんだよ、ご飯中だったんだね、ごめんね。すっごい美味しそうだねえ。暁人はさ、どうもおにぎりはへたくそなんだよなあ。まあ、家事何も出来ない僕が言えたことじゃないけど」


 にこにこしながらそう言ってくれる。柊一さんが家事が出来ない、ってなんか想像通り。そして、暁人さんは出来るというのも。料理以外は完璧なのだろう。


 私は少し悩んだ挙句、おずおずと差し出してみる。


「お昼もう済んでますか? よかったら」


「え!? い、いい、いいの!? ひ、人にあげるってすごいね!?」


 そんなにどもるほど私の言動は衝撃的だったのだろうか。まあ、彼にとってはとんでもない好物らしいので、人にあげるという概念はあまりないのだろう。


「お口に合うか分かりませんが」


「やった! いただきます!」


 満面の笑みでそう言い、ぱくっと口に頬張ったのを見て、つい笑ってしまった。こんなに自分の感情に正直な男性も珍しい。凄く可愛いな、なんて思ってしまう。


 彼は目を真ん丸にさせて言う。


「え、すっごい美味しい!! 塩加減が絶妙!! 握る力もだよ!!」


「そ、そうですか?」


「暁人はしょっぱくて力任せに握った感じなんだ……遥さんのおにぎりめちゃくちゃ美味しい。今度また作ってくれる?」


 子供みたいな笑顔でそう言われれば、頷かない女はいない。顔がいい、眩しい。直視しちゃって失明しないかな私。顔面の武器とは時に恐ろしい力を持っている。この人、きっと世渡り上手というか、いろんな人から愛されるタイプなんだろうなあ。


 私もパスタを頬張り始める。いつの間にか一緒に昼食をとる流れになっていた。ペコペコに減ってしまったお腹に、クリームのパスタを流し込んでいく。そのまま無言でお互い食事を続け、半分ほどになったところで、柊一さんが口を開いた。


「暁人から聞いた。これからも浄化をしてくれるって」


「あ、はい、そうなんです。よろしくお願いします」


「なんで?」


 てっきり、暁人さんみたいに喜んでくれるかと思っていたのに、柊一さんから出てきた言葉はそれだった。どこか低く、真剣な声色に感じる。


 彼の方を見てみると、おにぎりさえお皿に置いたままで、私の方をじっと見ている。


「え……なんで、って」


「怖い思いもしたでしょう。あんな場所に連れていかれて、不気味で嫌だったはず。それに、霊を食べるシーンまで見て……あれでどうして、また行こうって思えたの?」


 ビー玉みたいな瞳は、本当に不思議そうに私を見ていた。そんな彼の奥に、どこか不安とおびえの色を感じ取る。


 彼は初めから、危ないから、という理由で私の参加を反対していた。その気持ちもよくわかる、彼なりの優しさだからだ。でも、それだけじゃない気もしてきた。


 一体何に怯えているんだろう。

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