第6話 見目のいい文官
その日は、朝から異様に騒がしかった。
「やだぁ、
「宋様がなんでここに来てるのかしら」
「今日も見目麗しいわぁ」
どうやら、宋とかいう人間が内教坊に来ているらしい。曄琳は騒ぐ宮妓の輪に加わるかどうか悩み、人垣の一番後ろから覗くことにした。
朝餉終わり、教坊での手習いが始まる前。一番慌ただしい時間に、ほとんどの宮妓が準備を放りだして外に出ていることが珍しい。よっぽどの人が来ているに違いない。
(み、見えない……)
曄琳は小柄なため、背伸びをしなければ見えそうになかった。爪先立ちでぐいと顎を上げて、なんとか人垣から目だけ出す。
「突然の訪問失礼します。天長節のことで相談があり伺ったのですが、どなたか
人垣の先には、物腰の柔らかい優男がいた。
位が低くとも楽人には礼を尽くす、が義と言われているこの国らしく、高官にしては腰が低い。
年は二十を過ぎたくらいか、涼しげな目鼻立ちが印象に残る美男子である。宮妓らより頭ひとつ抜けて高い長身に、裾の長い縫腋の
「宋様ぁ。直ちに連れてまいりますから、こちらでお待ち下さいまし」
「ありがとうございます」
宋に対応する宮妓らは、滅多に聞かないような猫撫で声で話している。普段胡座をかいて堂々と尻を掻いている威勢はどこにいったのだろう。
曄琳はちょいちょいと前の宮妓の背中をつつく。
「すみません。あの方はどなたですか」
「あら
「殿中少監……?」
「主上の一番の側近よ。お若いのにすごいわよねぇ、なにより美形だし」
あの若さで殿中少監とは非常に優秀なのだろう。
高官で、しかも顔の出来もよろしいなら女達が放っておくわけがない。
殿中省は皇帝の身の回りを管理する部署だ。そこの少監が、天長節の宴程度でわざわざ内教坊に足を運ぶことに驚く。仕事熱心なのか、他の用事のついでなのだろうか。
内人が出てくるまでの間、曄琳は手持ち無沙汰に待っている暁明を観察する。すると、暁明が時折、あたりを見回していることに気づいた。取り囲む宮妓らひとりひとりの顔を、じっくりと眺めているのだ。
――まるで何かを探しているような。
「失礼、こちらに目を怪我した宮妓はいますか」
暁明が人垣の一番前にいた宮妓を捕まえる。喧騒の中だが、曄琳の耳はしっかり会話を拾う。
声を掛けられた宮妓は暁明の微笑みに頬を染めた。
「このようなものをつけていたと思うのですが」
暁明の手に、何かが握られているのが見えたがこの位置からでは見えない。
曄琳はどきりと心臓が跳ねるのを感じた。
見えないが、おそらく彼は眼帯を持っている。そんな気がする。
「いないなら構いません。また日を改めます」
暁明が数歩歩いて宮妓から離れる。
彼のその足音に少し特徴があることに気づいたとき、曄琳からさあっと血の気が引いた。
少し、ほんの少しだけ、足を引きずっているように聞こえる――女装宦官と同じ足音。
(まさか……いや、まさか……!?)
曄琳は暁明らに顔を見られないよう、しゃがみ込む。この声も聞き覚えがあった。
そして、はたと後宮の入口で主上を抱えていた女官を思い出した。
足音に違和感のあった、あの女官を。
――全てが繋がってしまった。
暁明とやり取りする宮妓の声が耳に刺さる。
「目に怪我なら、沈曄琳がおります。半年前に入ったばかりの隻眼の
擋弾家は宮妓の位のひとつだ。
宮妓の位は上から、皇帝の推挙で選抜された舞踏担当の内人、内人の補欠である
曄琳は、お願いします存在を言わないでと地面にしゃがみ込みながら人垣から離れていく。
見つかればどうなるかわからない。口封じされてもおかしくない。あんな痴態、誰にも晒したくないはずだ。
「曄琳ー? いたら返事なさい! 沈曄琳!!」
己を探す声に、曄琳は慌てて立ち上がり、駆け足で建物内へと逃げ帰っていった。
しばらく時間稼ぎくらいはできると思ったのだが……現実はそう甘くはなかった。
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