最後の最後まで

「うん。全問正解だ」


 最近は大体の範囲が済んでしまった咲ちゃんは、どんな問題を出そうと、大方程度解けるようになっていた。


 だから、入試で一番難しい枠として出される高校範囲の問題も教えてしまったが、これも教えた分はマスターしてしまった。高校は基礎次第で、積み上げ型のカリキュラムが組まれるので、この調子なら数学を得意にできるくらいだろう。


「これなら入試も心配ないか。そろそろ二週間くらいだけど、その期間でここまで上げられたのに、なんでこれまでは苦手だったんだ?」


 単純な疑問。学校で習うように順序立てて習ったらこうやってできるのに、なぜこれまでできていなかったのか。


「ああ……それは数学の先生が私に合わなくて……」


「あ、ひまりも言ってた例の先生か」


 ひまりが「あの先生はさあ……!」と不満をたれてくる唯一の先生だ。

 今年入った先生で、俺は知らない。だが、どうも授業が下手らしく、楽しんだ授業ができないそうだ。平均点が大きく下がっているとひまりは嘆いていた。本人の点数や理解度は全く変わっていなかったが。


「まあ、そういうこともあるよなあ」


「できれば、受験前は違う先生に教わりたかったんです。だから、お兄さんに教えていただけて、本当に感謝しているんですよ?」


 にこり、と少し笑って、少し向かい会うように姿勢を正した。


「だから、本当にありがとうございます。多分、お兄さんが居なかったらここまで頑張れなかったと思います」


 深く頭を下げて、ゆっくりと上げる咲ちゃん。満足そうにしている表情に、本当にこの勉強会に意義を感じてくれているのだという満たされた感覚が満ち満ちていく。


「こっちこそありがとう。なんだかんだ、俺もこれを楽しみにしてるよ」


「そうですか……なんだかくすぐったいですね」


 恥ずかしそうにはにかんで渡った咲ちゃんは、そのまま照れ隠しのようにスマホを手にとっていじりだした。だが、少し赤くなった耳は気恥ずかしさをこれ以上となく雄弁に物語っている。


「そうだ。スマホ見てる所ちょうどいいから聞いておくんだが、この勉強会って、ひまりに言ってもいいのか?」


「え?」


 咲ちゃんは素っ頓狂な声を出した。


「お兄さん、ひまりちゃんに言ってなかったんですか?」


「ああ。勝手に言われるのは嫌かと思って。でもひまりも俺たちが最近遅くまで出てるから寂しいみたいだから、できれば言ってあげたいんだ」


「……私は、和人さんが言っているものかと思ってました。言ってもらってもいいですよ。隠すことでもないですし」


 「あ、でも……」と咲ちゃんは間を置く。


「今まで秘密で夜の道を歩いてたんですね。なんだか、理由は勉強会かもしれないけど、傍から見たらデートみたいです」


 少しからかうような笑み。


 確かに、何も知らない人からしかたら、夜に並んで歩いていた俺たちはそういう関係に見られていたのかもしれない。ぱっと顔が熱くなる。


「あれ、お兄さん顔赤くなってますよ?」


「……うっさい」


「あ、さっきのひまりちゃんと似てた!」


 くすくすと楽しそうに笑う咲ちゃんからは、二週間前の追い詰められたような、憂いを帯びた表情が出てくることはなくなった。


「……すごくいい顔だよ」


「へ? もしかして……反撃ですか?」


「いや、そうじゃなくて。やっぱり、咲ちゃんには悩んでる苦しそうな顔よりも、こうやって楽しそうにしてる顔のほうがずっといいよ」


「……やっぱり、反撃です。すーぐ口説いてくるんですから」


「口説いたつもりはないんだけどなあ」


「それならもっと質悪いですよ。たらしだなんて、きっといろんな女の人を手玉に取ってるんでしょう?」


「からかわないでくれよ」


 「あながち冗談だけじゃないんですけどね」と、やはりからかうような笑顔のまま言われる。そこまで言われると少しどきりとしてしまう。

 最近、年下の女の子にドキドキさせられっぱなしのような気がする……。


「と、ともかく! 元気になってくれてるみたいで良かった」


「はい! もう受からないかもなんて思ったりもありません。精一杯やって、絶対受かってやるって気持ちでいっぱいなんです」


「……それなら、本当に良かったよ。大丈夫。咲ちゃんら絶対合格できるって」


「頑張ります!……だから、これから残り一ヶ月ないですけど、それまでお願いしますね」


 入学試験は一月中旬。それが終われば第一回目の入試が終わる。不合格なら後期があるが、咲ちゃんはきっと前期ですべて終わらせる気だ。


 なら、俺もそのつもりで最後の最後まで、咲ちゃんが絶対に合格できると自身を持って受験できるように、精一杯サポートしていくだけだ。


 これからクリスマスや正月など、受験生でも少しは休みたいところも出てくるだろう。できれば、彼女にはそこまで犠牲にしてほしくない。だから、そこを休んでも問題ないくらいいい勉強をさせてあげないといけない。


 なんだか、今日はもう一回気が引き締まる思いがした。


「安心してほしい。絶対に合格できるようにするから」


「……頼もしいですね。やっぱりそこまで考えてもらえるのは嬉しいです。……たらしさん」


「ん? 最後なんて言った?」


「難聴系は流行りませんよ? だからひまりちゃんから怒られるんです!」


 不満そうに膨れた咲ちゃんは、そっと身体を寄せてきた。

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