穢れと呼ばれた守護令嬢は婚約破棄されたので南方の帝国皇帝に嫁ぐ~一目ぼれしてきた褐色の皇帝を無自覚に溶かします~

山門紳士

婚約破棄された。ただ面倒。

 三月二十五日。


 ダイモン大陸北方にあるクリード王国ではいまだに寒さが残る季節。

 ガラス窓の外の木々の葉は枯れ落ち、新たな緑の息吹はまるで感じられない。枝を揺らす風もまだ棘を残し、外に出ればさぞや肌を刺すであろうという風情である。


 しかしそんな外の景色とは無関係と言わんばかりに室内は暖かく。光と、熱と、人と、感情がキラキラときらめいている。この場所は王城の大ホールであり、現在進行形で華やかな宴が開かれている。


 名目は王立アカデミーの卒業パーティである。


 王立のアカデミーと言えど、卒業パーティは王城で開かれたりするような格のパーティではない。が、主役である人間がクリード王国のサージ王太子であり、その卒業記念パーティ、しかも首席とあっては特別扱いするなという方が無理であろう。


 会場はとても華やかで、立食パーティ形式ではあるが、料理は王家の専属シェフが腕を振るった一流品。海がない北方の地では珍しい魚まで並んでいる事からも王家の力の入れようが察せられる。


 貴族専用のアカデミーの卒業者という事はここにいる若者は当然のように皆貴族であるが、さすがの貴族でもここまでの料理を目にする事は少なく、銘々に談笑しながら、料理に酒に舌鼓を打っている。そこここで思い出話に花が咲き、未来への夢や希望が咲き誇る。


 そんな具合に宴は華やかに進んでいる。


 そんな中で一人。


 壁に貼り付き、つまらなさそうに会場を眺めている美しい女性がいる。


 切長で大きな茶色の瞳、少し太めだが整った眉、すっと通った細い鼻梁、いまにも華が咲きそうな桜色の唇。光を放つようにきらめく長い金髪を後ろへ一つに束ね、他人よりも明らかに高い位置にある腰の辺りでゆらゆらと揺らしている。そして優れた容姿の中でも何より際立つのが腰から下の脚である。ふわりとしたスカートの上からでもわかる美しさ。


 脚自体が魔力を放っているかのようである。


 明らかに異質であるが、誰も声をかけないし、誰しもが存在しないように振る舞っている。


 これほどの美人であればアカデミーでも中心人物となり、談笑の輪の中にいそうなものであるが、人生とはままならないらしく、一人ぽつんと壁を彩っているのであった。


 さて。


 これがこの物語の主人公。

 メイベル・シュート公爵令嬢である。


 五歳の頃に神から加護を授かった正に神の子である。そして同時に護国の使命と王太子の婚約者の地位を授与されたクリード王国の守護者である。


 神の加護は強力な戦闘力であり、特に近接戦闘、さらに言えば蹴りに特化した加護である。これはシュート公爵家の係累にまれに与えられるモノである。古い言い伝えでは魔獣溢れる魔境と呼ばれる地に領地を接するシュート公爵家を哀れに思った神が与える気まぐれであるとの事だった。


 実際、シュート公爵家はクリード王国への魔獣の侵入阻止と魔境の拡大を抑える役目を受け持っており、加護自体はとてもありがたいものであった。


 しかし護国の使命や王太子との婚約に関して、神は一切関知していない。

 要は政略である。

 神の加護を授かったメイベルをいいように使いたいためだけの口実である。


 であるので、婚約者としての実績は皆無である。メイベルは五歳の頃から魔境の最前線で戦う事を王家から強いられており、今日までサージ王太子にまともに面会した事もなかった。

 周りの令嬢たちが王太子様素敵だの、王太子様お美しいだのとうるさいから視界に入ってくるから少し見たくらいである。


 そんな関係性であるメイベルが、なぜか今日のパーティには招待されていた。

 むしろ出席を厳命されていた。


 季節は春先。

 まだ肌寒いとはいえ、魔境の魔獣たちは繁殖の時期を迎えており活動が活発になる。


 普段ならばこの季節に前線を離れることはできないのだが、今回は王命であり、どうしても断ることができずにこの場にいる。メイベルは五歳から魔境の守護任務に就いているため、王立アカデミーに在籍した事がない。だから無関係なはずなのだが、なぜか王命で呼ばれている。意味がわからない。しかも無理して出席しているからといって歓待されるわけでもなく、むしろ魔獣を屠るだけの穢れた存在として普段通りに遠巻きにされている現状であった。


 なぜ呼んだ?

 と、こう首を傾げたくなる状況である。


 しかし、まあそこらへんはメイベル本人も慣れっこで、壁の花状態に至る前にはテーブルに並ぶ食事をここぞとばかりに食べに食べており、満腹状態になったため、今は壁の花としてパーティに彩りを添えていた。


 そんなメイベルに尊大な態度で近づいてくる男がいる。


 誰あろう。

 本日の主役であり、クリード王国の王太子であり、メイベルの婚約者。

 サージ、その人である。

 先ほどまで取り巻きと楽しそうに歓談していたのだが、一人の男がそっと王太子に近寄り、何事か耳打ちした後。その仲間と下品な笑い声をあげると、何を思ったのか急にツカツカとメイベルに向かって歩き出したのであった。


 そのまま進んでメイベルの正面に立つ。


 そして。


 開口一番。


「おい、穢れ」


 婚約者に向ける言葉としてどころか、人に向ける言葉として論外である。もちろんメイベルはそんな名前ではないが、さすがに面と向かって視線を合わせて声をかけてきているのであるから、メイベルに話しかけて来ているのであろう事は、人付き合いの経験に乏しいメイベルでもわかる。


 ボケッと放り投げていた視線を目の前の王太子に向けると、そこには金髪のいかにも王子様然とした男が立っていた。よく見ると先ほど遠目に見た婚約者である。と思われる。


 婚約者の顔をしっかり見たのはいつ以来であろうか? と、メイベルは小首をかしげる。


 メイベルが神の加護を授かった五歳の時に王命で婚約が命じられた。正直メイベル本人ははっきりと覚えていないが、その時にはきっと見たのだろう。しかしそこからまともに会った事はあっただろうかと思い起こすがメイベルの記憶には全くない。


 なにせメイベルは神の加護を授かると同時にこの国を魔境の魔獣から守護するという護国の使命も授かったのだから。婚約直後の五歳から前線に送り込まれ、今日十五歳までの十年間の記憶はほぼ魔獣との戦闘の記憶しかない。


 たまに王都に帰ってきたとて、魔獣の血と臓物に塗れる日々で染みついた死臭は取れず、タウンハウスから出る事もなく、疲れを取ったらまた前線送りだ。


 幸い家族であるシュート公爵家は魔境守護の家系であるため王都と魔境の間に公爵領があり、ともに戦闘する事もあるため家族仲は良好だ。戦場では良く会話をする。とは言ってもメイベルの言葉数は少ないため、家族が一方的に喋っているだけだが。その度に心配してくれたり、食料をくれたりする。ほんとに気の良い人間ばかりだ。


 本当は休暇も公爵領で家族と過ごしたかったのだが、王太子の婚約者として休暇は王太子と過ごす必要があるとかで必ず王都に呼び寄せられた。その挙句、魔獣臭いからタウンハウスから絶対に出るなと厳命される。それでもなぜか王家には王太子がメイベルの休暇ごとに公爵家のタウンハウスに足繁く通い、仲を深めているという感じの記録が残される。

 王太子と婚約者が仲睦まじく国家は安泰であるというアピールのためのアリバイづくりなのだろうな。と途中からは理解し、メイベルはいつもおとなしく一人で過ごしていた。

 どうせ街に出たとて民からも穢れ令嬢として有名なメイベルは相手にされないのだからどうにせよ同じ事である。


 そんな事を思い出しながらサージ王太子の顔を眺める。


 ニヤニヤと自分を見つめる顔には不快さしか感じない。


 自分より背が低いが、王族の正統なだけあって、金髪金眼でいかにも王子様然とした見た目であるが、いかんせん性格にひねた部分があり、それが表情に表れるため決して見ていて気分の良い顔ではない。


「なにか?」


 なにか用事があるならさっさと済ませて立ち去ってほしい気持ちで問いかける。


「喋るでない! 魔獣臭い息が栄えある卒業パーティを汚すではないか!」


 王太子の怒号に会場が静まりかえる。


「申し訳ありません」


 話しかけておいて喋るなとは理不尽ではあるが仕方なく謝罪する。

 なにせメイベルの主食は魔獣の肉である。余裕がある時は焼くが、往々にして生で食べる時が多い。臭いがするのは事実であろうと納得した。


「よく聞け!」


 居丈高に叫ぶ王太子の言葉に、メイベルは声を発さず、無言でうなずく。


「シュート公爵令嬢メイベル! 今日でお前との婚約を破棄する!」


 そう言い切った後の顔はとても清々しいものだった。

 メイベルは初めてサージ王太子の表情に不快以外の表情を見た気がした。そもそも顔を見た記憶すらないのだが。

 放たれた言葉よりも表情の方が意外でメイベルが呆気に取られていると。


「なんだ? ショックのあまり声も出ないか?」


 王太子はさらに一歩近づいて、そんなメイベルの頬をペチペチと叩く。

 攻撃である。


「あ?」


 攻撃に対して本能的に迎撃体制に移行する。


 あ? その一言には自然と闘気が乗る。

 これだけで並みの魔獣程度であれば心胆を寒からしめ、敗走させる事ができる代物だ。


 当然。


 人間であるサージ王太子はその声に震え上がる。


「ひっ」


 腰から崩れ落ち、後ろに尻餅をついた形になった王太子をメイベルは感情の籠らない目で見つめる。


 命を狩るモノの目だった。


 とは言っても実際にメイベルが王太子の命を刈りとる事はない。攻撃に対して反射的に闘気を放ってしまったが、メイベルとしても放ちたくて放った訳ではなく、あくまでも反射であり、不随意筋の動作みたいなもので、自然現象である。本人もどうしようかと迷う状況だ。王太子に攻撃はされたが、調子に乗っての行動だというのはメイベルにも理解できる。仲の良い間柄であればコミュニケーションにもなりうるだろう。


 しかしメイベルと王太子は仲以前の関係で。メイベルは目の前の王太子に興味がない。護国の一環として婚約しているに過ぎない。よって王太子の悪ふざけは挑発的な攻撃に他ならない。


 とは言っても。


 このままで良いわけはない。パーティの最中、一国の王太子が腰を抜かしてアヘアヘしてるのだ。醜態以外の何物でもない。国の沽券に関わろう。せっかく魔獣から国を守ってもこんな所で内部から崩れられたらたまらない。


 助け起こすか。と仕方なく一歩を踏み出す。


 カツリ、と。


 床が鳴る。


「ひいいい! 化け物ぉ! 近寄るなあ!」


 その一歩を王太子は追撃と判断したのか、腰を抜かしたままカサカサと黒い虫のように後ずさる。


 ふう、と。


 ため息が漏れる。


 どうにも行動が裏目に出るメイベルはもう何だか全てがどうでもよくなり、踏み出した足を元に戻し、再び壁に寄りかかる。これなら前線にいた方がマシだった。なんて思いつつ、中空を見つめていると、どこからともなく、やけにキャンキャンと甲高い声がホールに響いた。


「メイベル様! おやめください!」


 耳に痛いほどの高音で叫びながらメイベルと王太子の間に一人の女が割ってはいる。

 両手を広げて立ちはだかるその姿はコアリクイの威嚇ポーズと見まごう。

 ピンク色のふわふわした髪、くりくりとしたまん丸い桃色の瞳、小柄でふくよかな体をこれまたピンク色のドレスで包んでいる。全身ピンク色に染め抜かれたトイプードルのような女。メイベルの知らない女だった。


「ピーチ!」


 名を呼ぶ王太子の声。その声に振り向く女。

 どうやらピーチというらしい。王太子のピーチを見つめる表情はまるで救世主を見たかのようなもので、またも王太子の知らない一面を見たメイベルである。意外に表情豊かだったのだな、なんて場違いな感想ばかりが頭に浮かぶ。


「サージ!」


 王太子を呼び捨てにするとは流石のメイベルでもした事がない。むしろ名前を呼んだ事もない。この国の王と王妃以外が王太子を名前で呼び捨てにするのは誰であっても不敬であろう。しかしそんな不敬にもかかわらず、王太子は嬉しそうに頬を染めている。


 へんなの。とメイベルは不思議に思う。


 名前を呼び合った二人はいつの間にか抱き合っていた。正確には腰を抜かした王太子を脇からピーチとやらが支えている形になる。そのまま敵意のこもった視線でメイベルを睨みつけてくるピーチ。そんなピーチを頼もしそうに見つめる王太子。


 大丈夫か? この国。という感想以外メイベルには浮かんでこない。

 メイベルがガラにもなく国の趨勢を心配していると、ピーチとやらがまたキャンキャンと吠える。


「いい加減サージを解放してください! メイベル様!」


「あなただれ?」


 心底の疑問。そこへ横からサージ王太子が口を挟む。


「質問に質問で返すな! 穢れた化け物め! そして魔獣臭い口を開くな!」


「黙って」


「きゅう」


 的外れな王太子は一回闘気で黙らせる。気絶する程度に闘気を込めたからしばらくは目覚めないだろう。気絶したサージを見て桃色女が名を叫んで心配そうに胸に抱く。顔を近づけ呼吸を確認しているようである。当然気絶しているだけなので呼吸は正常である。それを確認して一安心したのか小さく息を吐き、一瞬後思い出したようにキッとメイベルを睨んだ。


「私はピッチ男爵令嬢! ピーチです!」


「男爵令嬢?」


 貴族教育をそこまで受けていないメイベルでも知っている。男爵令嬢が公爵令嬢に許可を得ずに話しかけるだけでも首がとぶ可能性がある事を。王家に対する不敬。公爵家に対する不敬。合わせ技で一本! どころか二本三本と係累あわせて首が飛びかねない状況。


「……大丈夫?」


 不敬を心配するメイベルだがそんな事はまるで通じない。


「何がですか! 私はサージを愛しています! サージも私を……」


 メイベルの語彙力も足りない。

 ピーチ嬢の理解力も足りない。


 そもそも不敬などという概念を理解できているならピッチ男爵令嬢はこの場にはいないだろう。己の不敬に怯えるどころか、なぜか王太子への愛を囁き出し、そのまま泡吹いて倒れている王太子を熱のこもった瞳で見つめ、豊かな胸に気絶したサージの顔を埋め込み、幸せそうな表情で抱きしめる始末。


 公衆の面前でする行為ではない。魔境の魔獣でも他者のいる前でははじめないだろう。

 しかしここまでやられれば、男女の機微に疎いを通り越して全く知らないメイベルでも理解する。


「ああ」


 ——そういう事か。と腑に落ちる。


 新しい女ができた。

 婚約者が邪魔になった。

 だから婚約破棄をした。


 シンプル三段論法が故にメイベルにもしっかりと伝わった。


「ああ、サージ! サージ! 気絶している姿も素敵だわ! その色素の薄い金色の髪! 細い顎! 下を向いた高い鼻! あーもう全部が愛おしいです!」


 ピーチは桃色世界にトリップしており、メイベルの納得した姿など見てすらいない。王太子は王太子でさっきから意識がない癖に柔らかい胸に包まれて幸せそうな笑みを浮かべている。

 メイベルはそれらを見て総合的に話が通じる相手ではないと判断した。そもそも魔境育ちのメイベル本人に他人を説得するほどの語彙と説得力がない事も原因であるが。


 ふう、とため息をつき、壁に貼りついた背中を剥がし、サージとピーチの前に進む。


 十年間婚約者であったサージ王太子の顔を見る。何もこの人間の事を知らなかったし、これからはもっと知ることはないのだろう。さっさとこの場をおさめて帰ろう。


「婚約破棄。承知しました」


 メイベルは気絶した王太子に対してそう告げる。当然反応はない。しかしそれを抱き締める桃色男爵令嬢はパッと笑顔になる。花が咲いたとはこう言う事かと思うほどいい笑顔である。


 当人たちはそれでいいだろうが。

 会場は違う。

 その一言に場は騒然となる。

 卒業パーティとはいえ、貴族の集いである。出席者は子供だけではなく、その親の多くの貴族が出席している。

 穢れ令嬢とはいえ魔境を守護する令嬢と王太子の婚約は安全保障という国の根幹を担っていた。それがこのような非公式の場で破棄されたとあっては騒然ともなろう。まともな貴族であれば慌て国の行く末を心配する。しかし一部の貴族はそうではなかったようでこの成り行きに満足そうに下卑た笑みを浮かべている人間もいた。


 しかしそんな事情はメイベルには関係ない。婚約していようといまいと、メイベルは変わらないし、神からの加護も変わらない。メイベルはメイベルである。

 とりあえず、婚約破棄の件に関してはこれで大丈夫だろうと判断した。王太子は聞いてなくてもこの場にいる人間の全員が聞いている。当然この顛末は必ず王様の耳にも入るだろうし、そうなればあとは家同士の話になる。


 なんだか全てが馬鹿らしくなって、とりあえず今は家に帰ってペットの狸をモフりたい気分である。


 長い脚、綺麗なストライドでホールの出口へ向かって進む。

 扉の直前でクルリとひるがえって振り向き、スカートの端をつまみ持ち上げ腰を折って頭を下げる。


 それは優雅なカーテシーだった。

 魔境防衛に忙しい中、母から教わった数少ない貴族的な動作。


 長く美しい脚がチラリと見える。

 日頃は穢れと見下し忌避している貴族たちだが、流石にこの美しさには会場中からため息が漏れた。


「さよなら」


 豪華な扉を自らの手で開く。それはまるで明日への扉のよう。

 開いた出口へ。後ろを振り返る事なく。


 こうやってメイベルは婚約破棄された穢れ令嬢としてホールを後にしたのだった。



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