第3話 「覚悟」の確認

 椅子に座って少し落ち着くと、丹野部長が話し始めた。


「さて、何から話そうか……。伊藤君、どうしてうちの部に体験入部来てくれたんだ?」


 至極真っ当な質問である。

 ただ、陸上をやめるのにも葛藤があったのも事実であった。

 俺は少しずつ言葉を紡ぎながら話し始めた。


「えっと……。俺さっきも言ったと思うのですが、陸上で短距離をやってたんです。1人で黙々と己と向き合いながらやるのが陸上……なのですが、それに疲れてしまって……。チームスポーツっていうものをやってみたいなと思った所に、あの紹介の時の先輩のシュートがかっこよくて、俺もやってみたいと思って来ました!」


 一度口に出してみると、案外自然と言葉は出て来た。



 --そう、俺が陸上を辞めたい理由はこれであった。

 毎日毎日黙々と自分のタイムと向き合う日々。

 初めの頃はどんどんと速くなるタイムを楽しみに練習に明け暮れた。

 2年生で初めて市大会で優勝して県大会に出た時、絶望を受けた。


……このタイムでも無理なのか……


 俺は初めての県大会で自己ベストを更新した。

 正直、あの時は俺も余裕で勝ったと思っていた。

 だが、フタを開けてみれば準決勝で下から数えた方が早い順位で終わった。

 さらに、優勝した人とはほぼ2秒近くのタイム差を付けられた。


 その後、俺は必死にタイムを縮めるために練習に明け暮れた。


 --だが、その後1年間でタイムを縮めることは出来なかった。


 正直、その時に心が折れたのもある。1人で自分の影と向き合うのは簡単にできるものではないと思っているし、自分が向いているとも思ったことはなかった。

 黙々と走り続ける間、隣のグラウンドで練習するサッカー部を何度も見かけた


(いいなぁ……。俺もチームスポーツやりたい……)


 思えば、その頃からもう陸上への熱意は薄れていたのかもしれない。


(高校に入ったらチームスポーツをやろう)


 そう決意して入った高校、そして紹介の時にみたハンドボールのかっこよさに惚れた。俺はもう紹介の時点でハンドボールの魅力に魅入っていたのだ。


「そうか……」


 俺の長い発言を聞いても、先輩は引くことなく目を瞑っていた。まるで言葉一つ一つを理解してくれているかのように。


「……なんというか、かっこいいと言ってくれるのは嬉しい。ただ、正直かっこよさだけで出来るスポーツではないのも事実なんだ。……たとえば、紹介の時にやった『スカイプレー』を覚えてるかな?」

「は、はい! めっちゃかっこよかったです!」


 忘れるはずもない。あんな空中でキャッチしながらシュートを打つなんて、信じられなかった。


「ありがとう。……ただね、スカイプレーは試合では使えないんだ。あのシュートは実際決定率が低い。そんなシュートを打つくらいなら、決定率の高いシュートを打つ方がいい。……そうだな、例えばの話をしよう。例えば、もし君が陸上で良いタイムを出せるフォームを知っていたとしよう。ある時、とても見栄えが良くかっこいいフォームを知ったとする。そのフォームで走ってみたら、タイムが1秒遅くなる走りとなったとして、君はかっこいいフォームで走りたいか?」

「いえ……タイムが出るフォームで走ると思います。」


 至極当然の答えだった。

 いくら周りからかっこいいと思われようと、結局は結果が全てである。タイムが遅くなるリスクを負ってまでフォームを変えようと思わない。


「そうだよな。考えてみれば当たり前なんだ。結果が全てのスポーツにおいて、かっこよさは二の次なんだ。……何が言いたいかというと、かっこよさの前には必ず基礎があって成り立つ。ハンドボールで言えば、今行われているようなフットワークが大切だ。」


 そう言われてふとコートに視線を向ければ、そこでは反復横跳びのようなことが行われていた。


「あれはハンドボールの動きの中で最も大切な動き『サイドステップ』だ。腰を落とした状態で足を横にスライドさせるように動く。あんなふうに動くことで、ボールを持った相手から視線を外さずに体を動かすことができる」


 確かにそうだ。考えてみれば、ボールを持った相手から視線を外して動くなんてことはできない。

 サイドステップを見ている間にも、部長の説明は続く。


「あれのように一見地味な練習が1番重要だったりする。陸上でもそうだったと思うが、ハンドボールは特に基礎がものをいうスポーツだ。正直、紹介では未経験者歓迎と言ったが、未経験者にとってはとてつもない辛さを味わうことになると思う。それでも、君はハンドボールをやりたいと思うか?」


「………」


 思わず部長の言葉に黙ってしまう。

 それはそうだ。基礎も何もない俺にとっては未知の世界で、途方もない練習と積み重ねが必要になることは容易に想像できる。

 だが、部長の言葉はとてつもなく重みがあった。もしかしたら、辛い思いをさせない為に無理に話しているのかもしれない。


(それでも、俺は……)


 ……そう、俺は陸上から離れる決意をした時に心に決めたことがある。


--もうスポーツから逃げたりしない--


 しかもよく考えてみれば、陸上時代ひたすら走ってた自分にとって基礎練なんて辛くも何もないだろう。


「……はい、部長の言葉を聞いても、ハンドボールをやりたいと思います」

「……そうか。わかった。悪いな、少し厳しく話してしまって。正直そんな簡単なスポーツじゃないんだ。俺が1年生だった頃、未経験で一緒にハンド部に入ってくれた人が5人いたんだ。 俺は元々ハンド経験者で、厳しいのには慣れていた。ただ未経験のメンバーにとってはすごく辛かったんだろう。なんとか俺含め、同級生の経験者でサポートしながらみんなで頑張ろう、って話をしていた。でも、結局は全員辞めてしまった。全員が全員、口を揃えてこう言っていたよ」


--こんな辛いなんて思ってなかった--

--紹介も詐欺だったじゃないか!--


 そんな言葉に、俺は黙ってしまう。

 部長は淡々と続きを口にする。


「これを聞いて俺は思ったんだ。『ああ、未経験者にとっては辛すぎるんだ。俺が上級生になったら、現実をしっかりと話そう』とね。 だから、伊藤君。君にも本音で話させてもらったよ」


 そりゃあそうだ。未経験者が何も知らずに入って来て、辞めてしまうのは先輩達にとっても辛いことだろう。


「いえ、ありがとうございます。自分も覚悟が決まりました」

「そう言ってくれるとありがたいさて、いろいろ話をするのも良いが、そろそろ退屈になってきたんじゃないか?」

「えーと……、はい……」


 ……図星だった。

 もともとじっと話を聞くのはあまり得意ではなく、なんなら体を動かす方が好きだったりする。


「だろうな。君のように運動が好きな子がじっとしてるのは辛いだろう。……よし、本当はルールでも話そうかと思ったが、キャッチボールでもしてみようか」

「は、はい!」


 そう言いながら立ち上がった部長に次いで自分も立ち上がる。


 ……やっとボールを使ってハンドボールに触れる!

 俺の心の中は最高潮にテンションが上がっていた。


-第3話 完

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