第2話 楽しみに待ってろよ


仄暗く長い廊下には冷え込んだ空気が漂い、明かりは数メートル先がやっと見える程度。

窓などあるはずもなく、石積みの壁に錆びた鉄格子が並んでいる。


間取りと言っていいのかは分からないが、中は六畳程であり広さという点ではそこまで不快感はなかった。


天井ではのんきに蜘蛛が巣を作り自由を謳歌している。ツンと鼻を突く嫌な臭いが漂うのはイリオス城の地下牢だ。

そしてその一室に忍は放り込まれていた。


今日でもう五日目だ。

頭が痒い。身体が痒い。無理矢理足で掻きむしった。爪の間は真っ黒で、爪自体もボロボロだった。


「なんで俺がこんな目に……シュメル、マルクス……あいつらは俺が必ず殺す。どんな手を使っても絶対に……」


口ではこう言っているが、現状それをする事は不可能。

ここでの生活は虚無そのものだ。

話し相手も、情報を得る事も出来ずただ時間だけが過ぎていく。


食事などコップ一杯の水と乾いたパンが日に一度入れられるだけで、それ以外は何一つ与えられることはない。

ただそれよりも最悪なのが排便だ。


トイレがないせいで部屋の端っこで用を足すしかない。五日ともなれば糞尿は強烈な悪臭を放ち、蝿が集り蛆が湧いている。


暗闇で独り、食事も満足に与えられず、その僅かな食事でさえも腕がないせいで犬のように喰らうしかない。

地獄のような空間で五日、身体は痩せ細り顔色は青白い。精神的にも参っているのか、忍は爪を齧り一日中シュメルやマルクスへの恨みつらみを呟いているだけだった。


最初の方はいっその事殺してくれとさえ思っていたが、そんな感情はもうどこかへ消え去ってしまった。

皮肉だが、この地獄で忍を生かしているのは怨恨なのかもしれない。


それさえも消えてしまったら、恐らく忍は忍でなくなってしまう。


ふと、静寂の地下牢にカツカツと音が響く。誰かがこちらに向かってきている。

やがてその音は忍の前でピタリと止まると、その直後パンが投げ込まれ、濁った水が入ったカップが端の方に置かれた。


一応、看守ではあるが今この地下牢には忍以外に捕らえられている人物はいない。

たった一人のためにわざわざこんな所に配属された男は、心底軽蔑した顔で見下していた。


罵倒の言葉はない。だがそれが、余計に心を蝕んだ。


「そんな目で……そんな目で俺を見るんじゃねぇよッ!! 哀れか!? 無様か!? 腕もなく蛆と暮らす俺が滑稽か……? お前もだ。お前も殺してやる……いつか、ここをでてお前も……!」


心の闇を吐き出すように叫んだが、看守はもうそこにはおらず、声は虚しく冷たい地下牢に木霊した。


◇◇◇◇◇


それから二日が過ぎ、シュメルの与えた猶予の最終日となる七日目の昼過ぎ。


「天恵は……聞くまでもないな」


様子を見に来たマルクスは、薄汚れた忍を見るなり嫌悪を全面的に出した表情で呟いた。

最終日となっても、忍には天恵が発現する兆しすらなかった。


「……」


それどころか隅でうずくまり、怨敵であるマルクスが目の前にいるというのに、忍は微動だにせずなんの反応も示さない。


それを見たマルクスはニヤリと笑い、解錠して中へ一歩踏み込んだ。


「くく、死んだか。無理もない。こんな所で食事も満足にとれずに七日……哀れな奴だ」


そして忍を足蹴にしようとしたその時。


「──なッ!? 貴様、生きて……! 」


まさか生きているとは思わなかったマルクスの足に全体重を乗せ、大腿部に噛み付いた。


「ぐぅぅぅ! 何をする! ええい、放せッ!!」


マルクスは噛み付いた忍の後頭部を殴りつける。

しかし、それでも忍は力を緩めようとはしなかった。


「な、何事ですか!? ──貴様何をしている!」


やがてマルクスの叫び声に駆けつけた看守が忍を無理やり引き剥がす。

髪は乱れ、皮膚は薄汚れ口には赤い血がベッタリとついている忍は、およほ人間と呼べる見た目をしていなかった。


「ペッ……ざまぁみやがれ。間抜け野郎が」


噛みちぎった肉片を吐き出した忍は、今ので体力を使い果たしたのかその場に倒れ込んだ。

怒りに震えたマルクスは、弱りきり無防備な忍へと容赦のない暴行を加える。


「この蛆虫風情が……調子に乗りおって!」

「ガハッ……!」


殴り蹴り、また殴り。

腹部に脚がめり込み、胃液が逆流する。

顔面に拳を受け視界が眩む。


脚も背も胸も余す所なくマルクスは痛めつけ、鈍痛は忍を掴んで離さなかった。

そんな事が十分以上続いた。


「貴様、まだそんな目を……」


痛めつけているはずのマルクスが一瞬怯んだ。

瀕死の忍はそれでもマルクスを見ていたのだ。


じっと、ただ見ていた。それが不気味で仕方がなかった。


「マルクス様、処分しますか?」


そんな事にも気付かない鈍い看守は、二人の間に割って入った。


「チッ……そうしたいのは山々だが、このゴミは廃棄の森に送ることになっている」

「廃棄の森、ですか……? はは、あそこなら殺すのと変わりませんね」


マルクスの言葉を聞いた看守は、名案だと言わんばかりに笑みを浮かべた。


(廃棄の森……? どこだそれ。でも、どんなところだって構いやしない。ここから出れるなら)


看守の反応から生半可な場所ではなさそうだが、それでもここに居るよりもマシだった。

半分朦朧とする意識の中、忍は内心ほくそ笑んでいた。


「お前はこれから廃棄の森に飛ばす。せいぜい一秒でも長く生き延びる事だな。この失敗作のゴミクズが」


マルクスは最後にそう言い残すと忍の顔に唾を吐きかけて、数歩後ろに下がった。

そして何か呟いたと思ったら忍を中心に魔法陣が展開された。


ほんの数日前までは何の変哲もないいつも通りの日常だった。

鼓動と共に押し寄せる鈍痛をよそに、忍は今までの事を思い返していた。


あの時ちゃんと朝食を摂っていれば。

寝坊さえしなければ、近道などに頼らずにいつも通りの道を通っていれば。


興味本位で路地に輝く魔法にさえ近寄らなければ。


(──いいや違う。俺は何も悪くない。悪いのはコイツらだ)


数日前まであったはずの両腕は無惨にもちぎれ消えてしまった。

その後、劣悪な環境で監禁され今となっては全身が痣だらけで血も滲んでいる。


忍の頭の中は憎悪で満ち溢れていた。

そしてここまで追い込んだ主犯格は目の前にいる。


忍は憎悪の目でマルクスを睨みつけ、


「この復讐は死んでも果たす……絶対にだ。お前ら、楽しみに待ってろよ──」


ゴポゴポと血を吐きながら歪んだ笑を浮かべた。

そして確固たる誓いを胸に、人生二度目の魔法陣が放つ輝きに包まれ消えていった。



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