第24話 どうか上手く笑えていますように


 つーっと汗が背を流れていく。早く続きを聞いてしまいたいけれど、聞くのが怖い。

 白樹の唇が動くのが、やけにゆっくりに感じる。最悪の事態を想定して、私は瞳を閉じた。



「穢れに、自身の後ろで踊らせたそうだ」


 ……ん? 踊らせた? 穢れに?


「えっと、ごめん。ちょっとよく聞こえなかったみたい」


 聞き間違い……だよね? 穢れが踊る? ないないないない! 何をどうしてそうなったのか、分からない。聞くのが怖すぎて、聞き間違いをしてしまったみたいだ。

 大丈夫。次こそはちゃんと聞いてみせる!


 一言一句、聞き漏らすことがないようにと白樹の口元へと視線を向ける。白樹の唇が動き、言葉を紡ぐ。


「穢れに踊らせたそうだ。自身の後ろでな」


 ……聞き間違いではなかったのか。聞き取れはしたけれど、今度は理解ができない。


「穢れが踊るの?」


 思わず聞き返してしまった私の問いに、白樹は困った顔で頷いた。

 信じられなくて三度も聞いてしまったが、答えは穢れが踊るという同じもの。


「それって、どうやって?」


 あれらには実体がないはずだ。寄生しなければ生きていけないと聞いているし、ほとんどの人からは見えていないはず。実際、私の周りには私以外に穢れが見える人はいない。

 穢れを操れる花嫁からは見えていたとしても、穢れが踊ったのは周りからは見えないはず。それなのに自身の後ろで踊らせる意味って、何?


「気になるところは、そこなのか?」

「色々と気になりどころは満載だけど、どうやって踊ったのかが異様に気になるんだよね。周りからは見えないのに、何で踊らせたのかも不明だし……」

「確かに。俺も気になるな」


 そうでしょ! と言おうとした時、呻き声が聞こえた気がした。周りを見回したけれど、私たち以外のお客さんはいない。


「どうかしたか?」

「ううん、何でもない。糸、選ばないとね」


 聞こえるはずがないのに、呻き声が聞こえる。分かっている。この声は現実ではないと。

 それでも、息が苦しい。こんなにも簡単に記憶はよみがえる。一晩ったし、大丈夫だと思ったのに。


「この色、綺麗だね。やっぱり浄化の意味を持つ白は多めに欲しいかな。一言に白といっても、色味も様々なんだね」


 さらさらと消えていった、確かにそこにあった命がまぶたの裏で鮮明に思い起こされる。


「迷うなぁ。どれがいいと思う?」


 私は今、何をしている? いつもの私をよそおえている? 糸を持つ手は震えてない? 

 気付かれないようにしないと。これ以上、心配をかけたくない。


「……両方買おう。いくらあってもいい。たくさん、作ってくれるんだろ?」

「うん、もちろんだよ」


 少し声が震えた。そのことに動揺して、するりと糸が私の手から滑り落ちる。


「あ、あははは。手、すべちゃったー」


 そう言って拾おうとしてけれど、手が震えて上手く拾えない。


「大丈夫だ」


 小さく震える私の手を白樹は握ると、そっと糸を乗せてくれた。


「……ごめんね」

「謝るようなこと、してないだろ?」

 

 しゃがんでいた私を起こしながら、白樹は何てことないように言ってくれる。

 だけど、そんなことはない。謝らなければいけないことばかりだ。


 昨日から心配をかけっぱなしだし、今だって気持ちが上手く切り替えられない。


 何でこうなっちゃうんだろう。さっきまでは普通だったし、昨日の夜だってちょっとは眠れたから大丈夫なはずだったのに。

 何より、一番つらいのは私ではないのに──。



 何も言えなくて、沈黙が流れる。

 そんな空間を壊したのは、白樹の小さな溜め息で、ギシリと心が固まったような錯覚におちいった。


「花が責任を感じることじゃない」


 落ち着いた声色で白樹は言う。

 急に何を言い出すのだろう。これでは、私の心を見透かされてしまったみたいだ。いや、それほどまでに私の態度に出ているということか。


「最大限の努力をしてくれている。俺が花に言わなかった。花には、どうしようもなかったんだ」

「何を言って……」

「頼むから、一人で背負おうとしないでくれ。気持ちを少しでも話して欲しい」


 金から黒に変化している白樹の瞳と視線が交わる。

 もう十二分じゅうにぶんに甘えている。これ以上、負担をかけるわけにはいかない。

 しっかりしないと……。


「時々、聞こえるの。呻き声が……」


 しっかりしないといけない。そう思っているはずなのに。口から出た言葉は、私の弱さだった。


「でもね、大丈夫だよ! まだ昨日の今日だし、だいぶ落ち着いてきたから」


 急いで誤魔化すように言葉を加える。けれど、もう手遅れだった。

 白樹の瞳が、私のことが心配で仕方がないと言っている。


「よし。さっさと絹糸を選んじゃわないとね。このあと、布もボタンもレースも見て回りたいんだよね」


 努めて明るい声を出すけれど、きっと白樹は誤魔化されてはくれないだろう。

 今もまだ呻き声は聞こえているけれど、白樹を安心させたい一心で笑みを作った。

 どうか上手く笑えていますように。


 

 

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