ジュエリーデザイナーがロミオに変身するまで。

雪の香り。

第1話 ジュエリーショップ「COOL」

 肌寒く感じる空気の中、ミモザの黄色が風にさわさわと揺らめく三月の下旬。


 ある店のドアがバンッと内側から勢い良く開けられる。上部についているベルが派手にガランガランと鳴った。


 苛立たし気に出てきたのは全身ブランド物で固めたお洒落な女性だ。

 おそらく三十路半ば。


 メイクは濃いめで唇に引かれた真っ赤なルージュが印象的だ。

 その唇は今不快気にゆがめられ、文句を吐き捨てている。


「いくらオーダーメイドだからって、ネックレス一個に五十万はぼったくりじゃない。有名なお店でもないのに。まったく、見本に並べられているジュエリーたちがちょっと素敵に見えたからってよく知らない店、それも小さな店舗になんか寄るんじゃなかったわ」


 遠ざかっていく女性のハイヒールの音を聞きながら、店内では店主でありジュエリーデザイナーである青井優あおいすぐるが冷笑を浮かべながら見本品の手入れをしていた。


「値切るような客はそもそもうちに来ないで欲しいですね。うちはそんな安い店じゃないんですよ」


 確かにこのオーダーメイドのジュエリーショップCOOLは小さな店舗だ。

 だが陽光を効率よく取り込むガラス張りの建物は有名な建築家が手掛けたし、並べられている見本のジュエリーも質の良い宝石を使っている。


 肝心のデザインだがこれもまた目にした者の脳裏に物語の世界が想起されるほど美しい。


 優は独学でジュエリーデザインを学び、コンクールなどには出品したことがない。

 だが、自分の腕に絶対の自信を持っている。

 それというのも。


「ちょっとぉ~、また客を追い返したの~?」


 先ほどとは違いチリンチリンと快い音を響かせながら開けられたドアから、優の友人でありスポンサーの白石数馬しらいしかずまが現れた。


 彼は優より二歳年上の二十五歳。


 茶髪のショートカットはふわふわの猫っ毛で、顔立ちも目が大きく唇は小さくと可愛らしい造りをしている。


見た目は十代後半にしか見えない。


「追い返したわけじゃないですよ。だいたいの値段を提示したら勝手に怒って出ていかれたんです」


 優の言葉に、数馬はため息交じりに「あのね~」と話し出した。


「確かにこの店は値段が高すぎるよ。使う宝石の質を落としたら? 優のジュエリーデザインは飛びぬけて美しいんだから、宝石の質を落としても充分高品質だよ。デザインだけで勝負しなよ」


 優は自分の腕に絶対の自信を持っている。

 コンクールでの優勝経験もない優のその自信の根拠は、この数馬からの称賛にあった。


 優と数馬は約三年前飲み屋で出会ったのだが、当時亡くなった親の遺産でジュエリーショップCOOLを開店して一年経つが経営が思わしくなくつぶれそうだった。


 普段はプライドが高く弱みを見せない優だが、そのときは成人したばかりで飲んだ酒の効果もあり少々メンタルの調子を崩していた。


 なので初対面にもかかわらずフレンドリーで聞き上手の数馬に内情をぽつりぽつりと語ってしまった。


 うんうんと責めるでも慰めるでもなくただひたすら優の言葉を受けとめていた数馬は、しばらくして「君のデザインしたジュエリーを見せてよ」とねだってきた。


 いつでも営業活動できるよう見本品を鞄に忍ばせていた優は、さっそくそれを見せた。


 すると数馬は目を見開き、唇をふるわせた。

 開いたり閉じたりを繰り返す数馬の口に、優はなにかを伝えようとしているのかと待ったが、結局きゅっと真一文字に閉ざされてしまう。


 数馬は魅入られたようにアメジストがきらめく見本品に手を伸ばしたが、指紋などが付く恐れがあると気づいたのか空中で動きを止める。


 そしてごくりと生唾を飲み込むと、数馬は今度こそ口を開いた。


「このラフな色合いにフォルム。まるで巨匠の描いた壮大なブドウ畑から、一等美しいひと房を抜き取って来たかのような……ああ、こちらは海ではしゃぐマーメイドを連想させる……」


 優は、自信があったものの第三者に称賛されたことはなかった。

 柄にもなく嬉しくて頬がゆるみそうになるが、必死で冷静に賛辞を冷静に受け止める誇り高い青年を演じる。


 貴族的な微笑をはりつけて「光栄です」とだけ口にした。

 数馬は優の発言など耳に入っていないようで、ひたすら見本品のジュエリーに視線を向けていたが、やがて「ほぅ」と息を吐いて優に向き直った。


 そしてガシっと優の両肩をつかみ。


「こんな素晴らしいジュエリーを作れるのに、お店がつぶれるなんてありえない! 俺がスポンサーになるよ!」


 この台詞にはさすがの優もぎょっと目をむいた。

 雑談紛れに数馬の年齢を聞いたが、優より二歳上なだけの若造だ。

 店を維持する田に必要な費用は莫大で、とても払えるとは思えない。


「まだ若いのに無理しないでください。共倒れしますよ」


 数馬はきょとんとしてふきだした。


「俺のこと知らないんだ!」


 数馬は優が戸惑うほど大声で笑った。


「スマホで『白石数馬』を検索してごらん」


 優は意味不明だと目を白黒させながらも指示に従った。すると。


「あなた、芸能人だったんですか」


 そう、数馬は俳優だったのだ。

 それも端役としてちょっと顔が知られているとかではなく、数々の名作の主演をこなしてきた売れっ子らしい。


 しかも自分一人が金持ちというわけではなく、父親はアパレル会社を経営する社長で、母はトップモデル、二人いる兄も一人は跡取りとして優秀で、もう一人は敏腕弁護士だ。


 妹もいるらしいが、秘蔵っ子なのかなんなのか情報はシークレットになっている。

 そういうわけで、金には困っていないらしい。


 これだけそろっていると鼻持ちならない高慢な性格をしていそうだが、ひねくれた性格の優につきあえるだけあって、数馬はかなりの人格者である。


 出会った頃の回想から戻ってきて改めて数馬に視線を戻すが、まるで時が止まったままのような童顔に優は『まさか妖怪じゃないですよね』などと思考を飛ばす。


 そんな間にも数馬はこんこんと優に言い聞かせる。


「優の最高級のジュエリーをお客さんに提供したいという気持ちは痛いほどわかるよ。でもね、理想だけじゃやっていけないんだ。貸した金を返す算段がお前にあるならこんなことは言わないよ。いや、俺だって金を貸すのが嫌なわけではないんだ。でも……」


 数馬が説教するのは珍しかった。

 もしかしたら堪忍袋の緒が切れた状態なのかもしれない。

 だが。


 トン、と手入れしていたジュエリーを優が置いた。


「宝石の質を落とす気はありません。そしてお金はいつか必ず返します」


 優はただただまっすぐな視線を数馬に向けた。

 睨むでも媚びるでもない、透明な視線。


 それは孤高の王者のものであった。

 数馬がいなければすぐにでもつぶれる店の主とは思えない威厳だ。


「あ~、優がお金を返さないとは思ってないよ。ただ、俺は……心配なんだ」


 しょげかえってうつむき、か細くそんな返しをしてきた数馬に、優は片眉をぴくりと動かす。


「私は心配されるほど弱くありません」

「わかってる。わかってるよ。でも、優自身がいくら強くても……店が有名にならなきゃ……俺の知り合いを紹介するって言うのがプライドに障るなら、優のその顔を写真に撮ってSNSに載せるのは……」


 優の表情がすぐさま苦み走ったものになる。


「却下です」

「ですよね~」


 数馬が優に顔写真をSNSに載せろと提案したのは、優の容姿が整っているからだ。

 それこそ、芸能界で数々の美形を見慣れた数馬が思わず声をかけてしまうほどに。


 優の肌は陶器のように白く滑らかで、唇は天然で血のように赤い。

 その色彩だけでも目を引くのに、身体は豹のようにしなやかで色香がある。


 常にオールバックに整えられた髪の毛は艶やかな黒で、それはもう美女にも見紛う美しさなのだ。

 優は優美な細長い指でジュエリーをそっと持ち上げた。


「私のジュエリーを視界に入れれば、見惚れずにはいられない。私のジュエリーには力がある。そうでしょう?」


 白い指が映える黒いブローチには金粉でススキが描かれており、そして寄り添う恋人たちをイメージした二つの真珠がそっと隅にあしらわれている。

 このブローチは伊勢物語の十二段「武蔵野」がモチーフになっている。


「……そうだね。一目見さえすれば、優のジュエリーに惹かれない人はいないよ」


 数馬は優の抱く「自分の作品への絶対の自信」は何があっても揺らがないのだと思い知ったようだ。


 あきらめたような、あきれたような、あるいは信頼してか、数馬の表情はやけにやさしい。


 一方、優は数馬の発言に内心で『そうだろうそうだろう』と自画自賛し、わかるかわからないか微妙なくらいに唇を笑ませている。


「わかったよ。優の好きにして。どんなにこの店が窮地に陥っても、俺は見捨てないから」


 数馬は憂いなんて最初からなかったかのように、夏の太陽もかくやというほどの輝かしい笑顔を放った。


 優は優で孤高の月のような麗しさで頷き、二人の間にはいつも通りの穏やかな空気があるのだった。

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