第144話
集落の水道池の周りに、獣人の女の子たちが集まって来た。
狼の獣人の彼は結局僕には名前を教えてくれなかった。やっぱり僕の事、すぐ王都に帰ってしまう奴だと思っているのかな。
ルーダン城に毎朝水を持って来てくれる、柴犬のような毛色の可愛い女の子の獣人が声を上げる。
「がんばってー、ポポロン」
「その名で呼ぶなァァッ!」
狼の彼は鼻の周りを赤らめて抗議する。女の子たちがどっと笑う。
「俺の名前はシルバーウルフだ! そう呼べといつも言ってるだろう!」
「シルバーウルフ族のポポロンじゃろ」
いつもおばあさんっぽい言葉遣いをするキツネの耳と尻尾をした女の子が、そう言ってコロコロと笑う。小さな男の子の獣人たちも次第に集まって来た。
シルレインはわざわざ水着を用意してくれた。別にステテコでも一緒なような気もするけど……さて。僕がおもむろに水深80cmのプールに入って行くと、それだけでどよめきが起こる。
「きゃああ、領主さま!」「だめだよ、そっちは深いよ」「怖くないのかえ?」
大丈夫、ぜんぜん怖くないよ。振り向いてそう言おうとした僕は驚愕に喉を詰まらせる。シルレインがいきなりメイドドレスから袖を抜き、はらりと落としたのだ、どうして!? こんなのは予定にないよ!
僕は慌てて目を背けたが、シルレインはドレスの下に水着を着ていた。
「わたくしもお手伝い致しますわ」
シルレインがプールに入ると、やはり周りからはどよめきが起こる。
「シルレインさんも大丈夫なの?」
「見て、領主さま震えてるよ」「領主さま、むりはしないで」
僕が震えているのは水の深さのせいではないのでそこは大丈夫だけど、僕全体としては大丈夫ではなかった。シルレインの胸は大きくて、目のやり場に困る。
「コホン、あの、ポポロンさんもどうぞお入り下さい」
「お前もその名で呼ぶなッ……入るさ、入るともッ!」
僕だけならともかく、若い娘のシルレインまで入ったプールに、男の俺が入らずにいられるか。そういう面持ちで狼の獣人ポポロンさんは片足をプールの中に入れる……が、たちまち全身の毛を逆立たせて硬直する。
「ゆっくりでいいですよ」
「ゆ、ゆっくりする必要などないッ!」
―― ザバァ!
ポポロンは勢いをつけ、残る片足をプールに入れた。ポポロンは背が高く足も長いので、水面はその股下にも届いていない……だけどそのかっこよくて強そうな狼の獣人はプールの中で小刻みに震え出す。僕は完全に日本の実家の風呂場で愛犬を洗っていた時の事を思い出し、必死に笑いをこらえる。
さて、現代知識チートの時間だ。水泳は積み上げられた知恵と技術の結晶でありクロールは誰でも簡単に習得できて楽に続ける事が出来る、魔法の泳法なのだ。
「正しく扱えば水は決して怖くないですよ。まずは見ていてね」
僕はプールの外の女の子たちを見回してそう言い、一度頭のてっぺんまでしっかりと水に浸かる。水の外ではシルレインとポポロン以外のみんなが大きな悲鳴を上げたようだが、水中は静かなものだ。
「もうやめてぇ」「あぶないよ領主さま!」
そういや女の子達も水遊びの時、決して顔を水中に漬けたりはしてなかったな。立ち上がった僕は、そのまま水の中で立ち飛び込みをし、向こうまでクロールで泳いでみせる。向こうまでと言っても10mもないんだけど。
向こう側で立ち上がった僕が振り向いた時には、周りは静かになっていた。ポポロンも女の子たちも、ポカンと口を開けている。
僕はもう一度泳いでみんなの方に戻る。
「驚きましたわクローゼさま……そのような水泳術は初めて見ました、一体どこでいつの間に習得されたのですか? 貴方は本当にエロ河童だったのですね」
「エロだけちょっと余計かな……じゃあやってみましょうかポポロンさん」
僕は目を丸くしているシルレインに背を向け、ポポロンに向き直る。
「やっぱりだめだ、出来ない、アオオオ、むりむりむり、アオオオ」
ポポロンは小刻みに震えながら、苦手なシャワーを掛けられた大型犬のように情けない声を出す。
「立ったままでいいんです、まだ顔を水に漬けたりしません、僕の真似をして、腕と顔を動かして下さい」
プールの中に立ったまま、僕はクロールの上半身の動きをさらに簡単にしたものを、ポポロンに習得してもらう。ポイントはふたつ。力を入れずゆっくり動く事と、自分のおへそを見続けること。
「シルレインはそっちに居て、ポポロンさんが来たら捕まえてあげて。じゃあポポロンさん、水に顔をつけますよ」
「アォォン、だめ、アォォン、むり、むり、」
しかし顔を水に漬けようとすると、ポポロンはすぐに顎を上げてしまう。
「顔はおへそに向け続けてください! 怖かったら目をつぶってもいいです、立ってやってる時と一緒です、ゆっくり、力を入れずに手を回して」
何度かやり直した後で、ポポロンはやっと水面を2m移動出来るようになった。僕とシルレインは少しずつ間隔を広げて行く。
「ハァ、ハァ、ハァ、むりだぁ、だって水の中では息が出来ない」
「前を見たらだめなんです、手を下まで回した時に、自分の尻尾を見るつもりで首を振ってみてください」
「尻尾だと? お前には尻尾がないじゃないか!」
「貴方にはあるでしょ、さあやってみて」
前方を見るのではなく後方を見ること。クロールの息継ぎのコツはそれだけだ。
最初は僕やシルレインに必死にしがみついていたポポロンだったが、水からの顔の出し方がわかると、一人でプールの端から端へ行けるようになった。
「だが領主どの、前が見えないのでは安心して泳げない、どうすればいい?」
「息継ぎの時以外ならちらっと見てもいいですよ、ずっと見てる必要はないでしょ?」
†
「フハハハハ! 今日から俺の事は海の勇者シルバーウルフと呼べ!」
あんなに怖がっていたのがうそのようである。ポポロンは息継ぎを覚えた10分後にはここは狭いと言いだし、海へと走って行った。
「あたしもやってみたい!」「私もー!」「わしもやるぞえ」「ぼくも!」
ポポロンの活躍を見た女の子たち、男の子たちは、次々と服を脱いで池に入って来た。
「女の子の下着姿を見たいクローゼさま、残念ですがここは私が引継ぎますので貴方はポポロン殿についていてあげて下さい」
「みんなにクロール教えたの僕なんですけど……まあいいや、頼むよシルレイン」
僕が水着一丁のまま砂浜に駆けつけてみると、ポポロンはもう沖に向かって泳いでいた。
「待って、まだ足がつかない所まで行かないで! もうちょっと慣れてからにして!」
「問題ない! これならどこまでだって泳げる、フハハハハ!」
波打ち際に駆け寄り早めに飛び込んだ僕は、本気の泳ぎでポポロンを追い掛ける……こっちは13歳にしては少し小さい男だけど、向こうは人類では到達出来ないレベルのスーパーアスリート体形をしている。正直軽く腹が立つ。
前世の記憶が蘇る……中学時代の僕は水泳部に所属していた。僕は幼稚園から水泳を習っていて、少なくとも後から来る奴には絶対負けたくないと思ってたんだけど……結局のところ、体格で勝る後輩にどんどん追い越された。
「駄目だよポポロン! バタ足のやり方も教えるから一度戻って!」
今日のところはどうにか追いつく事が出来た僕は、ポポロンを捕まえてそう言った。待てよ。ひどく嫌な予感がする。
「領主どの!」
「え、ひっ!?」
―― ぶちゅうううううー、べろべろべろべろ!
次の瞬間、僕はポポロンに逆に捕まえられ唇を奪われて、いや、顔じゅうを舐めまわされていた! 我等是男同士、やめてぇ!
「こんなにも素晴らしい力を授けて下さるとは思ってもみなかった、この御恩は生涯忘れぬ、ありがとう! ありがとう領主どのぉ!」
「わかったわかった、わかった、から、やめてぇぇ!」
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