第39話 再び大神殿へ


 前回大神殿を訪れたときのように、準備は早朝から始まった。

 昨日の戦いでクタクタだから、人形のようにメイドたちにされるがままになっている。

 たぶん、今の私は死んだ魚みたいな目をしてるんだろうなと思う。

 ただ、体は少しつらいけど、大神殿へは一刻も早く行きたい。あの魂がまだ近くにあるのが怖くて仕方がないし。

 メイド数人がかりでの支度がようやく終わって、メイを含むメイドたちが部屋から出ていった。


 静かになった部屋で、鏡の前に立つ。 

 前回とは少し違う髪型と服装。

 相変わらずきれいだな、と思う。

 あのときは他人の体だと思っていたから自分が美人になったという感じはしなかったけど、今はこれが自分なんだよなぁ……と鏡に映る自分をしみじみ見てしまう。

 正直なところ、美人になれてちょっとラッキーだと思っている。おしゃれするのも楽しそうだし。

 でも、聖女がこんなに俗っぽい性格でいいのかな。

 聖女オリヴィアというよりも、織江としての性格が強く出ている感じがする。

 ……まあいっか。

 織江として生きてきた十六年間は消えるわけじゃないし、私にとって忘れてはいけない自分の人生の一部なんだから。


 部屋に迎えに来たルシアンと共に外に出ると、聖騎士たちが整列して待っていた。

 馬車の横に立つのは、アルバート。彼にちらりと視線をやると、頬を染めて視線をそらした。前回とまったく同じ反応……。


「正装がよくお似合いです、聖女様。今日は一段とお美しいです」


 そう言ったのは、ヴィンセントだった。

 頬を染めるでもなくさらりと褒められ、ちょっと照れてしまう。

 以前と違って、今は自分が褒められているという感じがするし。

 

「……ありがとう」


 うつむきがちにそう言うと、聖騎士たちの間から「おお……」という声があがった。

 おおって何。


「オリヴィア、馬車へ」


「ええ」


 ルシアンの手を借りて馬車に乗り込む。

 彼は座ると同時にため息をついた。


「どうかしましたか?」


「いいえ、特に。ヴィンセントがわざわざ見送りに来るのが少々意外だっただけです」


 あ、彼は護衛じゃなくて見送りだったんだ。

 副団長だから聖女を見送ってくれても別におかしくはない、のかな。

 レンの件もそうだけど、彼は貧民街へ送る水を祝福したことにとても感謝してくれているらしい。ブランコも作ってくれたし。

 そんなことを考えていると、アルバートの「出発!」という掛け声とともに、馬車がゆっくりと進み始めた。

 しばし、二人とも無言。

 考え事をしている様子のルシアンの邪魔をするのは申し訳ないかな、と思いつつも、聖皇に会う前に色々と話しておきたいと思った。


「ルシアン。今、“あの人”について話してもいいですか?」


「ええ、もちろん」


「あの人に聞こえたりしないですよね……?」


 ルシアンの足元には、例の宝珠を聖具である封印箱に入れて聖なる紐でぐるぐる巻きにしておふだのようなものを貼りまくってさらに聖布でくるんだものがある。

 厳重に封印されているとはいえ、どうも落ち着かない。


「心配いりません。宝珠の中は、外界とは完全に遮断されていますから」


「わかりました。実は私……あの人に制約魔法をかけられていたんです。あの人が日記をあらかじめ用意していて、そこに魔法が仕込まれていました。だから、日記の内容について話せなかったんです」


「部屋に落ちていたあの本ですね。あの女はおそらく、聖女の体にある神力を利用して魔法を仕込んだのでしょう。あなたの神力でかけられた魔法だったので、魔法の気配が紛れてしまい気づけませんでした。申し訳ありません」


「ルシアンは何も悪くないです。えっと、それで……」


 私は今まで話せなかったことを話した。

 あの人と交換日記をしていたこと。

 その中で何度もルシアンに疑念を抱くように仕向けられたこと。

 日本とここは別の次元で、時間の流れが違うこと。

 私の転生や転移の経緯。


「あの人のように私の魂にも神力があるのだとしたら、その神力を使って織江の命をつないでいたのかな、と思います。でも、結局それもいつまでももたなかった。体と魂が合わなかったんでしょうね」


「適合率の低さもそうですし、普通の人間の体が聖女の魂に耐えられなかったのでしょう。そのあなたの魂をあの女が聖女の体に戻したというのだから、皮肉な話です。聖女の体を乗っ取ったとき、あなたは完全に死んだものと思っていたのでしょうね」


「そうですね」


「女神はこうなることを見越して、あの女を倒すためにあなたに特別な神力を持たせてこの世に遣わしたのかもしれませんね。歴代聖女の中でも、あなたは異質かつ特別な存在と言えるでしょう」


「特別な聖女なんて自覚はないんですけどね……。小心者だし俗っぽいし」


「むしろその人間らしいところが好ましいのですが」


 驚いて彼を見る。

 彼はしれっと真っすぐに前を見ていた。

 ……深い意味はないってことかな? そうだよね、うん。


「あ……そういえば。オリヴィアの過去を調べたんですよね? どうして私が本当のオリヴィアだってわかったんですか?」


「あぁ……それですか。あの女は頑なに『孤児院出身』としか言わなかったので、調べるのに苦労しました。まずはあなたの年齢や容姿からどこの孤児院にいたのかを割り出し、ようやく闇オークションのことを知ることができました」


「あの人身売買孤児院はどうなったんですか?」


「院長を名乗る女が逮捕され、孤児院は解体されました。牢にいるその女からあなたについて話を聞いたところ、あなたは大人しくて泣き虫で怖がりな子だったと証言していたそうです」


「なるほど……私っぽいですね」


「そこからさらに、あなたを買った貴族の未亡人にたどり着きました。その女が死んだのは、聖女オリヴィアが神殿に入る直前。あの女があなたの体を乗っ取ったのはその時でしょう」


 服でも着替えるように、古い体を脱ぎ捨てて新しい体を乗っ取る。そんなことを、彼女は何度繰り返してきたのだろう。

 脱ぎ捨てられてからっぽになった体は、肉体的な死を迎える。体のもとの持ち主の魂は、乗っ取られた時点ですでに死を迎えているから。

 ……女神様から与えられた特別な神力がなければ、私もそうなるはずだった。


「未亡人に仕えていたメイドを探し出し、話を聞きました。淑やかな女性だったのが、ある時から急に性格がきつくなり、隠れて男遊びまでするようになったと」


「たしかにあの人っぽいですね。……それから?」


「以上です」


 以上!?


「こう言ってはなんですけど、私がオリヴィアだという証拠としてはちょっと弱くないですか……?」


「そうですね。結果的に合っていたようでよかったです」


 白い世界で堂々と「オリヴィアはあなたです」と言っていたから、確実な証拠を得たものだとばかり……。

 私が言葉を失っていると、彼はふっと笑った。


「私はあなたに聖女として神殿にいてほしい。そしてあの女には二度と帰ってきてほしくない。だったら、まだ確証を得られていなくてもあの場ではああ言うのが最善でした」


「……たしかに、ルシアンが私がオリヴィアだと言ってくれたから、私はあの人に負けずに済んだのだと思います」


 彼があのときああ言ってくれなければ、体から追い出されていたのはきっと私だった。


「本当は、聖女の体があなたの魂を受け入れただけでなく、あの女よりも清浄な神力を使えるようになったというだけでも、あなたが元々オリヴィアだったと考える根拠としてはじゅうぶんだったんです」


「そうなのですか」


「ただ……確証が欲しかった。生きたいと強く願うあなたに、ぬか喜びさせたくなかったから。それに、あなたがニホンで十六歳まで生きたというのが最後まで引っ掛かった」


 ルシアンが最近物言いたげだったのはそれだったんだ。

 でも、私がオリヴィアだという確証を得ていなかったから、中途半端に私に期待を持たせて万が一にでも違っていたらと考えて言えなかったんだろう。

 まさか日本とここの時間の流れが違うなんて思いもしなかっただろうし。


「いずれにしろ、聖女オリヴィアはまぎれもなくあなたです。これからは後ろめたさを感じる必要はありません。堂々とオリヴィアとして生きてください」


「ありがとうございます」


「とはいえ、あなたをおびやかした魂が近くにあるうちは、すっきりと気持ちを切り替えることはできないでしょう」


「……はい」


 ルシアンの言う通り、あの魂がまだ近くにあると思うと落ち着かない。

 終わったという感じがしないというか。


「心配いりません。あなたの最後の不安を取り除いてくれる場所に、もうすぐ着きますから」


 ルシアンが窓の外を見る。

 彼の視線の先、木々の向こうに、大神殿の姿がちらりと見えた。


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