第40話 サーシャの日記


 サーシャの日記には私の成長の様子が事細かに記されていた。彼女が綴る文章からは私に対する愛情と、世話役を任されたことへの喜びがひしひしと感じられた。


「お呼びでしょうか」


 静かな足取りで側に歩み寄るレベッカを、私は身が引き裂けそうな思いで振り返った。その顔にはいつもの明るい笑顔はなく、どこか悲し気にも見える。


「来てくれて、ありがとう……本当なら、私から会いに行かなくちゃいけないのに」


「滅相もございません」


 レベッカの様子に憤りのような感情は見受けられない。けれど、どこか距離を感じた。


 私はレベッカに日記を差し出す。


「日記、読ませてもらったよ。話も聞かせてもらった」


 レベッカは日記を受け取ると、大切そうにその表紙を撫でた。


「ブランシェット公子がお嬢様に全てを話すご決断をされたと聞いた時は、正直戸惑いました」


 レベッカの言葉に、私は恐怖する。震える手にぐっと力がこもった。


「もし、よければ……レベッカからも、話を聞いても構わない……?」


 レベッカの本心が知りたくて、気付けばそんな自分勝手な言葉を口にしていた。けれどレベッカは怒る素振りもなく、悲しそうな微笑を浮かべて話してくれる。


「お嬢様がフロスト邸に赴くことが決まった際、万が一に備え、魔力保有量の少ない姉が世話役に選ばれました。私はまだ幼く、ついて行くことは叶いませんでした……」


 フロスト男爵は、私がブルーローズで亡くなったと嘘の発言をした際、続けて「責任を感じたサーシャも自害してしまった」とでっち上げの証言をしたそうだ。

 実際は私を逃がすために囮となったサーシャを口封じのため処理していた。


 本当に、嘘ばかりだ。


「フロスト男爵は……?」


「当主様がフロスト男爵の行いをすべて自白させてくださいました。すでに処罰は下されております。フロスト家の人間は地位を剥奪され、死よりも苦しい日々を送ることになると教えていただきました」


 フロスト男爵の悪行は多種多様に渡っていたようで、裁判で死刑よりも重い罰が言い渡されたそうだ。罰の詳細は公開されていないが、噂では生き地獄のような日々が続くと言われている。


「姉の無念も少しは晴れたと思います。なにより、お嬢様が無事生きて公爵邸へ戻ってきてくださったことに姉は喜んでいるはずです」


 そう言って微笑むレベッカの言葉を、私は信じられなかった。当然ながら、レベッカは姉が亡くなった事実を、その原因を、私に会う前から知っていたはずだ。


「お嬢様が生きていると知らされた時は、皆が喜び、涙しました。過去のことがありましたので、治療が施されたとはいえ、お嬢様にもしものことがないようにと、姉と同じ家門の私がお世話役として任命されたのです」


「……レベッカは、嫌じゃなかったの?」


「嫌だなんて……どうしてそのようなことを仰るのですか?」


 怪訝そうな表情を浮かべるレベッカに、私は声を絞り出す。


「だって、私のせいで、お姉さんが……」


 これ以上は言葉にならなかった。

 本音があるなら、私に対する憎しみがあるなら、ぶつけてほしいと願ってレベッカに説明を要求した。レベッカが私を恨んでないはずがないのに。私が生きていて嬉しいなんて、理解できないことを言う。


「……お嬢様は、私がお嬢様を責めていると、思っていらっしゃるのですか?」


 押し黙る私に、レベッカは慌てて声を張る。


「そのようなことはあり得ません!そして姉のことは決して、お嬢様のせいなどではありません!どうかご自身を責めないでください!」


「レベッカ……」


 レベッカの真っ直ぐな眼差しに、それが本心からの言葉だと信じられた瞬間、私はホッとした。

 そして同時に、自身の弱い心を自覚した。


 私はレベッカに責められるべきだと思っていた。立場上、言えない本音も、全てぶつけてほしいと思った。その気持ちに嘘はない。

 けれど心の底では、レベッカから嫌われることを一番に恐れていたのだ。レベッカは私にとってかけがえのない存在になっている。これからも、変わらず私の側にいてほしかった。

 自分のことばかりで、本当に嫌になる。


「ごめんなさい……」


 止めどなく溢れだす涙が疎ましい。そんな私に寄り添い、肩を抱いてくれるレベッカの存在が嬉しくて、同じくらい申し訳なかった。


「……私の家系は、みな魔力保有量が少なく、当主様をお側でお仕えする立場にありませんでした」


 涙を流し続ける私の背中をさすりながら、レベッカは物語を読み聞かせるような優しい声で語り始める。


「私たちは当主様に仕えることを生き甲斐としています。それはベハティがかつて王国だった頃から変わりません。国がなくなっても、私たちの中に流れる血は、意志は、廃れることなく今も受け継がれています。私はそれを誇らしく思いながらも、だからこそ歯がゆかったのです。ですからお嬢様の世話役として姉が任命された時、不謹慎ですが、私たちは内心喜びを感じていました。自分たちの家系が今まで血を繋いできたのは、きっとこの日のためだったのだと思いました」


 大きく聞こえる話に何度も瞬く私を見て、レベッカは苦笑する。


「大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私たちにとって、お嬢様の側でお仕えできることは最上の喜びだったのです」


 レベッカはじっと私を見つめる。その瞳には少しの迷いもない。


「姉も、お嬢様のお世話役としてお仕えできて、お守りすることができて、幸せでした。妹である私が断言いたします」


 私に言葉が届くように。本心からの言葉であることが伝わるように、レベッカの眼差しは強く私に向けられている。


「ですから、どうかご自身を責めないでいただきたいです。お嬢様にはずっと笑っていてほしい。それが、姉と私の心からの願いです」


 その言葉にまた涙が溢れた。

 私は弱い。もっと強く変わっていかなくちゃいけない。そのために、今の私がすべきことは何なのか、よく考えなくてはいけない。


「うん……分かった。レベッカ、ありがとう」


 私はレベッカの背中に手を回し、強く抱きしめた。



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