第8話 クラスメイドとお掃除と 後編

あれから約1時間が経過した。

目の前には──……。


「大分キレイになりましたね」

「俺の部屋がこんなに広く感じたの、すごい久々だわ」


1時間前とは全く比べ物にならないほど小綺麗になった翼の部屋があった。

ラノベについての一悶着があってからは真面目に掃除を続け、1時間ほどですべての工程を終えてキレイになったのだ。

佐折は額についた玉の汗を手の甲で拭いながら、一息ついている。


「さて、若狭さんの部屋も終わりましたし、下の部屋もとっととやりましょうか」

「そうだな、これに満足して終わりってわけにも行かない。下まで一気にやっちゃいますか」


同意して、それからチラと自分の部屋を見る。本当に見違えるようだ、某ビフォー◯フターに出してもいいと思えるくらいには。彼女の効率が異様によく、手際の良さで言えばまるで本職と言っても差し支えないほどだったのが要因だろう。

翼は佐折に再三告げる。


「氷室崎さん、やっぱり掃除についての仕事ってやってた?」

「そんなにすごいことなんでしょうかね、掃除できるのって」


苦笑しながら返事をする佐折。そう会話をしながら階段を降りて、二人はリビングへと舞い戻ってきた。一旦きれいな場所を見ると、普段からある程度掃除しているリビングも汚く感じてくるから不思議だ。佐折も同じように感じたのだろう、入るなりすぐに箒を持った。


「やっぱりきれいなところを見てから普段の場所に来ると、汚く感じますね」

「……やっぱり同じ印象なんだな」


──何故か嬉しい気分が頭にあるが、それは無視する。

ぼそりとつぶやいた翼を尻目に、早速彼女は箒を動かし始めたのだった。


 @


「雑巾がけ、終わりましたか?」

「あ、ああ。終わったよ」

「じゃあ、今そっちに行きますね」


下に降りてから三十分。掃除は順調に進んでいた。佐折はキッチン側のゴミを掃いていた手を止め、こちらにそう訊いてくる。サボっているわけがないので、もちろん頷きながら答えた。

それを聞いた佐折は何かをするのだろうか、その背中のリボンを大きく揺らしながら歩いてくる。

だが、そこは翼が雑巾をかけたばかりの場所。


「そこは濡れて……!」

「えっ、……キャッ!?」


濡れていることを失念していたのか、佐折が踏み出した足は床を上滑りする。彼女の身体が大きく傾ぎ、時間が凍りつく。まずい、と思うよりも早く体が動いた。

すべらないように気をつけつつも出せる限界の速度で、彼女の元に駆け寄る。

幸いにも近くにいたので、倒れきる前に身体を抱きとめることが出来た。そのまま無事を確認するために、顔を突き合わせる。

彼女の切れ長で美しい瞳がパチパチと瞬き、翼の目と見つめ合う。翼は口を開いた。


「危なかった、大丈夫?」

「……ひゃい」


何故か返事の声は蚊が鳴くように小さく、そしてふにゃとしたものだった。

ふともう一度顔を見ようとすると、その目を翼から逸らし、頬が赤く染まってきた。そしてその可愛らしくいじらしい仕草で、翼も遅ればせながら、気づく。今ものすごい姿勢になっている、ということに。吐息がわかるくらい、近くにいるということに。そう気づいてしまった瞬間、翼の身体がかあっと熱くなってきた。猛烈な羞恥と、強烈な気まずさに、目の前の佐折のように頬が一瞬で赤くなる。

慌てて手を離して、謝る。


「ごごごごごめん、触っちゃって」

「……いえ、わ、私が転んだことが悪いですし」

「それでももうちょっといい止め方あったはずだ……ごめん、本当に」

「私に何もないので、大丈夫ですよ」


声は普段のトーンに戻っているのだが、顔は俯いていて見えない。どう考えても、怒っているのだろう。翼はその後も平謝りしながら、彼女の機嫌取りに奔走するのだった。


 @


掃除が終わったときには、もう日がすっぽり暮れた夕方だった。

窓から西日のオレンジ色が洗ったカーテン越しに入り込み、足元にひだまりを作っている。

佐折は先程買い物のために出ていった翼について、ソファの上に行儀よく座りながら思案する。


(若狭さん……、いい匂いしたな。って、そうじゃないでしょ、バカ、私!迷惑かけたくないって言ったのに、また迷惑をかけそうになってるじゃない……)


ぐるぐると思考は低迷、自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまう。迷惑をかけない、と潔く宣言したのにこれでは、本当に未来が思いやられる。この先一緒にいるときに、今日みたいに張り切って空回りしてしまったら、迷惑にしかならないだろう。しかし、翼はこの前迷惑をかけても良いと言っていた。


(本当に、迷惑かけて良いんでしょうか……。こんな何の取り柄もない私ですけど、何であんなこと言ってくれたんでしょう)


そう考えさしたときに、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。翼だろう。とりあえず思考は振り切って、玄関に迎えに行く。メイドらしく、同居人らしく。


……彼女は気づかない。彼女自身が持っている淡い気持ちに。もうすでに、彼が答えを持っているということに。

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