終電の吸血鬼

石油王

初夜

ここは日本の中枢、トウキョウ。平穏が続く平和ボケした先進国。

街が寝静まった丑三つ時。肌寒い秋空の下、婦人警官の私は夜な夜なパトロールを行う。

今晩は巷で話題沸騰中の都市伝説。“終電の吸血鬼”を捕獲するべく、ある地下鉄のホームまでやってきた。


「これって私たち(警察)が動く意味あります?」

「毎日、毎日、目撃者の通報が絶えないんだ。念のために車内のパトロールに行ってきてくれ」


上司からの命令は絶対。ここでいくら渋っても新人に断る権利はない。

面倒事は全て私に回ってくる。もうこんなの慣れっこだ。

噂の範疇に過ぎない今回の一件。だが管轄外だと駄々をこねている暇はない。

どんな事でも真摯に向き合うのが警察官の使命である。


「その“終電の吸血鬼”とやらは、どんな容姿を?」

「見た目は至って普通の成人女性。モデル顔負けの長身的なスタイルで、かなりのべっぴんさんらしい」

「ちなみにその女が吸血鬼である証拠は?」

「酔い潰れたサラリーマンやOL、大学生を狙って生き血を吸うそうだ。優しく介抱すると見せかけて、首筋に八重歯を突き刺すとかなんとか」

「殺しですか?」

「幸いなことに、血を吸われた被害者は全員命に別状なし。しかし首筋に付けられた歯形はひと月待たないと消えないらしい」

「じゃあ傷害事件を起こした犯人としてソイツを捕まえろと?」

「その通り」

「フッ。くだらないですね」


私の耳には酔っ払いの狂言にしか聞こえない。

恐らくトイレの花子さんと同じ類で根も葉もないオカルト話だろう。

そのオカルト話に付き合わないといけないとか馬鹿馬鹿しい。

早くこんな仕事終わらせて、全部ウソだったと上に報告したい。

そして早く家に帰ってベッドにダイブしたい。

暫くホームに立っていると、終電の快速電車が到着した。

さっそく車内に乗り込み、中の状況を確認する。


「くっさ」


車内の空気はすっかり酒気で淀んでいた。

まともに座れず床でへたり込んだり、椅子をベッド代わりにして爆睡する者がほとんど。ベロベロに酔い潰れたサラリーマンやOL、学生さん達が死体のようにぐったりしている。


「アァァァァァッ……‼」


突然、隣の車両から大きな呻き声が聞こえてきた。

私は肩をビクつかせ、背を丸める。


「なにごと……⁉」


その声に驚いた人間は私だけ。アルコールで脳をやられた人達はビクとも反応しない。

最初は幻聴かと耳を疑ったが、あの野太い声量は本物。誰かに襲われた時に発する声だ。

私は急いで、隣の車両のドアを開ける。


「——」


隣の車両も同じく酔い潰れた人達を確認できた。パッと見、変わった所は見当たらない。だが、ある女性の姿に違和感を覚える。


“あれはシラフか?”


ひときわ攻撃的な異彩を放つ女性が一人。窓際のドアに体重を預けて立っていた。

生地は紺と白のバイカラー。裏起毛の革ジャンを着用し、細身のスキニーデニムで全体の印象を引き締める。

唇は肉厚感があり、燃えるように赤い。

髪の上部はふんわり短めで、青っぽい襟足を伸ばしたメッシュのウルフカット。

顎ラインで切り揃えられた前髪横は毛先がクルッとしていて、どこか色っぽくカッコイイ女性を演出している。

瞬きするたびに長く凛としたまつ毛が揺れ、紅く鋭い三白眼が神々しい。薄色サングラスを掛けていても隠し切れない甘美な双眸だ。

周囲の人達とは違い、しっかり意識があるようで窓の外をジッと見詰めていた。


“めちゃくちゃ綺麗……”


噂通り洒落たヤツで、溜息が出るほど美しい。

自分の職務をすっかり忘れ、彼女に見入ってしまう。

同姓相手でも何か感じるものがあり、恥かしながら一目惚れしてしまった。

徐々に頬が熱くなり、彼女から目が離せなくなる。


「あっ」


女性は窓の外から視線を外し、床で大の字になっていたサラリーマンの元へ穏やかな足取りで向かう。

そしてサラリーマンと目線を合わせるように膝を曲げ、床にしゃがみ込んだ。


「大丈夫ですか?」

「えっ……ああ……うん」

「そんな所で寝てたらスーツが汚れちゃいますよ?」

「うん……うん……」

「ほら、ちゃんと座ってください」

「んん……」


女性はサラリーマンを起こし、椅子に座るよう呼びかける。しかしサラリーマンは腑抜けた返事をするだけで、一向に座ろうとしない。

なんなら女性の体に抱きついて、眠りに就こうとする。


「こらこら。私の太ももを枕にしないでください。重いです」

「ああ……おもくないよぉ……だいじょ~ぶ……」


あれはダメだ。酔いが酷い。

一切離れる様子がなく、彼女の胸に顔を埋めて間抜け面を晒していた。


「おとうさん。くすぐったいです」

「ええ……ああ、そう……?」


見ず知らずの男にベタベタ素肌を触られているのに何故か満更でもなさそう。クスッと鼻で笑い、サラリーマンの頭を優しく撫で始める。


「少しいいですか?」

「ん……?」

「こんなとこに虫がついてます」


彼女はそう言ってサラリーマンが着ていたジャケットを捲り、首筋に手を当てる。

何をしてるんだろう……?

彼女の不審な行動に不吉な予感を覚え、ゴクリと唾を飲み込む。


「いただきます♡」


不吉な予感はすぐに的中した。

女性は手を合わせたあと、躊躇なく首筋に“八重歯”を当てる。そして何か液体を吸うような音が小さく響く。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ——」


暫くして女性は甘い吐息と嬌声を漏らし始めた。肩を激しく上下に揺らし、口から糸を引く。


“なんなの、あれ……⁉”


私は今、見てはいけないものを見てしまった。

あの女性はきっと人間じゃない。人間を脅かすバケモノか何か。

胸の内であらゆる感情が錯綜し、背中に汗を滲ませる。


「ああ……ああああ……あああああああっ⁉」


サラリーマンは断末魔のような声を上げ、全身を痙攣させる。抵抗する余力がないのか、最早されるがまま。

一方、女性も口の端から赤い液体を垂らしながら喉が弾けんばかりに嬌声を張り上げる。


“ダメだ。私が止めないと‼”


このまま静かにドアを閉めて、ここから逃げ出したい所だが仕事柄それは許されない。

手持ちの銃を構え、隣の車両へ飛び込む。


「け、警察です‼ 早くその男性から離れなさい‼」


“こわい、こわい、こわい、こわい……。誰か助けて。お願い。誰か、誰か……‼”


外面は警官らしく気丈に振る舞うが、脳内は恐怖で埋め尽くされる。

銃を持つ手が震え過ぎて照準が合わない。


「あらあら、流石にバレちゃったか……」


銃を向けられているのに、やたらと冷静な彼女。

長い舌で口元に付着した血を拭い、サラリーマンからそっと手を離す。


「その銃でウチを撃つ気?」

「抵抗したら撃ちます!」

「おお~、こわっ。日本の警官もおっかないねー」


女性は両手を挙げて、こちらへ向かってくる。

コツコツとヒールを鳴らし、ゆっくり、ゆっくりと——。


「キミはこの銃で人を撃ったことがある?」

「ま、まだないです……」

「ふ~ん。じゃあ今、すぐに撃てる自信はある?」


薄ら笑みを浮かべつつ、私のすぐ正面に立つ。

そして有ろうことか、向けられた銃口をパクッと咥えてしまった。


「ねぇ?この状態でもキミは撃てる?」

「は⁉」

「もし、このまま撃てば銃弾がウチの脳を貫通する。いいの?」


コイツは一体、何を考えているんだ……⁉

この状況で銃口を咥えるなんて常軌を逸している。

いつ撃たれるのか分からないのに、至って涼しそうな顔で私の目を見詰める。

まるでここで死んでも構わないような態度だ。


「アンタは死ぬのが怖くないんですか?」

「死ぬのが怖い……? そんなこと、思ったことがないなぁ~。だってウチ、死にたくても死ねないもん♡」

「それって、どういうこと?」


私は怪訝そうに両眉を歪ませ、女を睨み付ける。

別に笑うタイミングじゃないのに彼女はクスッと声を漏らす。


「ちょっと試してみよっか?」

「えっ……」


“ズドン”


車内に木霊する銃声。

ほんの一瞬の出来事だった。

女は私の手を握り、自らトリガーを引いたのだ。

放たれた銃弾は忽ち彼女の脳天を貫き、どこか遠くへ消えていく。

女は口から赤黒い血を吐き出し、力なく前のめりに倒れていった。


「あっ……あっ……あっ……」


紅く澄んだ瞳は忽ち白目を剝き、マヌケな面を晒す。

全身を激しくビクつかせ、目の前の“死”に抗おうとする。

その姿は酷く滑稽で悍ましかった。


「ウソ……でしょ……?」


全身に返り血を浴びた私はその場で膝をつき、頭を抱えて項垂れる。


「だれが……殺したの……?」


銃口からほのかに香る煙の匂い。

強烈な吐き気に襲われ、小さく嗚咽する。


「殺したのは私じゃない……。私じゃない、私じゃない、わたしじゃない、わたしじゃない、ワタシジャナイ、ワタシジャナイ……」


何回も自分でそう言い聞かせ、現実逃避を試みる。だが一向に状態は良くならない。

いやに静まり返った車内で一人泣き叫んだ。


「ふふっ」


半ば狂乱状態に陥る私だったが、誰かの冷めた笑い声によってハッと我に戻る。


「安心して。ウチはまだ死んでない。ほら前向いて」


細長い指によって顎を持ち上げられた。

目線の先には真っ赤な唇を尖らした女の美貌が映る。


「きゃああああああっ⁉」


驚きと恐怖のあまり大人気なく叫んでしまった。

何がなんだか分からず、彼女から逃げるように後退る。

さっきまで血塗れだった頭は綺麗に元通り。床や衣服に付着していた血痕も残されていない。

女は乱れた髪を手櫛で整え、落ち着き払った様子で息を吐く。


「どう? 驚いた?」

「ひっ⁉」

「想像以上の反応。滅茶苦茶ビクビクしてんじゃん」


こんなに取り乱したのは警察官になって初めてだ。

上司から理不尽に怒られた時でも、物怖じしなかったこの私が目尻に涙を浮かべる。

声が上手く出せず、ただ小動物のように震えることしかできない。


「ああ~、ゴメン。いたずらが過ぎちゃったかー。そこまで泣かせるつもり無かったのに」


淀みなく涙を流す私を見て罪悪感を覚えた彼女は、真っ直ぐ手を伸ばす。そして静かに私の身体を自身の胸元に抱き寄せ、優しく背中を撫でてきた。


「はいはーい、お姉さんは怖い人じゃないよ。よしよし——」

「わ、わたしを子ども扱いしないでください‼ ていうか、離れてください‼」


警官としてではなく、一人の女の子として甘えそうになった。

ほんの数十秒背中を撫でられた所で正気を取り戻し、慌てて彼女の身体を突き放す。


「おっとと。もしかして反抗期かしら?」

「ちがいます‼」

「かわいい♡」

「バカにしないでください‼」


彼女の物言いが癇に障り、久しぶりに感情を荒げてしまう。

女はクスクスと笑みを零し、意味もなく天を仰いだ。


「やっぱり、キミは面白い」


愉快に高笑いして腹を抱える。

近くにぶら下がっていた吊り革を手に取り、笑いが止まるまで支えてもらっていた。


「貴方は何者なんですか?」

「何者だと思う?」

「分かりません。でも人間ではないことは確かです」


一度死んだはずなのに何事もなかったかのように生き返るなんて天地がひっくり返っても有り得ない。目の前の女を人間と結びつけるのは難しい。


「じゃあ人間じゃなかったら、なんだと思う?」

「宇宙人か幽霊か何か」

「ほうほう。キミは意外とオカルトを信じる派なのかい?」

「いえ。ただ消去法でこの二つしか有り得ないかと」


宇宙人とか幽霊とか一度も信じたことないし、出来れば今後も信じたくない。忙しい私にそんな曖昧な存在と構っている暇はないのだ。


「そうよ。キミの言う通り人間じゃない。でも残念ながら宇宙人でも幽霊でもない。人間の生き血を欲するただの“吸血鬼”さ」


女はそう言って、長い舌と鋭く尖った八重歯を見せつける。

私はポカンと口を開けたまま、小首を傾げた。


「昼は人間として、夜は吸血鬼として。いつもこの終電に乗って、飲兵衛の血をちゅーちゅー吸ってるんだ。キミも実際に見たでしょ?」


サラリーマンの首を容赦なく噛んでいた先程の光景が蘇ってくる。アレはトラウマ級の衝撃だった。


『次は○○駅~、○○駅です。出口は右側です』


ここで終点到着の車内アナウンスが流れる。

吸血鬼を名乗る女は私に背を向け、ドアの前に立った。


「今日はキミのおかげで久しぶりに楽しませてもらったよ。またどこかで会おう」


別れ際にそう言ってドアが開かれる否や、女は走り出す。


「ちょっと⁉コラ‼待ちなさい‼」


急いで後を追いかけようとしたが、改札口を抜ける直前で姿を見失った。


「なんなの、アイツ……」


姿を見失ったところで一気に全身の力が抜け、その場にへたり込む。タイムラグで腰を抜かし、立ち上がれない。


「コワかった……」


また無意識のうちに目尻に涙を溜めていた。

一日に二回泣いてしまったのは人生で初めてだ。

誰かにこんなに泣かされるなんて屈辱……。忘れたくても忘れられない黒歴史……。

死ぬほど恥ずかしい。


「マジの吸血鬼とか聞いてないんですけど……」

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