第三話 大根・無能社員、さっそくミスをする

「ちょっと、青果の社員、誰かいる!?」


 青いエプロンを着けたチェッカー主任が、オープンキッチンに怒鳴りこんできた。


「大根の値段、いくらなの!? POPは158イチゴッパなのに、プリセットが198イチキュッパになってるじゃない!」


 チェッカーとは、レジ担当者のことだ。まるごとの大根やキャベツなど、バーコードをつけられない商品は、あらかじめシステム上の商品台帳マスタに金額を登録しておき、レジで品目名を押す仕組みになっている。それを「プリセット」と呼ぶ。


 パソコンの前に座っていた唐島主任はすぐに立ち上がり、チェッカー主任に頭をさげた。


「すみません。158イチゴッパが正しいです。すぐにプリセット直します」

「売価はしっかりチェックしてよね! お客さまに迷惑かけちゃったじゃない!」


 肩を怒らせ、チェッカー主任がレジに戻っていく。レジは忙しいうえ、お客さまのクレームをダイレクトに受けやすい部門だ。そのため、チェッカーも気性の荒い社員が多い。


 唐島主任は急いで商品マスタを開き、大根のプリセットを修正した。

 他の商品のプリセットもひと通り確認してから、唐島主任はくるりとわたしの方を振り返った。


「今朝、プリセット登録したの、瓜生だよな?」


 目が、めちゃくちゃ怒っている。わたしは、恐怖のあまり、こくこくとうなずくことしかできなかった。


「売価変更リスト、ちゃんと見てるのか? JANジャンコードのスキャンチェックは?」


 怖い。怒鳴られたわけじゃないけど、蛇ににらまれたカエルみたいに、凍りついてしまう。

 わたしはおどおどと答えた。


「すみません。ちゃんと見たつもりだったけど、抜けがあったのかも……。でも、高い値段なら、店が損しなくてよかっ……」


 そう言いかけたところで、「バカ!」と怒声が飛んできた。思わずびくりと首をすくめる。


「間違えて安く売った方がまだマシだ。お客さまに損をさせれば、一気に信用を失う。おまえがやったのは、一番してはいけないミスだ」


 主任はパソコンを指さしながら命じた。


「おまえ、もうすぐ二年次だろう。新入社員じゃあるまいし、売変ばいへんミスなんてするな。今すぐ、変更分ぜんぶチェックしなおせ」

「は、はい!」


 わたしは売り場に駆け出し、今日売価が変わった商品をかき集めた。

 パソコンに社員番号を入力して画面を開く。ハンドスキャナーで商品のJANコードを読み取っては、表示される売価を確認していった。

 すべてチェックし終え、ぐったりといすの背にもたれかかっていると、野菜担当のパートさんが近寄ってきた。


「大丈夫? お七ちゃん。ずいぶんきつく叱られてたけど」


 キッチンにいるパートさんたちにも、怒られているのを聞かれていたのだ。情けなくて消え入りそうな気持ちになる。


「はい、大丈夫です。もともと、わたしのミスが原因ですから」

「誰だってミスくらいするんだから、あんなに怒らなくてもいいのにねえ。パワハラよ、パワハラ」


 同意することも、否定することもできず、わたしは引きつり笑いを浮かべた。

 わたしの味方をしてくれるのはありがたい。でも、正直いって、こういう悪口につながっていく流れは好きじゃなかった。

 かといって、下手に唐島主任をかばうような発言をすれば、パートさんたちを敵に回して、面倒なことになる。わたしはなるべく波風立てず、ダイニングに異動するまでの日々をやり過ごしたいのだ。


 反応に困っているうちに、他のパートさんも集まって、愚痴がはじまった。


「だいたい、唐島主任は厳しすぎるのよ」

「そうよ、ひとの心がないと思わない?」


 うちのパートさんたち、働き者だし敵対しないひとには、とても優しい。一方で、新参者や気が合わないひとに対しては、めちゃくちゃ辛辣しんらつで排他的なのだ。


 その点、前任の西川さんは、パートさんたちの心をつかむのが上手かった。

 イケメン高身長の体育会系。ちょっとオラついているところがかっこいいと、パートさん世代には人気があった。

 土日祝日はスーパーにとってかき入れ時だというのに、西川さんはパートさんたちの休みの要望を「いいよ、いいよ」と鷹揚おうように許していた。


 今の唐島主任は、シフトに関してもとても厳しい。

「小売業で、土日祝に休めると思わないでください」と、にべもない。

 唐島主任は、仕事のスキルについても甘くなかった。

 わたしがしょっちゅう怒られるのはもちろん、パートさんやバイトの子たちも、「品出しが雑だ」とか「ラップがけが遅い」と叱られる。

 自分の娘のような年齢の主任に注意をされるのは、勤続年数の長いパートさんたちにとって、屈辱的なようだった。


 パソコンの前から立ち上がって売り場を見やると、唐島主任が機敏な動きで品出しをしていた。彼女の四角四面の性格を表すように、ほうれん草も小松菜もびしっと美しく並べられている。

 お客さまとすれちがうたび、主任は「いらっしゃいませ」と、にこやかに会釈をしていた。


 さっきわたしに向けた般若のような形相と、あまりにも差がある。店内に流れるひな祭り向けのBGMと相まって、お客さまの目には「からし主任」が、優しい店員に映るのだろう。


 唐島主任が着任してから、まだひと月たらず。

 この調子で、彼女と一緒にやっていけるのだろうか。明日もあさっても怒られるのかと思うと、憂鬱ゆううつでたまらなかった。

 一刻も早く、ダイニングに異動したい。最初から乗り気ではなかった青果部門が、ますます嫌いになりそうだった。

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