新訳・光戦記 英雄王タックの神ごろし

佐倉じゅうがつ

第1話 農民タック


 タックは平凡な青年である。農村で生まれ育ち、畑をたがやす穏やかな人生を送りつづける……あるいはモンスターか賊に襲われ悲劇的な最期を迎えるか。どちらにせよありふれた人間だった。


タックは、農村での日々に満足だった。生活は単純でわかりやすい。太陽が昇ると同時に畑に出て、夕日とともに家へと帰る。家族は愛情深く、村人たちはみな優しい。

「……ふう、今日はこのへんで終わりにしとこう」

 

「おつかれタック、また明日な」

「タック、また今度うちに来いよ」

「みんなもお疲れさま。収穫したらパーティーをやろうよ」

「おお〜賛成〜!!」

 

 タックに好奇心や冒険心はなかった。平凡で充実した日々が心地よかったのだ。そんな彼の運命を変えたのは戦争だった。

 戦いが起きたことを実感したのは、王国から兵士がやってきたときだ。

 

「祖国のために剣をとる者はあるか! 戦果をあげれば報酬と地位を与えると約束しよう。見よ、この金貨を!」

 

 兵士が掲げたコインは、農民たちの姿をくっきりと映すほどに磨かれた立派なものだった。タックは生まれて初めて見る輝きに強くひきよせられた。コインに映った自分が、狭い池を泳ぐ魚のように感じられた。

 あの金貨さえ手に入れば家族と自分の人生がすべてうまくいく。そう思ったタックは、手をあげて志願したのだった。釣られるように、他の若者たちも我先にと名乗りをあげた。


 タックは両親の反対をおしきって村を出た。今よりずっといい暮らしが手に入る、豊かさを家族にも分け与えられると信じて。


***


 タックは今、初めての戦へと向かっていた。巨大な木馬の中で、見知らぬ傭兵たちとともに合図を待つ……その時が来れば一斉に飛び出し、敵の陣地へ切り込む作戦だという。

 心が張りつめていた。待機する時間が永遠のように感じられた。

「はぁ……」

 小さくため息をつくタックに、ひとりの男が声をかけた。

「よお新入り、もっとリラックスしとけって」

 その声は意外なほど温かく、少し心を軽くする不思議な感じがした。


「は、はい……ありがとうございます。あなたは?」

 タックは戸惑いつつも答えた。

「俺はシルヴァー。ま、せっかく顔をあわせたんだ、仲良くやってこうぜ」

 男は気さくに笑い、握手を求めてきた。シルヴァーと名乗った男は、それなりに経験を積んでいそうだ。軽鎧に身をつつんだ出で立ちに自信が見える。タックはその手を握り返しながら、気を紛らわせるために自分も名乗ることにした。


「僕はタックといいます、小さな農村から出てきて……えっと、どうして僕が新入りだと思ったんですか?」

 タックの声はわずかに震えていた。不安を隠しきれないのが自分でもわかる。


「ハハハハ、お前みたいなやつをたくさん見てきたからな。さっきから剣の柄をいじり回してるだろ? そういう動きでわかるもんなんだよ」

 シルヴァーは笑いながら言った。タックはずっと装備を触りつづけていた。じっとしているのに耐えられなかったからだ。恥ずかしくなって頬を赤らめるタック。シルヴァーはさらに続けた。


「いいか、死にたくなかったら剣を強くにぎれ。土仕事とは手ごたえが違うぞ、モンスター狩りともまったく違う。人間は防具を着ているからな……剣が当たったところによって反動が大きく変わるんだ。新人が武器を落としたらまず生き残れない。だから――っと!?」


 木馬が大きく揺れ動き始めた。いよいよか?

 タックの心臓が激しく鼓動する。木馬の揺れも強くなっていく。もはや何も考えられないほどに、意識がうわついていく。胸は熱く、頭は氷のように冷たい。シルヴァーに言われたことを頭の中で反復しつづけた。

 強くにぎれ、強くにぎれ、強くにぎれ――


 木馬が音を立てて止まった。



 

『かかれ!!!!』


薄暗かった木馬の内部から一転して、眩しい太陽の光が差し込んだ瞬間、タックの心は一気に高揚と恐怖で満たされた。

『ウオオオオォォォォーーーーッ!!』

 雄叫びをあげて傭兵たちが飛び出していく。タックとシルヴァーもつづく。

「新入り、生きてたらまた会おうぜ!!」

「は、はいっ!!」

 タックは力を振り絞って返事をした。


 砂ぼこりが舞い上がる中、剣を抜いて高く掲げ、敵の陣地へと突進した。心は凍りつきそうになりつつも、全身がみなぎるように熱い。体は動く。

 

「うわああああーー!!」

 敵の陣地というものがどんな場所なのか、把握する余裕などない。かたい地面を蹴り、ひたすら強く剣をにぎり、がむしゃらに上半身を敵に叩きつけ、腕を振るった。

(死ぬもんか、死ぬもんか、死ぬもんか、死ぬもんか、死ぬもんか!)

 恐怖を打ち消すように叫びながら戦う。


 

「ぐあっ……!」

 不意に背中から強い衝撃が走った。思わず倒れそうになるが、なんとか踏みとどまって振り返る。するとそこには、巨大な金棒をかつぐ大男が立っていた。

 

「うわあああああああ!?」

 大男はニヤリと笑うと、武器を振り下ろした。とっさに地面へ転がってかわしたがすぐに次の一撃がやってくる!

 今度は避けきれず、肩に受けてしまった。革製の肩当てをつけた部位ではあるが、重量級の武器には分が悪い。

「ぐ……うわああぁ~~っ!!」

 激痛が走る。もう一度地面を転がって逃げようとしたものの、左腕が動かずうまくいかない。あまりの痛みに叫び声をあげてしまう。

「ああ……あああ……!」

 

「ハハハハッ、これで7人目ェェェェ!!」

 大男は愉快そうに笑って金棒を振り上げる。

「ひっ……!」

 情けない悲鳴をあげながら這いずって逃げるが、間に合わない。背中を思い切り打たれ、胃からなにかがこみあげた。

「……おえっ……ゴホッゴホッ……」

 うめき声をあげることしかできない。立ち上がるどころか、這うことすらはるか遠い……動けない。

 

「おいおいどうした、まだ生きてるだろぉ?」

 頭に衝撃。グイグイと地面に顔を押しつけられる。ものすごい体重!


「誰か……助け……」

 かすんでゆく視界に人影がひとつ舞ったような気がした。

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