第20話 死神 vs コンプライアンス②

「お主、名前は?」

『私? 私は……』


 不安げに社の中を見渡す幽霊に、コックリさんが尋ねた。


『死神幽霊の……と申します』

「死神!」

『あの、どうして私はここに……?』


 死神と聞いて、ぼくはひっくり返りそうになった。死神が……若干お肌が青白くなってしまったいるかちゃんが……そわそわと前髪の辺りを撫でつけた。こいしさん曰く、ドクロのお面を被っていないと、どうも落ち着かないらしい。


「お主、ワシの悠介の元に夜な夜な化けて出るそうじゃな。一体どういうつもりじゃ?」

「そ、そうだよ! あれってどう言う意味なの!?」


 お医者さんから深刻な病気を告げられる患者のような気分になって、ぼくはドキドキしながらこいしさんを見つめた。一体どんな理由があって、わざわざ死神がぼくを応援しに来るのか。まさか……。


『べ、別に……アレは応援してるわけじゃなくて……!』

「でもぼく聞いたよ! 『応援してます』って耳元ではっきりと」

『ごめんなさいごめんなさい! ホントは怖がらせるつもりだったんです……!』

「怖がらせる?」

『うぅ……。じ、実は私……』


 こいしさんが哀しそうに目を伏せた。


『怖くて……』

「え?」

『私……怖いんです。その……コ、コンプライアンスが』

「コンプライアンス??」

『ええ……。批判されたり炎上しちゃうんじゃないかと思うと、どうしても発言をためらってしまって……』


 こいしさんがほぅ、と吐息を漏らした。ぼくとコックリさんは顔を見合わせた。死神にも怖いものがあったのか。


「じゃが仮にも死神がその調子だと、誰も怖がってくれないじゃろう。もっとウラメシヤーとか、ガツンと相手をdisってやらないと」

「”恨めしや〜”って、disの言葉だったんだ」

『そんな……いきなり見ず知らずの人に向かってだなんて! 今時コンプラ的にどうなんでしょうか?』

「うーむ。これは中々の重症じゃな」

『すみませんすみません……! キチンと皆様を怖がらせないと……死神わたしの存在意義が……うぅ!』


 こいしさんはみるみるうちに目に涙を浮かべ、とうとう泣き出してしまった。それで恨み節じゃなくて、あんな発言になっていたのか。しかしこのままでは、ぼくは夜な夜な枕元で『若き血』を聞かされる羽目になりかねない。どうにかしてこの、虫も殺せなさそうな死神のコンプラ恐怖症を克服してやらないと。


 ぼくらはリハビリも兼ねて、死神さんと町に出かけることにした。社を出ると、すっかり日が暮れていた。逢魔時……幽霊でも活動できる時間帯になり、バス代の節約も兼ねて、いるかちゃんの肉体からは抜け出てもらう。ぼくらがバス停に向かうと、ぼんやり白いみたいになったこいしさんが、ふわふわとぼくらのあとを付いてきた。


「あのまま置いてきて大丈夫かなぁ、いるかちゃん」

「大丈夫大丈夫……ネコチャンもおるし」

『ひ……ひぃぃぃいっ!?』

「ど、どうしたの!?」


 すると当然、こいしさんが悲鳴をあげた。向こうからやってくるバスを見て、すっかり顔を青くしている。


『バス代も払わずにバスに乗るだなんて……怖い! コンプラ的に大丈夫ですか!?』

「平気だよ……死神なんだから。死神にお金払われた方が運転手もびっくりするでしょ」

「どこぞのなまはげに聞かせてやりたいもんじゃ、全く」


 バスに揺られている間、こいしさんはひたすら「すみませんすみません」と乗客に謝り倒していた。向こうは死神の姿が見えていないから、何だか一方通行で切ない。


「良い機会じゃ。あの乗客をちょっと驚かしてやれ」

 コックリさんが一番後ろで寝ている乗客を指差し、ニヤリと笑った。

「後ろから頭をぶっ叩いてやるんじゃ。しかし、驚いて振り向いても誰もいない……自分が座っているのは一番後ろ。どうじゃ? 新しい怪談の出来上がりじゃろう!」

『できません!?』


 こいしさんはブンブンと頭を振った。


『人様の頭を急に小突くだなんて……そんなこと! たとえどんな理由があっても、許されるはずがないじゃないですか!?』

「どこぞの花子さんに聞かせてやりたいもんじゃ、全く」

「だったらボクシングとかできなくない?」

『もってのほかです。血だらけになって、目が腫れて……顔が幽霊みたいになっちゃいます! 嗚呼、恐ろしい恐ろしい……! 子供が真似したらどうするんですか!?』


 誰もいない後ろからぶん殴るだなんて、真似しようと思ってもできるものじゃないと思うけど。それからぼくらはバスを乗り継いで、トイレミュージアム……『ティアマト水洗』の前までやってきた。


『ここは……?』

「これからお主を、立派な幽霊の先輩に逢わせてやろう」

「立派……!?」

「良いか。ちゃんと先輩の勇姿を見て学ぶんじゃぞ?」

『は、はい……!』


 どうやらコックリさんはこの気弱な死神を、あの花子さんと引き合わせるつもりらしい。ぼくはもうそれだけで不安になった。何せつま先から頭の天辺まで全身センシティブ女子……コンプライアンスとは対極の位置にいる、あの花子さんなのだ。こいしさんと会わせたら対消滅しかねない。


「ねえ、どうするつもり?」

「うむ。ちょいと花子さんに取り憑いて、例の裁判をやってもらう」

「えぇっ!?」


 ぼくは驚いて脇の溝にぼっとんしそうになった。


「だけど……花子さんに取り憑くなんて、バレたら死刑ぼっとんどころじゃ済まないよ!?」

「大丈夫大丈夫」


 コックリさんがのんびりと笑った。


「目に映るもの全てに敵意を剥き出しにして、皆殺しにかかれとは言わんが……しかし死神としてはむしろあっちの方が正しい姿じゃ。なぁに、どんな暴言を吐いても『アイツなら言い出しかねない』と、バレることはないじゃろう」

「それは……確かにそうだけど」

 ぼくは頷いた。あれほど日頃の行いが悪い正義の味方もいないだろう。どっちかって言うとあっちの方が死神だ。


『無理です! 無理無理無理!』

 事情を説明すると、こいしさんは顔を真っ青にして首を振った。


『死刑だなんて! ありえません! 私、死刑廃止論者の死神なんです』

「死刑廃止論者の死神」

「お主も中々のセンシティブ女子じゃが……しかし、今はその議論をしにきたんじゃない」

『ダメです! いきなり人様に死を宣告するなんて、私とてもとても……!』

「やれやれ。お主は本当に死神に向いてないのう。そんなに人を殺すのが嫌なのか?」

 死神のくせに……と言った目をしているコックリさんを、こいしさんがキッと睨みつけた。

『当たり前でしょ!? 人殺しなんて、いつだって悪です! どんな屁理屈を並べようと、決して正当化されるものではありません!』

「別に無理に死刑にしなくても良いのでは?」


 ぼくはこいしさんをなだめながらそう言った。アレは花子さんがおかし……好きでやってることで、こいしさんが嫌なら、たとえ死神だろうが、無理やり相手を殺すこともないと思う。


「コンプライアンスって、別にそれで何かやりにくくなったり、発言し辛くするためにあるんじゃないんだから……逆だよ。こいしさんみたいな死神を守るためにあるんだよ」

『悠介さん……』

「それでも何か言ってくる奴がいたら、ぼくも言ってやるから。こいしさんは(花子さんと違って)優しい死神だって!」

『ふふ……ありがとうございます……』


 それでようやくこいしさんは顔を上げ、涙を拭ってほほ笑んだ。


『悠介さんこそ、とても優しい人ですね。みんなにも紹介してあげたいくらい』

「そんな……! そんなこと」

「照れるな、照れるな」

『今度の夜、友達とみんなで……「若き血」を合唱しに行っても良いですか?』

「お願いだからやめて」


 それからぼくらは例の裁判所に向かった。

 

『さぁあっ! 次に死刑になりたい奴ァどこのどいつだッ!? 出てこいやッ! ひーひひひひひ!!』


 ミュージアムに入ると、今宵も死屍累々の山を築き上げて、正義の味方が高笑いしていた。こいしさんがたちまち顔を青くした。


『アレになれと言うんですか……!?』

「あそこまでしろとは言わんが、アレに近いことをやってもらう」

『やっぱり無理ですっ! 私あんなの、絶対絶対できません!』

「しっかりするんじゃ。お主も立派な死神になるんじゃろう? いつまでもそんなナヨナヨした感じじゃ、この新しい時代を生き残れんぞ」 

『もう死んでます』


 ぼくらは裏からこっそり、花子さんに近づくことにした。幸い花子さんは目の前の死刑に夢中で、ぼくらの様子には気づいていないようだった。


(今じゃ! いけっ!)

(うぅ……!) 


 花子さんが高笑いして顎が外れそうなところに、人魂になったこいしさんが飛び込んでいく。


『ひーひひひ、ひ……んぐ!?』


 人魂を飲み込んだ花子さんは、目を白黒させ、一瞬何かを吐き出すように口を押さえ、頬を膨らませた。


『裁判長!?』

『裁判長、大丈夫ですか!?』

 突然の異変に、下々の幽霊裁判員たちにどよめきが走る。


『んぐ……ゲホ、コホッ。え、えぇ……大丈夫です……』


 やがて花子さんに乗り移ったこいしさんが、不安げに辺りを見回した。


『……裁判を続けましょう』

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