第4話 コックリさん vs chatGPT④

「畑中くん、何処行ってたの? 5分遅刻よ!」

「す、すみません……」


 担任の伊藤先生に見つかって、ぼくは扉の前で飛び上がった。すでに朝の会が始まっていた。本格的な授業に入る前に出席を取ったり、先生の有り難いお説教を聞かされたりする時間だ。ぼくが教室に戻ると、ちょうど生徒たちは教壇の前にずらずらと一列に並び、夏休みの宿題を提出しているところだった。全員の視線が一斉にぼくに集まる。ぼくは少しドキドキした。


「……まぁいいわ。畑中くんも早く並んで。宿題を提出してください。もちろんやってきたんでしょうね?」

「は、はい!」


 ぼくはランドセルを抱えたまま、慌てて列の最後尾に並んだ。まさか、今ランドセルの中で狐の少女が解いてくれてます、という訳にもいかない。


 先生はわざわざ1人1人、宿題の進み具合にざっと目を通しているようだった。答えが合っているかどうかよりも、自力で解いてきているかを確認しているらしい。まさにぼくは今、先生方の、教育界の意向に反する行いをやろうとしている訳だ。何だか厳重に警戒されたお宝を前にした怪盗のような、ゾクゾクとした緊張感が足元から競り上がってきた。


 とはいえ……。


(ねえ、大丈夫なんだよね?)


 ぼくは胸の前でランドセルを抱えたまま、に向かってヒソヒソと喋りかけた。『終わるまで決して開けないように』と、コックリさんはまるで鶴の恩返しのようなことを言って、ランドセルの中に引きこもってしまった。中ではさっきからゴソゴソと何やら騒ぎ立てるような音が続いていた。その間にも列はゆっくりと進み、だんだんと自分の番が近づいてくる。


(あぁ、もうすぐ先生の前に来ちゃうよ……!)

(えぇい、話しかけるな! 気が散る!)

(ごっごめん)


「……畑中くん? 何を1人でブツブツ言ってるの?」

「あ……いえ」


 いつの間にか伊藤先生の顔が目の前にあった。ぼくは緊張のあまり、ごくりと唾を飲み込んだ。


「じゃあ、ランドセルを開けて。宿題を見せてください」

「あ……あの」

「……どうしたの? まさか此処まできて終わってませんなんて言わないでしょうね?」

「い、いえ!」

「何の音?」


 先生に怪訝な顔で睨まれ、ぼくは慌てて金具に手を伸ばした。ランドセルの中からは相変わらずドタンバタンとが暴れ回る音が聞こえる。これが宿題を解いている音か? ええい、南無三……ぼくは半ばやけになってランドセルからプリントの束を引っ張り出した。すると、

「あっ!?」

 一体どうしたことだろうか、さっきまで確かにいたはずの狐の少女の姿がない。タブレットもだ。その代わり、蛇がのたうち回ったようなきったない字だったが、確かにプリントはびっしりと手書きの文字で埋まっていた。まさかランドセルの中で、一問一問コックリさんが解いていったのだろうか? 


「フゥン……一応ちゃんとやってきてるみたいね」


 伊藤先生は意外と言った顔でプリントをパラパラとめくり、やがてぱあっと表情を明るくさせた。


「感心、感心。苦労の跡が見えるようだわ。頑張ったわね畑中くん。こういうのは、正解かどうかじゃないの。自分の力で苦労してやってみるのが大事なのよ」

「は、はぁ」


 見当違いのことで褒められ、ぼくは喜んで良いものかどうか、あいまいな笑顔を浮かべてやり過ごした。あのきったない字が功を奏したらしい。


 どうやら上手く行ったようだ。


 悪巧みが成功した安堵感と、それからちょっぴり罪悪感がごちゃ混ぜになってぼくの胸の中で渦巻いた。自分の席に戻ってからも、まだしばらくドキドキは続いていた。遠くの方から、大根と人参……健太と秀平がジロリとぼくの方を睨んでいたが、ぼくはひたすら気づかないフリをしてやり過ごした。


「オイ!!」

「な、何だよぉ……!」


 昼休み。

 健太と秀平に引きずられ、ぼくは中庭の隅っこの方で締め上げられていた。


「てめえ、何かズルしやがったな!?」

「そうだよ、悠介が宿題やってくるはずないよ」

「そ、そんな無茶苦茶な」

「何か隠してるんだろう!? 吐け!」

「グエ……!」


 健太がぼくを羽交締めにして、グイグイと首根っこを締めてくる。力加減も何もあったものじゃない。ぼくは危うく提出した宿題と引き換えに昇天しそうになった。


「どうしたの?」

「いるかちゃん……それに鮎川も」


 ぼくらが騒いでるのを見て、優等生2人が心配してこちらにやってきた。さすがに目撃者が多数いる中での凶行は難しいと判断したのか、健太の腕の力が緩んだ。


「ゲホ……ゴホ!」

「まぁ、ダメよ暴力なんて」

「だってよ、いるかちゃん。コイツ、ばかなんだぜ。ばかが宿題なんてやってくるはずないだろう?」

「決めつけるのは良くないよ」


 稀代の美少女・いるかちゃんの隣で長身の美男子……鮎川麟太郎が腕を組んで眉をひそめた。全くお似合いの2人だ。お似合い過ぎて、それがどうにも気に食わないということだけは、ぼくも健太や秀平と同意見だった。


「悠介くん、君はちゃんとやってきたんだよね?」

「う、うん……」

「ウソつけ!」

「じ、実は……」


 太陽は直視できない。眩しければ眩しいほど、光から目を逸らしたくなる。美男美女にキラキラとした真っ直ぐな目で見つめられ、ぼくは何だか後ろめたくなって思わず言葉を濁した。その時だった。突然ぼくのポケットがゴソゴソと動き出し、中から黄金色の尻尾がぴょこんと飛び出してきた。その場にいた全員が驚いて目を見開いた。


「な、なんだ!?」

「何それ!?」

「あ……いや! これは……」

「ワシじゃ!」


 そう言ってひょっこりとコックリさんがポケットの中から顔を出した。その瞬間、5人が5人とも固まってしまった。


「……何それ!?」

「これは……何というか……」

「すげえ! 何処で買ったの? そのロボット」

「学校におもちゃを持ってくるなんて……」

「ロボットでもおもちゃでもない! ワシは、コックリさんじゃ!」

「まぁ! 可愛い!」


 コックリさんがいそいそとポケットの中から這い出してきて、ストンと地面に降り立った。いるかちゃんが目を輝かせた。


「危ないよいるかちゃん。コイツ、噛み付くかもしれない」

「狂犬病を持っているかも」

「ワシをそんじょそこらのケダモノと一緒にするな!」


 コックリさんは顔を真っ赤にして怒りを露わにしたが、何せ小さいので迫力がない。たちまちみんな夢中になって、ぼくはあっという間に蚊帳の外に置かれた。助かったような、納得いかないような。


「小さな小さなきつねさん。お名前はなんていうの?」

「ワシか? ワシは骨狗里コックリ肉孤裡ニッコリという、由緒正しき……」

「ニコリちゃん? 素敵! 可愛い名前ね!」

「やめ……小娘が、気安くワシャワシャするな! ワシはこう見えて100歳を悠に超えておる……」

「うわぁ、対話AIにも対応しているのか。このレベルの構成だと、一体いくらくらいするんだろう?」

「給食の残り、取っておけば良かったな。コイツ、クッキーは食べるかな?」

「分からない……一体この子が何という生き物なのか。chatGPTに聞いてみればあるいは……」

「ちゃっとじーぴーてぃー?」


 いるかちゃんに頭をワシャワシャされていたコックリさんが、たちまち目を尖らせた。険しい顔をして鮎川くんを睨め付ける。


「小僧。貴様、じーぴーてぃーを知っておるのか?」

「え? ああ……うん。僕の個人用タブレットにも入ってるよ」

「左様か。ならば……此の出会いも何かの妙縁。小僧、一つ頼まれてくれぬか?」

「何?」

「ワシを……そのちゃっとじーぴーてぃーの元に連れて行ってくれ。そして、其奴と決闘させて欲しい!」


 お前は剣豪か。


 などと野暮なツッコミは誰も入れなかった。コックリさんの表情が、真剣そのものだったからだ。そして放課後。ぼくらはコックリさんとchatGPT、お互いの存在意義を賭けた世紀の対決の舞台を整えた。と言っても、空き教室に移動しただけだけど。


 古来の神通力と最新式AI、果たしてどちらの解答が優れているのか!?


 決闘のルールは簡単!


 互いに同じ問題を同時に解き合って、先に三問先取した方が勝ちとなる。

 スピード、正確性、解答の分かりやすさ……判定は健太と秀平、それからいるかちゃんの3人が行う。多数決で多い方に軍配が上がり、引き分けだと思う場合は次の問題に移る。


 ぼくがタブレットに変化したコックリさん、鮎川くんがchatGPTを操作することになった。ぼくは机を挟んで鮎川くんと向かい合った。ぼくの腕の中で、コックリさんがニヤリと妖艶な笑みを浮かべた。


「ククク。新参者がデカい顔しおって。ワシが何年此処でやっておると思っとる!? 此処はワシの縄張りじゃ。ワシの領域なのじゃ!」

「ニコリちゃん……」

「どちらかが死ぬまで闘ろうぞ」

「AIは死なないよ」

「三問先取って言ってるでしょ」


 コックリさんを抱えながら、ぼくは何だか不安になってきた。どうしよう? この子、案外ポンコツかもしれない……。


「それでは第一問!」


 ぼくの不安をよそに、早速第一問が読み上げられる。ぼくは思わず生唾を飲み込んだ。


《Q.生きる意味とは何ですか?》

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