第5話君の名を僕はまだ知らない


『もう行ってしまうのか? まだここにいればいいのに』


『この毒を仕込めばあの祐天も……くくく……あぁ、祐天にはナイショだぞ? 二人だけの秘密だ』


「ま、まろ様……」


『自分でも驚いているんだ、こんな気持ちになるなんて……僕にそれを教えてくれたのは、君だよ。愛してる』


 シュウゥゥ……


「はぁ……まろ様、好き……」


「きっっっっっっつ!!!!!! 全身から変な汗出てきた! 今までにかいた事ない部位から汗が!! お前の持ってきた台本きつ過ぎるよ!」


 乙成が徹夜までして作って来たという、蟹麿全集。作中でこの男が話した言葉を丁寧に文字起こしして冊子にまとめて持ってきたのだ。その中から指定された台詞を言わされるんだけど、


 きつい


 本当にきつい。なんかこう、全身がゾワってなって冷や汗でもない変な汗が出てくる。これ全年齢対象なの? 親が見たら泣くぞ。


「前田さんありがとうございます! お陰で今日も乗り切る事が出来そうです! 今のでほら、小さい傷は浄化されました!」


 見ると、確かに細かい傷は癒えてる様だ。俺の声で傷が治るとは、なんてファンタジーなんだ。


「でも、まだまだこんなもんじゃないですよ? これは原作の中でもまだライトな台詞の一部……最終的には、同じ志を持つ者達がオリジナルのストーリーを書いている夢小説や、同人誌の方もお願いしようと思っているんですから! そっちは年齢制限がかかる方のやつでして……」


「いい! 今説明せんでいい!」


 この様に一日一回、乙成の招集により俺は恥ずかしい台詞を会社の屋上で言わされている。人に聞かれでもしたら俺の人生が終わってしまう事確定なので、中々人が寄り付かないこの屋上でのみ、受け入れる事にした。

 この時間が唯一の癒しだと、乙成は言う。今も、明日はどんな台詞を俺に言わせようかワクワクしながら冊子をめくっている。

 

 楽しそうで良かったな。


 何故だか俺の心は達観してきた。恥ずかしい台詞を日に一回言わされているせいかもしれない。


「よぉーー! こんな所にいたのか! なぁ前田! 今日金曜だし飲み行かね? 部長が珍しく奢ってくれるって言うんだよ!」


「お、いっすね~俺行きます」


「よしっ! 良かったら乙成も……」


「私は、けけ、結構です!」


 そう言うと、乙成は下を向いてしまった。あまりにも食い気味の返答に、滝口さんは一瞬固まってしまった。


「……そか、じゃあ前田だけな! じゃあ場所は駅前の居酒屋だから! みんなで行くんだから、帰り支度ちゃんと済ませておけよ?」


 それだけ伝えると、滝口さんはバタバタと靴音を立てながら慌ただしく去って行った。滝口さんが去った後の乙成は、またいつも通り喜々として冊子をめくる動作に戻っていった。

  

 乙成は、俺と二人でいる時は普通に会話出来るが、ここに滝口さん達が居たら途端に話さなくなる。思えば俺ともこんな状況にならなかったら話す事はおろか、目も合わせなかった事だろう。

 こんな事を俺が気にしてやる筋合いも毛頭無いのだが、何となく居心地が悪い。露骨に避けるような態度を横で取る乙成と、その顔を見て少し怪訝そうな顔をする滝口さん。あの鈍感いい加減、ポンコツでお馴染みの滝口さんがちょっと変な顔をするのだ。人によっては、だいぶ印象を悪くする様な態度なのだろう。


「なぁ乙成、もう少し滝口さんとも話してみたらどうだ? 俺とも話せたんだし、きっと滝口さんとだって……」


「絶対ムリです!」


 俺の言葉を遮るように、乙成はかぶりを振って否定してみせた。


「いや、そんな否定せんでも……」


「だって……滝口さんって声大きいですし……この前も、前田さんを追ってる時に急に話しかけてきて」


 あの時か。乙成が電信柱と一体化して誤魔化そうとしていた時の事だ。その後、滝口さんの計らいというかお節介で、この不思議な関係が始まったんだ。


「一方的に話すし、なんかよくわかんない事ばっかり言うし」


 それはお前もそうだろう。


「朝霧さんも言ってました! あの人に関わると碌な事にならないって!」


「でも、滝口さんが話すきっかけを作ってくれたから、こうして俺の力? でゾンビ化を食い止められているんだろ?」


「う……」


 乙成は、俺の一言で完全に口ごもってしまった。多分同じ歳なのに、めちゃくちゃ小さい子に言って聞かせる様な態度になってしまう。


「ちょっとくらい、職場の人と交流してみても良いんじゃないかって思うんだよ。せっかく誘ってくれた訳だしさ?」


 乙成はベンチに座ったまま小さくなっていく。これじゃまるで叱られた子供だ。俺はこんな大きな、ゾンビの子を持った覚えはない。


「わ、分かりました。前田さんには、御恩がありますから! でも二次会とかは絶対に行きませんからね?!」


「あの人らの二次会はどうせ夜のお店だから、その心配は無用」



 そして。


「「かんぱーい!」」


「みんな、今日は俺の奢りや! 遠慮せず飲みぃや」


 駅前の居酒屋にて、もう何回目になるか定かではない飲み会がスタートした。

 メンバーは、俺と乙成、北見部長に滝口さん、あと意外だったが朝霧さんも参加している。


「ごめんなぁ、前田。朝霧さんに飲み会の事嗅ぎつけられてさ……断ると思ったんだけど」


 滝口さんが小声で俺に申し訳なさそうに弁解してきた。


「俺は全然平気っすよ」

 

「なにっお前あのテのタイプもいけるのか……やるなぁ素人童貞のくせに」


「それは関係ないっすよ!」


「ちょっと、コソコソ話してるの聞こえてるわよ?!」


 テーブルの向こう側で、朝霧さんがビール片手に睨みを効かせている。まだ酔うほど飲んではいない筈だが、既に目がすわっているような……


「おっ喧嘩か? 前田ァ、あんまりお局さんに面倒かけたらあかんでぇ」


 初登場、この嘘くさい関西弁を話すスキンヘッドの中年男性が、北見部長だ。下の名前は景親かげちか、サボり癖といい加減な性格は滝口さんを彷彿とさせるが、なんやかんや立ち回りが上手くて出世してきたクチの一人だ。

 滝口さんも部長も、遊び癖が酷い。今日の飲み会だって、部長が競馬で大勝ちしたから急遽開催されたのだそうだ。


「部長、次お局さんなんて私に言ったら、如何なる手段を使ってでも訴えますから」


 部長は、今の朝霧さんの言葉が冗談だと思って笑っている。でもあの目は本気だ。俺には分かる。何故って、前に滝口さんが彼女に「朝霧先輩って、ずっと彼氏いないんすね」って失言をした時、朝霧さんは平気だって言っていたけれど、その後、滝口さんのパソコンのキーボードのキーの羅列を微妙に変えるという地味な仕返しをするという暴挙に出た。

 今の目はあの時と同じ、獲物を狩る目だ。部長にまだ髪の毛が残っていたら、きっともう消し炭になっていた事だろう。

 ちなみに、朝霧さんの仕返しにより滝口さんは一週間、XとCの位置が逆になっている事に気付かず、コピーしたつもりが全て切り取られる呪いにかかっていた。


「ところでアンタ達、私には分かっているのよ?」


 不意に朝霧さんが俺と乙成を指さしてこう言った。急に注目された俺達は、朝霧さんの鋭い瞳に恐怖を感じた。


「朝霧主任、何がですか?」


「主任はやめて。さんで良いわよ。アンタ達、昼休みにコソコソ屋上で何してるのよ?」


 ぎ、ぎくぅ!


 これはもしやピンチなのでは? てか何で知ってるんだ?


「いい? 私は、職場恋愛反対派じゃないわ。良いことだとも思う。だけどねぇ! そんなよくある大人向けの恋愛漫画みたいに! オフィスの陰でコソコソ何かをするのはいただけないわ! 公の場よ!」


「……は?」


「乙成ちゃん! アンタが大人しくって何でもいう事を聞いちゃう様な子って事は分かってる! でもねぇ! いつだって傷付くのは女の方なのよ!!」


 ヤバい。この人も盛大な勘違いをしている。俺は詰められている乙成の方をそれとなく見た。朝霧さんの攻撃で、さぞ恐怖で縮こまっているのかと思いきや、意外と普通にしている。


「オレも思ってた! 前田ぁ! お前ら不純だぞ!」


「は?! 滝口さん急になんすか?!」


「滝口! あんたは黙ってて! いいこと前田! こんな大人しい子を捕まえて、良い様にしようったって、私が許さないんだから!」

 

「何でそうなるんすか?! そんなんじゃないんですって! ちょ、滝口さん! もう酔ってるんすか? 乗っかかるのやめて!」


 開始早々、何ともカオスな状況に陥った。てか、ここにいる奴らは全員人の話を聞かない。


「ふふ……」


 ふと、隣に座ってお茶を飲んでいた乙成が小さく笑った。


「なんや、乙成。お前笑うと結構イケるなぁ!」


「部長、セクハラは本気で訴えますから」


 朝霧さんのツッコミで、またしても乙成が笑う。つられて何故かこっちまで和やかな気持ちになって、さっきまでの狂騒はすっかり鳴りを潜めた。


 そう言えば――


 乙成の下の名前ってなんだっけ?



 

 

  


 

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