第5話 真実なんて、誰も興味がないんだから。
「とまぁ、かい摘んで話すとこんなところか」
うちの説明を咀嚼していたのか、しばらく唸っていたアイニャがようやく口を開いた。
『んむー……うん、ちょっとはわかった。……納得できなかったファンの人たちが文句を言ってる理由は。ファンの人たちは、今まで大好きでずっと応援してたから心の整理ができなかったんだろうね。だから、それはわかった。でも……それでもジンくんはやっぱり関係なくない? その男性Vtuberがジンくんだった、みたいな話ならわかるけど、そうじゃないんでしょ?』
「ああ、もちろん違う。炎上してから男のほうの配信を見たけど、件の男とジン・ラースは声も全然似つかねぇし確実に別人だろうな。そもそも四期生の公募があったのは一番最初の炎上の前だったし、時期も合わない」
『それならなんで? なんでジンくん関係ないのに、悪いことしてないのに、こんなにたくさんひどいこと言われてるの?』
この時点ですでに、アイニャの声は震えていた。
アイニャはあほの子だ。ちょっと話しただけでもわかるくらいに底抜けにあほだし世間知らずだ。でもそれ以上に陽気で快活で、心の優しいやつだ。
だから、ジン・ラースの配信のコメント欄に溢れている
『デビュー配信なのに……これから始めるってところなのに……今日ジンくんはあたしたちと同じように幸せな思いをするはずだったのに。どうしてこんなに踏みにじられないといけないの?』
「んー、タイミングが悪かったとしか言いようがねぇよなぁ」
『タイミングって……っ』
「説明の前にも言ったけど、こんな状況じゃなけりゃもっとまともに受け入れられてたとは思うぞ。そりゃ女ばっかの事務所で活動するんだから多少は言われることもあっただろうけど、ここまでじゃなかったはずだ。一応は一期生にだって男がいるんだしな。それでもここまで炎上してるのは、件の男女の騒動が過熱しているタイミングでデビューになっちまったからだ」
ジン・ラースがとんでもない環境で配信をしているとは、うち自身強く思う。
本来であれば、初配信ではうちらがそうしたように動画やSNSで付けられるタグを決めたり、リスナーをどう呼ぶかとかをリスナーと話し合いながら考えていく。
だが、ジン・ラースは自己紹介を終えた段階でそういうことはできそうにないと早々に見切りをつけていた。コメント欄で時折流れてくるまともなコメントを見つけては拾い、反応したり質問に答えるという形で
針の
そもそもこれだけ荒れているのはジン・ラース本人がなにかやらかしたわけではない。ただの貰い事故なのだ。自分に非がないのにこれだけ言いたい放題言われ続けたら、うちならまず間違いなくキレる。千パーセントキレる。配信中に十回ブチギレる。
『……あたしにできることって、ないかな? なにをしたら、どうすればいいんだろ』
『…………』
『アイちゃん……』
「悪いことは言わん、やめとけ。逆効果だ」
『ちょっ……イヴちゃんっ』
『っ! あ、あたしっ……あたしばかだけどっ、それでもなにかできることはあるはずだよ! それに、ジンくんだって一人っきりで我慢するより、お喋りできる相手がいたほうが、きっと……っ』
「いや、こんなどうしようもない状態だったら一人のほうがまだマシなはずだ。きっとジン・ラースだって望んでねぇ」
『そんなのっ』
「いいや、わかるね」
アイニャの爆ぜるような激情に被せる形でうちが先んじて言う。
「リスナーが疑心暗鬼になってる今、アイニャが……アイニャだけじゃないな、ライバーの誰かがジン・ラースに話しかけに行ったら、絶対にそれをつつくカスが出てくる。『ほら、やっぱり女と絡むことが目的だった』とか『例の炎上カップルの二の舞だ』とかってな」
重箱の隅をつつくようにして揚げ足を取ろうとするゴミクズが必ず現れる。
そしてそうやって非難するのはのは『New Tale』に所属するライバーのリスナーだけじゃない。炎上騒動を祭りのように楽しんでいる部外者たちも一緒になって騒ぎ立てるだろう。
「そういう流れになったら、ジン・ラースも相当燃やされるだろうが、同じくらい話しかけに行ったライバーも燃える。自分だけならともかく、自分が原因で誰かが被害を受けるなんてジン・ラースだって嫌だろ」
ジン・ラースにその気があったかどうかなんて関係ない。事実かどうかなんて重要じゃない。『ジン・ラースは敵で、悪い奴で、燃やしてもいい奴』という流れにしたい奴がいて、そういう流れに流される奴がいて、そういう流れを真に受ける奴がいる。
大多数の見解が悪い方向で一致してしまえば、本人がいくら否定したところで覆すことはできなくなる。その大多数の人間は自分にとって都合のいいことしか見ないし聞かないんだ。状況は変えられない。止めることなんてできやしない。
だって真実なんて、誰も興味がないんだから。
一度そういう空気にされてしまったら、作り上げられた『悪い奴』に自分から絡みに行ったライバーも同じ
『そ、そんなのっ……』
『……彼はきっと、こうなるって予想してた……と、思う……』
『え……ウィーレちゃん、どういうこと? ラースさんは配信が荒れることをわかってた、ってこと?』
『……たぶん。だから……コミュニケーションアプリのIDも、知ってるはずなのに連絡をしてこないんじゃないか、って』
「はー、なるほどな。たとえリスナーに『裏で喋ったりしてるんじゃないか』って疑われたとしても、ライバーは『コミュニケーションアプリのIDも知らない。まったく絡みはない』って、はっきり否定できるわけだ。ライバーに嘘をつかせないための工夫で、リスナーへは安心感の担保ってわけか」
『……事務所での顔合わせの時も、こなかった。同期のグループチャットにも、参加しない。……たぶん、そういうこと』
「だとしたら、ジン・ラースはずいぶん早くに炎上の予兆を感じ取って、手を打ってたってことか。用心深いやつだ」
『そんなことどうだっていいよ!?』
『あ、アイちゃん、落ち着いて……』
『落ち着いてらんないよっ! なんで同期がこんなにひどい目にあってるのに、みんなは落ち着いてられるの?! なんでなにもしちゃだめなの?! わけわかんないっ!』
あほだあほだとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。
顔を合わせたこともない、それどころか喋ったこともない同期を、アイニャは心の底からなんの疑いもなく仲間だと信じ切っている。
すごいあほだ。とんでもないあほだ。あほみたいに、優しいやつだ。
こんな底抜けに優しいあほだからこそ、容易に想像できてしまう最悪なことにはさせたくない。
「その同期に迷惑をかけたくなくて、あいつは一人で踏ん張ってんだ。アイニャが絡みに行ったら努力が全部ふいになる。逆効果にしかならねぇんだよ、わかってやれ」
すまんな、ジン・ラース。お前には悪いが、助け船は出してやれない。
うちは会ったことも話したこともない
『ふいって、なにが?! もうなってるよ!? ジンくんだってっ、今日の配信のためにいっぱいがんばって準備したはずなのに!』
性根が素直で喜怒哀楽がはっきりしている印象はあったが、アイニャがここまで激情家だとは思っていなかった。
これも優しさの裏返しなのだろう。同期が傷付けられていることを看過できない。なのに、なにもしてやれない。
無力な自分が悔しいんだ。自分に対しての怒りだ。これを八つ当たりだなんて、うちは思わない。
『アイちゃん、落ち着いて。イヴちゃん、どういうこと?』
雰囲気が悪くなりそうなところを、柔らかな声色でエリーが取り持ってくれる。気の利いた穏便な言い回しができないうちにとって、その心配りはとても助かるし心強い。
「最初にデビュー配信の予定を聞かされた時から違和感はあったんだ。なんで今回は先輩たちとやり方が違うんだろって」
『んに……。や、やりかた?』
『やり方……先輩たちと違った、かな? 一期生の先輩たちは違ったけど、二期生の先輩たちも三期生の先輩たちも同じようにリレー形式でやってたはずだけど……』
『……同じなのは、そこだけ。これまでは、デビュー配信前にSNS……開設してた』
『あっ』
『た、たしかに……』
「そう。SNS開設とデビュー配信が逆になってる。それを踏まえて、もう一つ。リレーの順番をどうするかって話、覚えてるか?」
『え? う、うん。リレー形式でやるって教えてもらった時に、事務所の人に順番どうするか決めといてくださいって言われた。たしか……えりーが緊張するから一番最初はできないって言ってたから、あたしが一番をもらったんだ。でも、順番がなんなの?』
「そうやってうちらで順番を決めたわけだけどさ、おかしいと思わね?」
『なにが? 順番決めとかないと、事務所の人も困るでしょ?』
「順番決めること自体はおかしくねぇのよ。おかしいのは、決める順番が一から四番目のいずれかだったってことだ。四期生は五人いるのに」
『あっ……。スタッフさんは、四人で順番決めてください、としか言ってなかった』
『……その段階で、一番最後は誰か……すでに、決まっていた』
「そう。最後はジン・ラースがやるってのは
情報が
明確な損はなく、たとえ小さかろうと得しかないのに、そうしなかった合理的な理由とはなにか。
すでに答えは出ている。
まず前提が間違っている。
明確に損をすることがわかっていたのだ。だからデビュー配信の後にSNSを開設した。デビュー配信前から全員の姿をお披露目していればその時点で炎上し、デビュー配信なんてできる状況ではなくなる。明確にある大きな損を回避して、可能な限り小さくしようと奮闘したんだ。
そして、配信の順番。
これも同様の理由だ。ジン・ラースが最後以外のタイミングで出てくれば、その瞬間に炎上する。たとえ荒らされることに対してジン・ラース本人が平気だとしても、リレー形式の都合上、その次の番にも影響は尾を引くことになる。ジン・ラースが最後を務めない限り、うちらの誰かが、最悪全員が巻き添えを食らう。ジン・ラースに責任はないが、二次被害を避けるためには最後に回るほかにない。
「デビュー配信の日程が決まった段階で、どこまでの規模かはわからないにしろ配信が荒れるってことは想定されてたんだ。あの時は諸悪の根源の男女Vtuberの炎上はそこまで過熱してなかったけど、そもそもその件がなくたって『New Tale』に男が加わるってだけで炎上する要素は十分ある。なるべく傷を浅くするために、最初からそれなりの準備はしてたんだろうよ。思ったよりも荒れてなければ徐々に交流を増やしていって、思った通り荒れてたら誰とも連絡を取らずに落ち着くまでやり過ごす、みたいな感じでな。さすがにこれは思った以上だろうが」
このやり方なら、たしかに被害は最小限で済む。ジン・ラースの同期、つまりうちらは巻き込まれた
他の先輩たちだって、元からいたリスナーからは厄介な男ライバーが入ったせいで迷惑している、という風に同情的に見られるだろう。
炎上祭りを目的とした外部の人間の目はジン・ラースに向けられるだろうから、先輩たちへの悪影響は少ないはず。
わお、完璧だ。
たった一つ、ジン・ラースだけは、そういった『盾』が一切ないという問題点から目を背ければ。
それでもジン・ラースが誰から見てもわかりやすいように矢面に立ったのは、一緒にデビューする同期と、事務所の先輩たちに迷惑をかけないようにするためだ。
覚悟を決めて誰とも関わらないことで騒動を風化させて、巻き込まれただけの被害者でありながら炎上を鎮めようと努力している。
なのに『なにも行動しない自分が嫌だから』みたいな、そんな自分本位な考えでうちらがジン・ラースの努力をふいにするわけにはいかない。
「つまり……なんだ。誰かがジン・ラースに話しかけに行っちまえば、なるべく早く炎上を終わらせようとしてるあいつの努力が無駄になるんだよ。今現在、うちらがやれることっつったら『なにもしない』ことだけなんだ」
『そんな……ぐすっ、そんなのっ……ひっく』
『アイちゃん……』
『…………』
とうとう泣き出してしまったアイニャに、うちもウィーレもエリーもかける言葉がない。
なにを言ったところで状況は好転しないのだ。慰めにも気休めにもならない。
『……さて、そろそろお時間なので、悪魔はこのあたりでお暇させていただきたいと思います』
うちらが話し込んでいるうちに、ジン・ラースの配信が終わりに差しかかっていた。
配信終了を告げる前口上。ただそれを口にしただけで、辛辣に過ぎる言葉でコメント欄が埋め尽くされる。その中であれば〈そのまま「New Tale」からお暇しろ〉とか〈おもしろかったわ。河川ライブカメラ眺めてるのと同じくらい〉や〈卒業おめでとうございます〉など多大な皮肉を効かせた切れ味鋭い嫌味が優しく見えるほどだった。
そんなコメントの数々を、おそらくは視界の端で捉えながらジン・ラースは正面を見据えて口を開く。
『コメント欄もしっかり目を通させてもらっていました。人間の皆様は多々思うところがあるでしょう。それは仕方のないことだと割り切っています。皆様が心配なさっているようなことにはなりませんのでどうぞご安心ください、と僕が言ったところで、口ではどうとでも言えますからね。それだけでは不安を払拭することはできないでしょう。ですから僕は、これからの活動で皆様の信頼を勝ち取れるように努力します。皆様が安心して推しの配信を観られるように頑張ります。だから応援してください、などと言うつもりはありません。ただ、たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします』
終始一貫して過剰なほど穏やかに、ジン・ラースの初配信が終わった。
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