純粋な気持ち、擦れる心

 住宅街の片隅、森に程近いところに俺の住む家はある。俺はベレッタを家に入れると、とりあえずリビングの椅子に座らせ、自分は客室の掃除に掛かった。

 あの日以来、部屋の主が戻ることのない部屋。入る気にもなれなかったが、他に泊める部屋もねえ。俺は無言で部屋の掃除を済ませ、ベレッタを呼びに行った。部屋へ案内すると、ベレッタは興味津々といった様子で室内を見回す。


「わあ、良いお部屋だね! ここ、使って良いの?」

「ああ、好きにしろ」

「やったぁ! ありがとう、シグザー!」


 ベレッタは笑顔でそう言う。こいつはいちいち感情が顔に出るみてえだ。アンドロイドとは違う。……そうか、俺は人を家に泊めんのか。


「……俺は隣の部屋に居るから、なんかあったら呼べよ」

「はーい!」


 ベレッタの元気な返事を背に受けながら、俺は部屋の扉を閉めた。そしてそのまま扉に背を預けるようにして座り込む。


「何やってんだ、俺は……」


 俺は片手で顔を覆うと、ため息をついた。自分でも自分が分からねえ。なんでここまでしてやってんだ。自問しても答えは出なかった。



 翌朝。俺はベレッタに、ここを出て他を当たれと言った。『今日だけだ』と昨日言ったのだから、嘘にはならねえはずだ。

 だが、ベレッタは首を縦に振らなかった。


「どうして? あたしと暮らすの、そんなに嫌?」

「そうじゃねえ。この地区には俺なんかより親切な奴はいくらでも居る。だから他を当たれって言ってんだ」

「シグザーじゃダメなの? あたし、シグザーと暮らしたいよ」

「……ッ、俺は人と一緒に暮らしちゃいけねえんだ。とにかく出てけ」


 無理やり言葉を絞り出すと、ベレッタは悲しそうな顔をした。


「そっか……分かった。そこまで言うならそうする。でも、親切にしてくれてありがとう」


 そう言うと、ベレッタは出ていった。

 これでいいんだ。俺なんかと一緒にいたら、ベレッタまで不幸になっちまう。だからこれでいい。

 なのに、なんでこんなに胸が痛えんだ。



 それから俺は、掃除や洗濯なんかをして過ごした。とにかく何かをしてねえと落ち着かなかった。

 そうこうして日も暮れた頃、ドアベルが鳴った。ドアを開けると──ベレッタが居た。


「お前、なんで……」

「えへへ、来ちゃった」


 ベレッタは照れくさそうに笑う。

 来ちゃったじゃねえよ。他を当たれって言っただろうが。どうして戻ってきやがるんだ。


「あたしね、やっぱりシグザーと一緒に暮らしたいと思ったの。言われた通り家を回ったよ……みんな親切だった。あたしがテクノトピアから抜け出してきたって言ったら、すごく心配してくれて……色んなことを教えてくれたよ」

「だったら──」

「そこでね、シグザーが助けてくれたって話したの。そしたら、みんな言ってたよ。『シグザーは良い人だ』って」

「っ……」

「いつもみんなのことを気にかけてたし、困ってる人がいたら必ず助けてくれてたって。……でも、レミンって人が居なくなってから、自分たちから距離を置くようになっちゃったって。みんなずっと心配してたみたい」

「そんな訳──」

「シグザー。あなたはみんなから慕われてるのに、どうして独りで居ようとするの? あたし、あなたと暮らしたい。あなたのことをもっと知りたい」


 ベレッタは真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 やめろ。そんな目で俺を見るな。ああ、もう──


「……勝手にしろ」

「えっ?」

「……勝手にしろよ。家に上がんなら、好きにすりゃいい」

「……! ありがとう、シグザー!」


 ベレッタは嬉しそうに笑う。

 断るべきだった。だが、できなかった。



「シグザー、ソーシャライツの人たちはホントに優しいね」


 家に入ってからも、ベレッタの話は止まらねえ。


「ソーシャライツに元々住んでた人たちは、テクノトピアからこっそり抜け出してきた人たちを優しく迎え入れて、住む場所を手配してくれたんだって」

「……」

「みんなで協力して、ここを素敵な地区にしようって頑張ってるみたい。人と人が交わって、一緒に暮らせる場所を作ろうって。……あたし、ここに来て良かったって思う。あたしが望んだ幸せは、誰かと心を通わせながら生きていくことだったんだって、気付けたから」


 ベレッタの弾んだ声が、耳を通り過ぎていく。だが、その言葉は俺の心に重く響いた。


 誰かと心を通わせながら生きていくこと。ベレッタはそれが幸せだと言った。それは、俺にとっても同じだった。レミンと暮らすようになって、初めて手にできた幸せだった。レミンが連れていかれてから、自分の意志で手放した幸せだった。


 ベレッタの声は、言葉は、段々とナイフみてえに刺さり始めた。

 痛え。やめろ。その言葉を引っ込めてくれ。黙れ。黙れよ。


「やっぱり独りより、みんなと暮らした方が幸せだよ。だからシグザーも──」

「うるせえッ!!」


 俺は思わず怒鳴っていた。ベレッタは驚いた顔で固まっている。


「勝手に決めつけるんじゃねえよ! 俺は人と馴れ合う気はねえんだ! 独りで生きていくって、そう決めたんだよ!!」

「……っ、どうして? どうしてそんなに人をけるの?」

「黙れって言ってんだろ! これ以上踏み込むんじゃねえよ!」


 俺は椅子から立ち上がり、ベレッタに詰め寄る。だがベレッタはひるまなかった。


「嫌だ! あたしはもっとシグザーのことを知りたい! なのにどうして壁を作るの!?」

「ッ……もう俺に構うな!」

「シグザー……!」


 俺はベレッタを突き飛ばし、逃げるようにリビングを出た。

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