彼女をNTRた挙句死んだ僕。死に戻って二回目の告白を受けるがもう遅い(ザマァ作戦遂行中)【振り返れば夏。君と過ごした434日】

月平遥灯

#01 



なんで……。



偶然見つけてしまったのは、僕の彼女である四葉莉愛よつばりあと会社の同僚の九頭見龍太くずみりゅうたがホテルから出てくるところだ。気が滅入りそうな夏の蒸し暑い空気を押し上げて空を仰ぐと、わずかに紫とだいだいの光が滲んでいた。



僕はこんな朝四時まで会社に残ってなにをやっていたんだろうな。目の前の状況というか現実にそんな考えが頭をよぎった。



来週締め切りの新商品プレゼン資料に加えて、新規取引先の見積書の作成と意味不明に首を縦に振らない上司への説明をしてからの決裁。それに膨大な数の顧客リストの整理にアフターフォローまわりもこなさなくてはいけないから、その情報整理など。



『おい蒼井。蒼井春兎あおいはるとッ!! お前、はやくそっちを終わらせて、九頭見くんを手伝ってやれ』



僕は蒼井春兎。どうしようもない陰キャで、彼女がいることが奇跡に近いどうしようもない人間だ。



課長が目くじらを立てて怒るシーンが頭にこびりついて離れない。

睡眠不足と精神的なプレッシャーも相まって、足取りがフラフラするような気がする。そういえば、前回の休みはいつどこでなにをしていたっけ。



莉愛と九頭見を尾行するつもりはないけれど、帰る方向が同じだからどうしても目に入ってしまう。頭の中が麻痺していてうまく考えられない。現実が現実として捉えられなくて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。こんなの到底受け入れられない。



「なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……」



愚痴をこぼしても誰も聞いてくれる人はいない。けど泣き言を言わずにはいられなかった。



努力して、なんとか入社した会社が九頭見物産という業界最大手だった。東京の一等地にビルが立っていて、入社したばかりの頃は誇りに思っていた。けれど今では、いつこの地獄が終わるんだろうって考えさせられる。どうやっても抜け出せない牢獄にほかならない。



「九頭見……あいつ絶対に許さないからな……」



まだ早朝なのに汗ばむ気温にイライラする。薄紫の空が目の中でグルグルと回りはじめた。僕はもう限界だ。若いうちは苦労したほうがいいって田舎のじいちゃんも言っていたけど、これは度が過ぎていると思う。でもやらなくちゃいけないっていう焦燥感にいつも駆られていて、強迫観念のような声がいつも頭の中で念仏のように響いている。



そんな僕の気持ちも知らないで、莉愛は九頭見と仲良く会話をしているみたいだ。いったい、ホテルでなにをしていたのだろう、とか、したくない想像が瞼の裏を駆け巡って、吐きそうになる。



まだかろうじて光る街灯の下、栗色のショートボブに小動物系の顔立ちがはっきりと映った。パステルカラーの朝日を湛えたつぶらな瞳とうっすらと紅色に染まる頬。莉愛は幸せそうな顔をして九頭見の頬をつんつんと指で突いた。



九頭見龍太はその名前のとおり九頭見物産の御曹司だ。そのボンボンと僕が同じ部署に配属されたのは運が悪かったとしか言いようがない。九頭見龍太の噂は聞いていたけど、僕の想像をはるかに超えたとんでもない人物だった。



全然仕事をしないくせにスピード出世を約束された若手ホープ。本人の前では誰もが期待の新人なんてうそぶき囃し立てる。同期からは定時上がりの貴公子なんて陰であだ名をつけられている人。



父親は九頭見物産のトップにして代議士のボンボンだ。



「でも……なんであいつが莉愛と……? どこで知り合った?」



いや、考えてみれば接点はある。先月の飲み会で僕は酒が飲めないって言っているのに九頭見に飲まされてベロベロに酔わされて、一人で帰れない状態にされたことがあった。そのとき僕はトイレで吐きながら莉愛に電話をしたらしい(これは覚えていないが同僚がそう言っていた)。迎えに来てくれた莉愛と店の入口まで一緒に僕を運んでくれたのが九頭見龍太だったのだとあとから別の同僚に聞いた。



その後、気づいたら家で寝ていたし、莉愛はすでに帰っていて部屋にはいなかった。

きっとそのタイミングで二人は連絡先を交換して、それで僕から莉愛を奪ったんだ。でも、九頭見はたしか先月結婚をしたような気がするんだけど。だとしたら新婚なのにあいつ……。



「仕事なんて辞めてやる……絶対に……絶対に辞めてやるからなッ!!」



将来を考えていたからこそ、今は歯を食いしばってがんばって働いて、いっぱい貯金をして莉愛を幸せにするって考えていたんだ。明るい未来が見えていたから苦労もできたんだ。でも、これじゃ……僕はなんのために働いていたのか……馬……鹿みたいじゃ……ないか。



莉愛と九頭見は堂々と大通りに出て駅に向かっていった。まさかこんな時間に僕に目撃されるなんて思ってもみなかったんだろう。二人が遠くに行き、見えなくなったところでなんとか堪えていた感情がついには溢れ出てしまった。



悔しい。惨めで悲しい。このまま世界なんて滅亡すればいいのに。涙が勝手に溢れてくる。口の中が苦い。吐き気がする。胸が熱い。頭が猛烈に痛い。



「うあああああああああああああああああああッ!!」



まばらとはいえ、通行人もいたが関係なく叫んだ。大声で泣いた。奥歯を噛み締めてはなを垂らしながら泣いた。



兆候はあった。そうだ、最近、莉愛はなんとなく素っ気ない対応をすると思っていたんだ。



莉愛と僕は同郷で同じ高校出身だった。近くの大学を受けると知ったときは嬉しかった。



高校三年間、どこを切り取っても莉愛は学校で一番人気の女子だった。高校一年生のときから莉愛にはいつも彼氏がいて、絵に書いたような陽キャで明るくて、少しだけメンヘラ気質だけどそこがまた可愛かった。甘え上手っていうか、守ってあげたい小動物系のキャラというか。



大学に入学してすぐに莉愛とは連絡を取るようになった、莉愛は上京したてできっと不安と寂寞を抱えていたんだと思う。そんな莉愛が近所とはいえ僕を頼ってくれたから、高校の時よりも親しくなるのに時間はかからなかった。



そうして友達となって、ついには大学四年生になってすぐ(確か四月の頭だったと思う)、莉愛は僕に告白した。まさかとは思ったけど莉愛の話を聞く限り本気のようだったし、僕も舞い上がっていて一発オッケーをしたのを今でも鮮明に覚えている。



入社をして三ヶ月の間、配属先が決まるまではブラック企業でもなく、残業はあったけどせいぜい二時間程度で帰れる仕事ばかりだった。莉愛とも週末に会うことはできたし、楽しい日々だった。



そうか。考えてみれば僕が悪いのかもしれない。第一営業部に配属されてからは毎日、毎晩、仕事に追われていて、莉愛には連絡することが精一杯で会えていなかった。莉愛には寂しい思いをさせていたのかもしれない。そう考えると……。



「自業自得か。結局、僕が全部悪いんだ……」



でも、僕は……会社に楯突くことなんてできない。いったいどうすればよかったんだ?



なんとなくあいつらにばったり会うのはイヤだなって思って、ネカフェに入った。本当は莉愛と九頭見の後を追いかけて問い詰めたほうがいいのかもしれないけれど、今の僕にはそれをする気力も精神力も、体力もなかった。論理的思考は完全に破壊されていて、ただネカフェの個室に入って嗚咽を殺しながら泣くことしかできなかった。



せっかく……せっかく莉愛と付き合えたのに。



『どんな事情であれ、浮気はしたほうが悪いっすよ。忙しくて連絡が取れずに寂しい思いをさせた? でもあなたは浮気なんてしていないんすよね? なら、彼女が悪いっしょ。ほら、勇気を振り絞って突撃しましょ?』



ニューチューブを適当に流していたら、暴露系ニューチューバーが浮気をされたと泣きつく知人を焚き付けていた。そのとおりだと思ったけど、それ以上先を見る気にはなれなかった。

僕にはタイムリー過ぎる。でも……浮気をしたほうが悪い。これは事実だと思う。



そうだよな。せめて別れを告げてきっちりと縁を切ってから好きにすればいいのに。それならば受け入れられた。悲しいけど、悔しいけど、仕方ないと割り切れた。



仮眠もできずに二時間メソメソと過ごしてしまった。



出社する時間になって、重い足取りでネカフェを出た。さっき通ってきた道を戻るだけの救いようのない通勤路。退職届を出すにしても一度は会社に行かなければならない。今日も九頭見と顔を合わせることになるのは必然。あの顔だけはもう見たくない。



どうしよう。怖い。殴ってしまいそうで怖い。刑務所に行くのかな。それとも殴り返されてボコボコにされて死ぬのかな。死ねば楽になるのかも。感情のない世界ならこんなにも鬱屈うっくつすることなんてないのに。



眠い。そういえば……ちゃんとベッドで寝たのっていつだっけ。なんだか力が入らない。



『蒼井くんと大学近かったんだねっ!』



フラフラと歩いていくとどこかでけたたましいクラクションの音がする。



『東京でもよろしくね。あ、ねね、情報交換しよ? あたし先輩に聞いたんだけど、安くて美味しいお店とか。あっ! 蒼井くんって自炊する人?』



視界はグニャリと湾曲していて信号機は波打っている。空が高く、雑踏がノイズとなって耳奥に押し寄せてくる。



『……今さらだけどさ。もう友達やめよ?』



夢か現実か分からない視界にぼやけた赤信号が見えた。気づけば僕は歩道を外れて四車線道路に迷い込んでいたみたいだった。歩行者がなにやらザワザワとうるさい。



『やだな。嫌いとかじゃないよ。蒼井くん……いや、春兎くんって呼んでいい? あのね、あたし……春兎くんのことが好き。だから……友達をやめて……もしよかったらあたしと』



目の前で軽自動車が急ブレーキを掛けて止まって、その音に驚いて僕は腰を抜かした。心臓がバクバクする。かれずに済んだのは奇跡かもしれない。窓を開けたドライバーがなにやら怒鳴っている。でもまったく耳に入らなかった。



『付き合ってください。ダメ? え? ほんとっ!? やったっ! じゃあじゃあ、さっそく一日目記念しよ?』



クラクションの音で振り返ると、後ろから迫るトラックはブレーキを掛けているけど止まれそうにもいない。僕は立ち上がることができずにただ目を見開いていた。迫りくるトラックがスローモーションになって、やがて激しい衝撃とともに視界が暗転する。痛みは不思議と感じなかったけど、とんでもない衝撃を受けた僕の身体は運動の力学に従って宙を舞う。



『春兎くん……ずっと一緒にいようね。あたし、春兎くんのこと世界で一番好き』



落ちる。ゆっくりと回転しながら落ちていく。

そして意識は飛んで、まるで突然壊れたディスプレイのようにぷっつりと視界が途切れる。




その後は完全に無だった。




『さようなら……莉愛。僕も……莉愛のこと好きだったよ』





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