追い詰められた悪役令嬢、崖の上からフライング・ハイ！

追い詰められた悪役令嬢、

崖の上からフライング・ハイ！（上）

「追い詰めたぞ、アニエス・ミュレーズ！　逃げるのもここまでだ！」

「義姉さん、いや、アニエス！　大人しく罪を認めるんだ！　これ以上、家に恥をかかせるんじゃない」

「……周囲は既に我らが騎士団が囲んでいる。貴様には、もう逃げ場はない」

　背後には切り立った崖、目の前には私の元婚約者の皇太子と、義弟、そして私を追い詰める騎士を率いた騎士団長。

　それから。

「お姉さま、こんなこと、もう……もう、やめましょう？　逃げたって何も解決はしません……っ」

　切ない声で私を呼ぶ、妹のセレーナ。

　お母様譲りのストロベリーブロンドをなびかせて、私に対して何かを訴えている。それが、的はずれなことだとも知らずにね。

「揃いも揃って大げさね。私の、何が罪だと？」

「惚けるな！　国宝である守護の石盤を破壊しておいて……！」

「破壊したんじゃないわ、壊れていたのよ」

「お前が壊したのだろう！」

「もう一度言うわ、壊れていたのよ」

　激高する皇太子に向けて、私は静かに告げた。

　私がこうして罪人として追い詰められている理由。

　それは、国宝である守護の石盤を破壊したというもの。

　それはこの国一帯を覆う、魔獣避けの結界の基盤となる石盤で、魔力の多い皇族やそれに準じる皇妃、皇太子妃が月の巡りごとに魔力を注ぎ、国の守護たる結界の維持をしてきた。

　それがつい三時間ほど前、私が魔力を注ぐ儀式の際に、破損していたのが発覚した。

　私はそれを、儀式を行う前に陛下へ報告しようとしたのだけれど――

「白々しい！　私はこの目で見たんだ！　貴様が石盤を壊す瞬間を！！」

　私がちょうどその石盤の破損に気づいたタイミングで、皇太子にそれを見られてしまった。そしてこの思い込みの激しい皇太子は、私を犯人と決めつけ、その場で捕らえ、国賊として私を殺そうとした。

　だから私は逃げた。

　だって、そんな冤罪で殺されてはたまらないもの！

「皇太子殿下、もう一度言います。石盤を壊したのは私ではありません」

「嘘をつけ。この目で見た以上、お前以外が犯人であるはずがない！　この異双の魔女め……！」

　異双の魔女。

　まさかこの場でそんな俗っぽい悪名を元婚約者から聞くことになるなんて。

　私は、普段は前髪で隠している左の眼が見えるように、わざと髪を耳にひっかけた。

　そうしたらはっきりと見えるはずだわ。

　異双の魔女と呼び、誰もが恐れる、私の瞳が。

　右目は妹と同じアイスブルーの瞳。

　左目は血に飢えた獣のように爛々と輝く金色の瞳。

　魔力の属性過多のせいで真っ黒に染まる髪と相まって、さらに珍しいオッドアイだった私は、皇太子の婚約者であるにも関わらず、異双の魔女と呼ばれて、皆から畏れられた。

　それはこの国の皇族よりも魔力が多いから。

　筆頭魔術師よりも、魔法を使うのが上手だから。

　実の両親ですら、幼い頃にはちょっとしたことで魔力暴走を起こす私を疎み、帝室に人身御供のように私を厄介払いしたくらいだもの。

　こんな魔力、無ければよかったと思うけれど。

　私は一歩、後ろに下がる。

　私の後ろは崖。その下は渓流になっていて、落ちたらまず間違いなく死ぬと思う。

　いいえ、きっと死ぬわ。

　これで何回死んだことかしら。

　私はこの魔力のせいか、もう何度も死に戻りを繰り返していた。

　最初の頃はオッドアイじゃなかったけれど、一回死に戻りしてからは左目がこの金色に染まっていてびっくりしたわ。

　目の色が違うから人生も変わると思っていた二回目の自分は実に能天気だったわね。

　でも。

　私は死んだ。

　馬鹿の一芸みたいに、私は死んだのよ。

　絶対に、この崖で、この、場所で。

　私の理解者だと思っていた、彼らに裏切られて。

　まぁその理解者だと思っていたのも最初の一回だけだったけれど。

　今は全然、これっぽっちも、期待なんかしてないわ。

　未来を変えたいなら、あの石盤に気がついた時点で逃げるのを止めればいい。

　皇太子の婚約者にならなければいい。

　そんな風に思って生きた人生もあったけど――でもどうしたって私は、今日この日、この場所で絶対に死ぬの。

　私が、初めて自死を選んだ、この場所で。

　まったく、業が深すぎるでしょう？

「皇太子殿下。石盤が壊れた今、守護の結界も綻びます。私なんかを追いかけていて、よろしいのですか？」

「お前の魔力さえあれば、どうとでもなるだろう。その罪をお前自身の魔力で贖えばいい！」

　これが元婚約者への言葉だと思うと泣けてくるわ。

　所詮私は、この国にとって魔力だけを求められる動力でしかないのね。

　分かっていた事実に、自然と口角があがる。

「何がおかしい！」

「失礼しました。すべてが、どうでもよくて」

　最初の私も、今のこの言葉に絶望したから、逃げて、追い詰められて、この崖から落ちて、死んだ。

　でも、私は。

「魔力だけを求められる人生なんてもうこりごりです」

　私は一歩、後ろに下がる。

　皇太子、義弟、騎士団長の目が、見開く。

　妹のセレーナだけは、皇太子が咄嗟に彼女の視界を覆うように身体を反転させて、その視界を塞いだ。

　そんな機転ができるなら、あの石盤の件だってもうちょっと落ち着いて考えてほしかったものね？

　もう、全てが遅いけれど。

　私は地面を蹴る。

　両手を大きく広げる。

　ドレスの裾がふわっと舞い上がる。

「さようなら、皆様。二度と会いたくありませんけれど」

　私は勢いよく崖に飛び出した。

　ふっと身体の中から何かが抜けるような、独特な浮遊感。

　それすらも、今の私にとって――快感だわ！

　体が落ちる。

　落ちていく。

　髪が解けて舞い上がる。

　私は空中で身を翻すと、まっすぐに崖下の渓流に飛び込んだ。

「お姉様――！！」

　私を呼ぶ妹の声は、激流に飲み込まれた。