ダンジョン・オブ・ドリーム~異世界転生したと思ったら、そこは現実と陸続きの世界だった~

ナ月

第1話



 なんで俺、生きてるんだろう。


 


 そんなことを考えながら、会社からの帰り道をぐだり、ぐだりと歩いていた。


 それは茹だるように暑い夏の日の夜だった。


 たまに吹く風は湿度を豊潤に含んでおり、頬にべたりと張りつく。


 空には薄く伸びた水の膜のように透き通った雲が、オブラートのように月を朧に隠していた。


 俺は気怠い空気を肺腑の奥にまで吸い込んで、ごほり、とマスクの中で咳を吐き出す。


 咳が止まない。唾液を飲み込むたびに、口腔の奥を鑢でかけたような痛みがあった。


 鼻腔の奥にも血と痰のにおいがこびりつく。


 世間では奇妙なウイルスが流行っていた。何でも新種のウイルスらしくて、世間はパンデミックを止められなかったらしい。罹ると12時間眠ってしまうことから、その病は『眠り病』と呼ばれていた。


 そんな病気にかかったら、俺みたいなフリーターはたまったもんじゃない。帰りに健康ドリンクのひとつでも買っておこうと、そう決めて帰路を急ぐ。


 町はギラギラと街灯や車の光が明滅して、デスクワークで疲れた目にトドメを刺しに来る。


 俺には夢があった。いや、今でも夢を見ている。俺は小説家になりたかった。本当はゲームや漫画が好きだったけど、プログラミングなんて難しいことはできそうになかったし、絵は下手だったけど、文字打つだけなら俺でもすぐにできそうだったから、という短絡的な理由だった。


 でも、現実はとても厳しくて。


 小説家なんてなれるわけもなく、安いエロゲのシナリオを月4本だけ書かせてもらっている状況だった。1文字2円。つまり「あん、あぁん」で10円入るような、バカみたいな仕事。


 もちろんそれで食っていけるはずもなく、普段はコールセンターで昼から夜22時まで日銭を稼いでいる。


 月給18万程度。貯金もあってないようなもの。こんな生活が、いつまで続くんだろうと思えた。


 一生、続いたら、なんて。


 絶望にも似た思想に、足元に真っ暗闇な穴が空いて、そこから際限なく吸い込まれていくような焦燥感に襲われた。俺はいつも恐怖している。怖いんだ。ただこのまま、何者でもなく終わってしまうかもしれない自分の人生が。


 一生フリーターで生きていくのか。


 そんなお先真っ暗な、バイトの帰り道。


 横断歩道を渡った先で、俺は強い光に包まれた。俺の人生を明るい未来へ導くような光明ではない。ハイビームの光だった。


 


 ブゥン、ズドン。



 車種なんて知らない。白い車が、俺の側面に激突した、と気づいた。


 凄まじい衝撃が、俺の左側から右側まで突き抜けた。今まで感じたことのない強烈な衝撃だった。まるで俺がハムスター程度の大きさになって、人間からデコピンを食らったときのような、おぞましいほど痛烈な衝撃がどこまでもどこまでも突き抜けて、べきぼきと骨の折れる音と、ぶちぶちと折れた骨が臓物を貫いていく音を聞いた。


 どちゃん、どちゃん、と、俺の体が車道の上を雑に転がった。



「っぶねぇなぁ!」



 という運転手のおっさんの叫び声が聞こえた気がする。


 危ない? いや、もう、危ないとかいうレベルじゃなくて、終わってないか、これ。


 こんな状況なのに、俺は歩道の信号を確認して、青信号だから俺は間違ってないじゃないか、なんて意味のない保身を図っていた。


 横断歩道からずいぶん離されてしまった。十字路の真ん中だ。戻らないと、他の人に迷惑がかかる。


 息をしようとしたら、ごぽ、と奇妙な音が鳴った。


 立ち上がっているかと思ったら、足が変な方向に曲がっていて、俺は地面を這いずっていた。


 コンクリートのざらざらとした感触が、手の平に強く伝わる。


 誰かが、怒鳴るように電話をしている。必死に俺を助けようとするかのように。


 ごぽ。


 見下ろしたら、左側の肋骨が飛び出て、肺が裏返っていた。口から、綿みたいな赤い液体が溢れてくる。


 熱い。


 ……あれ? 俺、死ぬのか。


 ふと脳裏をよぎった死への気配に、なんだか、安堵するような、そんな感じで、気が抜けて。


 


 ―――とぷん。



 と、俺は眠った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る